颯矢がさくらに頼んだことは、来週神社で行われる祭りで一日巫女さんをやってくれないか、ということだった。 「今年の祭りは千年祭と重なっているからいつもの年よりも人出が多い。大変だと思うけど、手が足りないんだ」 珠羽神社に松風の神様が祀られてから千年と言われている今年の祭りは千年祭だ。 キスのカミサマと評判になっている珠羽神社の祭りに千年祭が重なれば、訪れる人の数もこれまでとは比較にならない。 「一日巫女さんをやるのは全然かまわないけど、私でいいの?巫女さんって神様の声を聴くんでしょ?私、神通力、ないよ?」 真顔で言うさくらに、颯矢は、はっと笑った。 「大丈夫。さくらにやってもらいたいのはお守りを売る売り子さんだよ。巫女の衣装は着けてもらうけどね」 「よかった…。神様の声を聴かなきゃならないのかと思った…。それなら、私でもできるね」 「ああ。できるよ」 颯矢は安心したように息をつくさくらを見つめ微笑んだ。 「な、なに?」 その視線があまりにも真っ直ぐだったから、さくらは困惑した。 「いや。さくらは可愛いな、と思ってさ」 「か、からかわないでよ、颯矢!」 さくらは真っ赤になって抗議するが、なおも、颯矢はさくらを見つめてにこにこと微笑む。 「むぅ〜〜」 あまりの居心地の悪さに、さくらは視線をあちこちに泳がせながらこの場を切り抜けるための話題を探した。 「せ、千年って…、珠羽神社って古いのね」 そして、探しあてた話題は神社の歴史だった。巫女のアルバイトをするのだから、べつに不自然な話題ではないし、千年、という言葉にも純粋に興味があったからだ。 「そういえば私、珠羽神社の神様のこと何も知らない。松風の神様って言われているけど、どうして珠羽神社にいる神様が松風の神様なの?」 「いい質問だね、さくら。このあたりの地名は松風だろ?」 「うん」 「千年前、ここは松風領といって、珠羽領とは別の国だったらしい。さくらは珠羽と松風の伝説って聞いたことない?」 「…うん」 「この珠羽村は昔、珠羽領と松風領というふたつの領地だった。千年の昔、松風にはふたりの皇子がいて珠羽には姫がひとりいた。珠羽と松風は良好な関係を結んでいて、ふたりの皇子とひとりの姫も幼い頃から親交を深めていたらしい」 「幼馴染、みたいな関係ってこと?」 「ああ。そうなんだろうな」 「じゃあ、颯矢と蒼空と私みたいな感じね」 「………そうかな」 颯矢と蒼空は同い年、さくらは二人より二才年下だが、物心つくかつかないかの幼い頃から三人は一緒に遊んだり勉強をしたりしてきた幼馴染だ。やんちゃな蒼空がさくらをからかい、ふくれたりむくれたりするさくらを颯矢がなだめる。そんな日常が昔からの当たり前で、それは今もあまり変わっていない。 だが、表面的なことと裏側にあるものは必ずしも同じではないということを颯矢も、そしておそらく蒼空も知っているだろう。さくらは気づいていないだろうが――。 「……ふたりの皇子は同時に同じひとりの姫を愛し、それぞれが我が妻にと望んだ。けど、幼い頃からふたりの皇子と親交を深めていた姫は、どちらかひとりなど選べなかった」 「………うん。分かる気がする」 さくらが呟くように言うと、颯矢は少し意地悪な目でさくらを見る。 「ふうん…。もしかしてさくら、伝説を自分の身に置き換えたりした?」 「え?」 「だから、ふたりの皇子とひとりの姫は俺たちのような幼馴染だろ」 あ、と声をあげてさくらは頬を紅く染めた。 「べ、べつにそういう意味で言ったんじゃないもの…。ただ、ふたりが好きだったらどちらかひとりなんて選べないなって、普通に思うだけ!」 普通にね、と颯矢は一生懸命なさくらをからかうように笑った。だが、そのすぐ後には表情を引き締め伝説の続きを語る。 「どちらかひとりを選ぶことができない姫は、思いつめたあげくに自害してしまったんだ」 「そんな…っ」 絶句するさくらをあえて流して、颯矢はさらに続けた。 「ふたりの皇子たちはもちろん悲しみにくれたが、このことが切欠となって珠羽と松風は友好関係にひびを入れ戦になったんだ」 「………」 「兄の方はその戦いのさなか乱心を起こし、前後左右不覚になって、あげく体に流れる血を全て吐いた。弟の皇子は姫の死後、自暴自棄になり行方知れずとなった」 「そんな…。仲の良かった幼馴染なのに、そんな悲しいこと…」 「……やがて、ふたりの皇子たちは戦乱の中でそれぞれ非業の死を遂げ、松風は滅んだんだ」 「ひどい…」 「けど、その後、天変地異、疫病、飢饉などの禍が続けて起こるようになり、嵐の中で哭き吠える皇子たちを見たと人々が言い出した。禍が起こるのは姫を想う皇子たちの魂が安らげないまま、死んでもなお愛しい人を求めて泣いているからだと、人々は考えたんだ」 神妙な表情で颯矢が語る伝説を聞いていたさくらだったが、やがて大粒の滴をぽろぽろと零し、それはそのまま地面に吸い込まれていく。 「さ、さくら…?」 驚いた颯矢はいったん話を止め、俯くさくらの顔を覗き込んだ。 「どうした?そんなに泣いて…」 「ご、めん…。悲しくて…」 「おいおい。千年前の話だぞ」 「そうだけど…、ふたりの皇子の気持ちも、お姫様の想いも可哀想すぎて、悲しくて…。ずっと仲のいい幼馴染のままでいられたらよかったのに…っ」 とうとう顔を覆ってしまったさくらの頭を、颯矢はよしよしと撫でた。 「さくらは優しいな…。けど伝説というのはだいたい脚色されてるから…」 「そ…うなの?」 さくらは顔を上げて颯矢を見る。 「せっかくの綺麗な涙が台無しになるげど、そうだね…。そして――」 人々は皇子たちのために社を建て、姫の形見と共にその御霊を祀った。すると禍は嘘のように止み、松風と珠羽はひとつの村になって豊かな土地になっていった。 「――と、こんなオチになる」 と、颯矢は笑った。 「これが、この村に千年伝わる珠羽と松風の伝説。そして皇子たちの御霊が祀られたのがここ、珠羽神社だ」 「だから、ここの神様は松風の神様なのね」 「そういうこと」 「神様と一緒に祀られているお姫様の形見ってどんなものなの?」 「それは…」 一瞬、颯矢はらしくもなく言葉に詰まった。 珠羽神社に千年前から祀られている姫の形見、それは――。 「…装飾の品…、かな」 「装飾の?髪飾りとか、そういうもの?」 「ああ」 見てみたいな、とさくら。 「千年祭で一般公開するのよね?」 「……さっきも言ったけど、伝説というものには後世の者の創作が加わっていたりするんだよ。カミサマだって、人の想いによって生まれるものだ」 「どういうこと?」 「松風にふたりの皇子がいたことは事実だろうし、皇子たちが同じ姫を愛したこともたぶん事実だろう。けど、その後の諸々は後の人たちの想像によって創られたものだろうし、松風の神が縁結びの神と言われるようになったのも、悲恋に散った皇子たちの悲しみが人が誰かを愛する想いに溶かされて次の願いを叶える――そういう巡りを願い信じて、その願いがまた巡る、そんな人の心が造りだしたのだと俺は思っている」 「そう…なんだ…」 あくまでも、俺個人の考えだけど、と颯矢は言った。 「だから、祀られている姫の形見もそういったものだ…」 「そういったもの…?」 「あ、ああ…」 颯矢は、自分でもひどく歯切れの悪い言い方をしていると思った。本来、千年祭での公開などありえないことだということを颯矢は知っている。 だが、さくらは颯矢の言葉を素直に聞いて納得したようだ。 「でも、やっぱり悲しい伝説だと思う…。だけど、人の願いが巡って伝説を創るというのも素敵だと思う」 「さくらはそう思うんだ」 「うん…。だって、巡るというのは途切れない、終わらないってことでしょ?千年もの間、途切れずに繋がってきた人の想いってなんかすごい」 「千年の想い…か」 「私、ずっとここに住んでいるのに全然知らなくて…、知らなかったことが申し訳ないって思うぐらい…」 まだ潤んだままの瞳を揺らし、ぐすりと鼻をすするさくら。颯矢はふっと微笑んで、そんなさくらのおでこをちょんとつついた。 「泣き虫は昔から変わらないな」 「ごめん…。自分でもびっくりするぐらい泣いちゃった…」 「ああ、驚いた」 ふたりは互いを見つめ合い、微笑み合う。 伝説の哀しい余韻を残したまま、夕焼けに包まれる桜の木の下、何となくふたりいつまでも佇んでいた。 |