リセット | ナノ





例えシズちゃんのことでもね、俺は自分がそんな欠陥品だなんて思いたくない。

視線を逸らしたままで、臨也が言葉を紡ぐ。実に感情の篭もっていない棒読みだ。つらつらと並べられた理由は確かに臨也らしいと言えば臨也らしかったが、それでも臨也らしく無かった。なにがって、さも気まずそうに視線を逸らす辺りがだ。

「寝ろよ、そんなんじゃいつかぶっ倒れんぞ」

「…はは!やだなぁ、何その優しさ。気持ちわる。悪いものでも食べた?」

くしゃり、臨也の表情が歪む。本人はいつも通り何でも無いと笑っているつもりなのかも知れない。けれどそれは俺からしたらただ無理矢理笑っているようにしか見えなかった。

「いいから寝ろよ、別にそのまま永眠しても何ら問題はねぇけどな。取り敢えず何でもいいから寝ろ」

「だからさ、なに?何でそんな事言うの?関係ないって俺言ったじゃん、何で俺に構うの。第一寝ろ寝ろって母親じゃないんだから止めてくんないかなぁ」

ぺらぺらとうっせぇよ、いいから行くぞ、ぐいと握り込んだ手をそのまま引けば、勢いよくそのまま振り払われる。弱ってる癖に一丁前に抵抗すんのかこの野郎。

「屁理屈言ってねぇで大人しく言う事聞け」

「屁理屈?シズちゃんそれ意味わかって言ってる?シズちゃんのがよっぽど屁理屈言ってるよ」

「…あー…うるせぇ、本当うぜぇ」

「じゃあ一々構うな。放っといて、って言うか帰れ。どうせまた鍵壊して不法侵入したんだろ」

「新羅が勝手に手前んとこの鍵作って押し付けて来たんだよ、何も壊してねぇ」

そんな下らないやりとりを繰り返す間にも、きっと臨也の身体はどんどん冷えて行く。頭に血が回らなくなったら余計に覚えるモンも覚えられねぇだろうが。

「何でそんな忘れたくねぇんだ、お前」

風にはためくコートを少しだけ視線で追って、今度は臨也に向けた。また視線が合って、今度は逸らされなかった。俺も逸らせなかったし、多分臨也もそうだったのだろう。例えるなら金縛りのような状態だった。

今までで一番長く沈黙が流れて、屋上からはまた音が消える。もしかしたら何かしら音はしていたのかも知れないが、それは何一つとして耳に入って来なかった。

「…じゃあ聞くけど」

目を細めて、臨也が口を開く。終始視線はぶつかったままで、逸らすことができない。

「シズちゃんはどうして俺に忘れさせようとするの」

単調な響きで紡がれた言葉が耳を通り抜ける。風と一緒に流れて、それでも頭の中では延々と響き続けた。どうして?どうして、そんなことは俺にもわからない、けれどそうするしかないと俺は俺の中でわかっているのだ。これはどうしようもない事なのだと。そうするしかないと。

眠らなくても、どうせいつか眠る。それも同時に分かっていた。

それでもどうせいつか眠ってしまうのなら今眠ったとしても同じだとそう思っただけの話だ。忘れる、こいつは何度も何度も俺の事だけを。眠ればそれは確実なのだ。今までだって一度も、こいつが翌日以降になっても俺のことを覚えていた日なんて無かった。

手前にはわからねぇよな、わけのわかんねぇ面してお前は俺に言う。誰?知らない。変な名前、そう、笑いながら何度も何度も繰り返す。その様子はまるで壊れた機械のようだった。

「…俺は手前のことが嫌いだ」

「だったら、なおさら」

「嫌いだと思ってて、嫌いっつーのがいつの間にか口癖みたいになって染み付いて今更離れねぇ」

「……………」

「それでも俺のこと忘れてる時は不思議と腹が立たねぇんだよ、見た目はお前なのに、訳分かんねぇ」

「………だから、」

「自分でもよく分かってねぇから上手く口に出せねぇけど、嫌いかどうか分からなくなった」

「…なにそれ」

「仕方ねぇだろ、実際そうなんだから」

正直、本当に今何を言っているのかが自分でよくわからない。口から出る言葉は思いの他拙いものばかりで、それに少しばかり苛立ちを覚えた。臨也はと言うと、やっぱりその目を細めてこちらを見たままで。

「…今は俺のこと嫌いなんだろ、結果何も変わらないよ」

「そうかもな」

「知ってる?世の中は結局好きか嫌いかでしかないんだ。嫌いじゃないとか好きではないっていうのは存在しない領域なんだよ」

「そうかよ」

「嫌いじゃないなら好きって意味だ」

あっそ、ならそれで良い、何かもう面倒臭ぇし。呟いてまた髪がぱたぱたと風に靡く。臨也の髪も俺の髪も、何もかも。

俺の言葉の直ぐ後に、再び臨也の瞳は揺れた。実際に目がぐらぐら揺れるわけじゃあないが、感情がぐらつくというかそんな感じだ。ゆらゆら、ゆらゆら揺れる、揺れては、色が溶けてまた揺れる。

そんな目でひたすらを俺をじっと見つめていた臨也だったが、やがて薄い小さな唇はずるい、一言だけそう呟いた。

「ずるい、意味分かんない、シズちゃんの癖に何でそういうこと言うんだ」

知るかよ、そう思っちまったもんは仕方ねぇだろと思ったが、声には出さなかった。

臨也の口調は明らかに俺を責めていたし、何と無くではあるけれど責められる理由がわからないでも無かった。少しだけ、卑怯な真似をしている自覚はあったからだ。

例えば俺が臨也の事を好きだったとして、臨也が俺のことを好きだという確証はどこにも無い。

それでも今まで俺が接していた臨也は臨也ではあって臨也ではない。まるで子どもの言葉遊びのようだがそれは紛れもない事実だ。但しそれは俺にとってだけなのだから、臨也にとってみてもきっとそうなのだろう。

要するに俺だけが例外なのだ、きっと、その理由などは到底知りえないものなのだが。だから俺のことを忘れた、俺だけだった。臨也に何があったのかは知らないが、一旦組み込まれてしまった「俺のことを眠ると忘れる」というシステムは絶対的だ。じゃあどうして今思い出したのかと聞かれれば、俺は臨也では無いので答えることはできないが、それでも今こいつは俺のことを忘れたくないのだ。何でかって?俺が知るかそんなこと。

「嫌いだよ、シズちゃんのことなんか」

「俺は好きだけど、お前のこと」

普段ならあってはならないような台詞が、俺の口から出た。笑えないくらいには有り得ない単語だが、それにどうしてか臨也は笑った。先程みたく、酷く歪んだ表情で。

「っ、はは、何それ、全然面白くないよ」

「そうか」

「…ふ、っ、はは、残念ながら俺は嫌いだよ。シズちゃんのこと」

「………そーかよ」

「嫌いだ」

「ああ」

「シズちゃんなんて、大嫌いだ」

嫌い、本当嫌い、大嫌いなんだよ、だいっきらい。それだけを繰り返して、臨也の顔は段々と俯いて行った。放っておいたらそのまま崩れ落ちてしまうんじゃないかと数歩歩み寄って伸ばした片腕で、軽くフードを被った頭を自らに抱き寄せる。

ぽすん、あまりにもあっけなく細く軽い身体は簡単に俺に寄り掛かる格好になった。もぞりと肩口で臨也が動く、きらい、また小さく呟いた声が今度はほんの少し震えていた。

「…ねぇ、シズちゃん」

漸く「嫌い」以外を呟いてそれに何だと返せば、顔の横で臨也はまた嫌いと言った。いい加減しつこいうるせーよと心の中で吐き捨てながらも、言えなかった。臨也の顔も何も俺には見えていなかったけれど、それがどうしてもできない。ねぇ、再び呼ばれてまた嫌いだと言うのかと思いつつ、臨也の言葉を待った。






「ちゃんと嫌いでいるから忘れたくないって、そんなに我儘なことなのかな」




幾らシズちゃんのこと嫌いでも、ないよりマシだ。だって壊れてるんだ、俺、例えるならパソコンのメモリーだよ。俺の中にシズちゃんのフォルダがあって、それが電源を入れる度に消えるんだ。何度も何度も、忘れてたときのことも覚えてる、全部覚えてるのに、たぶん俺今眠ったらまた全部忘れる、だから寝たくないんだ。壊れたままなんて絶対にいやだ。



「…忘れたとしても手前は手前だろ、変わりなくうぜぇし、別に居なくなるわけでもねぇし」

「でも、忘れるよ。しかもシズちゃんのことだけ」

「忘れてぇなら忘れろ、でも忘れたくねぇなら忘れないよう努力しろ」

「…できるならとっくにしてる。って言うか、シズちゃんと話してると自分が真面目に考えてるの馬鹿みたいに思えてくるなぁ、なにこの脱力感」

「じゃあ馬鹿ついでに俺のこと好きになれば」

「………はぁ?」

「そのくらいの衝撃があれば忘れねぇかもしれねぇだろ」

「ふ、あはは!じゃあ、一生無理だ、俺はシズちゃんのこと忘れたまんまだ」

きしきしと、臨也が笑うと心臓が音を立てた。鈍い痛みと一緒に、冷たい臨也の肩も震える。

「なら、させる」

「無理。どうせ忘れるよ。だって今の俺はそういう風にできてるんだから」

「何回も言う」

「シズちゃんが?俺のこと好きって?」

そーだよ悪いか、いや悪いって言うかちょっと面白い、寄り添ったまま色気の無い会話だけが淡々と繰り返される。言葉を交わしながら、俺は臨也のフードをそこに置いた手で軽く掴み自分から離すように引いた。

微かに肩から離れた臨也と、至近距離で視線が合う。ふわふわと白いファーとそれとは対照的な臨也の黒髪が揺れて、吸い込まれるようにその唇に軽く口付けた。


一瞬だけ押し当てて直ぐに離せば、臨也は驚いたようにぱちくりと瞳を瞬かせていた。

正直俺も驚いたから、まぁ無理もない反応だ。なにすんの、漸くそう言ったので、どうせ忘れんだから別にいいじゃねぇか、そう呟くとまた瞳がゆらりと揺れた気がした。

「…忘れる度に惚れさせるとか、俺が手前のことすげー好きみたいで癪だけど」

「ふ、っ、…はは、おっかし、有り得ない」

なんだろ、全部有り得ない、最初っから最後まで全体的に有り得ない。どこか自虐めいた笑みを浮かべながら臨也はやっぱり笑っていた。

「馬鹿じゃないの、好きになんかならないしなってもない」

眉根を潜めて鋭い視線が俺を射抜くように見つめた。不思議とそれをいとましく思わなかったのは、きっと臨也に対する感情が曖昧な所為だと思う。言葉のひとつひとつを確かめるように拾うくらいには、少なからず壊れてしまうことを恐れているようにも感じた。

「でも、忘れたいわけじゃない。それでも忘れるんだ、幾ら今どう足掻いたって、忘れるものは忘れる。シズちゃんみたいに元々馬鹿だったらこんな風になっても大したこと無かったのかも知れないのにね」

小馬鹿にするような物言いに少しばかり腹が立ったが、相も変わらず目と鼻の先の距離の臨也にうるせぇよ、そう口にしてから再度唇を重ねる。今度は先程よりもっとずっと、ゆっくりと。

口調の割に、腕の中の臨也は随分と大人しかった。抵抗らしい抵抗はしなかったし、やがてフードを掴んでいた手も外れ、いつのまにか肩を掴み抱き寄せるように添えられている。無自覚ではあったが、それら一連の出来事も何から何までが自然だった。少なくとも俺の中では。

ちゅ、と音を立て唇を離すと、閉じられていた臨也の瞳がうっすらとこちらを伺うように開く。

何もかもを覚えている俺からしたら、普通こんなに馬鹿みたいにつめたいキスは忘れるわけがないというのに、臨也はそれができないのだと思うとやっぱり何処からかきしきしと音がした。

覚えているのは俺だけ、俺だけが記憶して、臨也は、忘れる。

「…なぁ、」

すげぇ好きかも、ぽつりと口にしたら臨也は笑った。けれど先程みたくやたらと憎たらしい笑みではなく、ほんの少しだけ穏やかに笑う。ふわふわと揺れるフードのファーが、月明かりに照らされる臨也の頬を擽った。



「いま、ほんのちょっとだけときめいた」


好きになりそうだったよ、シズちゃんのこと、やっぱり嫌いだけどね。やがて笑みは今にも泣き出しそうに歪んで、やっぱりまた臨也は俯いてしまった。



忘れたくないなぁ、できることなら、忘れたくない。

搾り出すような声音と共に、ぎゅうと二の腕辺りのシャツをきつく掴まれる。なので取り敢えず今度は両腕を回してひょろりとした身体を抱き寄せてはみたが、やっぱり細い、冷たい、何だかとても頼りない。

俺がこいつにできることなんて何一つとして存在しない。忘れるなとも言い切れないし、忘れてもいいとも俺は言えない。そして忘れさせないためと言ったって、所詮はほんの気休めにしか過ぎないのだ。

まるで子どもの読む絵本のように陳腐なストーリだと思う、永遠に浸る悪夢から逃れられず、醒めない。しかしながら取り残されるのは臨也なのか俺なのかはわからない。忘れることを忘れるのは、こうして思い出した時にずっとしんどいのかも知れないが、それでもただひとり忘れられて俺は実際のところ戸惑っていた。

余りにも何も無い毎日が、本当に忘れられてひとり取り残されているのは俺なんじゃないかと思い知らせて来るからだ。
例えばこうして抱き締めたとしても、キスをしたとしても、明日には無かったことになる。

けれどそれは臨也の中だけだ。俺は明日になればまた臨也の中から消えて、居なくなる。眠らないと意固地になってはいたが、新羅から処方された睡眠薬があるからあれをどうにかして飲ませるつもりだった。

好きになったとしても、叶わない俺の恋は明日になれば終わる。これも言ってみればどこぞの魔法使いの一夜限りの魔法によく似ている。こつん、臨也の頭に寄り掛かればなに、小さく問い掛けられる。
けれどそれに相槌も打てず、冷たい風に晒された俺たち二人は、広くて暗い夜空の下で余りにもちっぽけで、声にこそしないものの何だか笑えた。







一応ここまででおわり







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