夢の終わり | ナノ





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夢の終わり 2

 陽が西に傾きはじめてからしばらく経つが、約束の時間が過ぎても待ち人は現れない。小さなため息をひとつ吐き、颯矢は神社の裏手にある桜林に足を踏み入れた。満開に咲いた花は薄いピンク色の郡をどこまでも広げていて、自宅ながら見事な眺めだと思う。
 桜は好きだ。春の、ほんの短い間にしか見られないこの風景だが、ここに立つと泡立った心が凪いでゆく。あと数日もすればはらはらと散る花びらが地面を桜色の絨毯に変えるか、春の嵐に花は一気に攫われてしまうだろう。どちらにしても、そんな終わりの情景までもが美しいと思う。
「そうか。“さくら”だからピンクが好きなんだな、あいつ」
 ふと口にして、そんなどうでもいいことが脳裏に浮かんだ自分に思わず苦笑した。咲き誇る桜の花を見上げていたら、同じ名前を持つ幼馴染――約束の時間になっても現れない待ち人張本人の顔がふいに浮かんだのだ。さくらがピンク色が好きだということは昔から知っていることだし、今更桜の色とさくらの名を改めて思ったところで、好きな色と名前に関連があるとは言い切れないし、とにかく、今の言は根本からばかげている。
「俺、どうかしているな…」
 なのに、
「さくら…」
 なんとなくその名を呟いて自分の右手を橙色の空を背にして映える桜にかざしていた。
「………」
 間違いなく自分の右手だ。ここにちゃんと存在している。
 自分は、存在している――。

 颯矢、どこ?と自分を呼ぶ声が聞こえて、颯矢はハッと振り返った。階段を境内まで駆け上がって来たらしい幼馴染が、不安気な顔をして自分の所在を探していた。
「こっちだ、さくら」
 颯矢は軽く手を上げながら桜の元を離れてさくらの元に歩いてゆく。さくらも颯矢の元に駆け寄って来た。
「遅くなっちゃってごめんなさい」
 時間に遅れたことを心底申し訳なさそうに謝る幼馴染に颯矢の顔がふと緩んだ。
「いや。俺が急に呼び出したんだから気にするな」
「でも、待ちくたびれたでしょ?」
「さくらを待つのにはくたびれてないけど、さっきまで蒼空がいたからヤツの相手にはくたびれた」
「…え…っ?」
 わざとらしいため息を吐いて冗談めかして言う颯矢だが、さくらは何かに傷ついたような顔をして言葉を詰まらせた。
「さくら?」
「蒼空が、いたの…?」
「あ、ああ…。さくらが来るちょっと前までいたよ。巡回パトロールで立ち寄って、いつものくだらない話をしていった」
「そ…うなんだ…」
 じゃあ、やっぱりあれは蒼空だったんだ、とさくらはぽつりとつぶやく。
「やっぱりって?」
 なんでもない、と首を振るさくらの頬を両手で挟み、颯矢は真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。
「そ、颯矢?どうしたの?」
「泣きそうな顔してる」
「し、してないよ!全然してないから!」
「そうかな?俺を誤魔化せると思うなよ。蒼空と何かあった?」
「な、ないから!何もないから、ほんと!」
 ふうん…、と颯矢はまるでさくらの言葉を信用していない目でさらに瞳を覗き込んだ。

 そんな颯矢の行為にさくらは目を泳がせ、うう…、と詰まった。確かに、昔から颯矢を誤魔化せたことはない。誤魔化そうと思ったこともなかったが、敏感な颯矢には、どういうわけか思っていることが伝わってしまうのだ。神主(見習い)だから神通力みたいなものがあるのかもしれない、とさくらは密かに思っている。嬉しいことがあった時や悩みがある時など、颯矢はいち早く察してくれるし、だから、さくらはいつも、なんでも颯矢に話してきた。というよりは、颯矢に上手く聞きだされてしまっていた、と言った方が正しい。

「はい、話して。蒼空と何があったの?」
 颯矢はさくらの頬を両手で挟んだままもう一度問い質す。それでもさくらが言いよどんでいると、柔らかな頬を優しくぷにに、とつまみ、
「ほらほら」
 にこにこと微笑みながら促した。
 だが、そんな微笑みの下にあるのは滑稽なくらいの焦燥感だった。自分の知らないさくらがいるということへの焦り。さくらのことはどんな些細なことでも分かっていないと落ち着かない。それは昔からで、だから颯矢はさくらの言葉や表情にはことのほか敏感に心が反応してしまう。もちろん、昔も今もそんな本心は表にはださないが。
「さくらー」

 にこにこ。
 ぷにぷに。

 つきあいの長い蒼空が自分を腹黒だと評価する所以はきっとこういうところなのだろうと颯矢は自覚している。
 己の腹の中には確かに黒いものが存在している。何かを欲し、焦がれ、思い通りにならないことに対する憤り――。あの、悪夢が関係しているのかは分からないが、ぐるぐると渦巻くような黒い感情が確かにある。
 ただ、そのやっかいな感情も、さくらを想えば安らぐ。悪夢から目覚めた時もそうだ。目を閉じ、その奥にさくらのこちらに微笑む笑顔を思い浮かべ見つめていれば、荒々しい気持ちが静まり、やがて安堵に変わっていく。
 さくらは、あやふやで儚い自分の存在を確かなものにしてくれる存在。颯矢が何よりも大切だと想っている唯一の人。
 だからなのか、昔から、こと、さくらが関わると、蒼空が評するところの黒さの度合いが増すらしい。そこに蒼空が絡めば真っ黒を通り越した漆黒になるそうだ。普段はおおざっぱなくせして、そういうところだけ敏感に察知して牽制球を投げてくる蒼空を忌々しく思うが、それはお互い様ということで仕方がない。
「だから、何でもないの。ここに来る途中で、蒼空が女の人といるのを見かけただけ」
 やっと聞き出した内容だったが、颯矢はややあっけにとられた。
「……え?」
 そんなことか、と思えばかなり脱力する。だが、それがさくらの憂いになっているなら問題は別のところにいく。
「………」
「だから言ったでしょ。何でもないんだって!それより、私に頼みごとって何?颯矢が私を頼ってくれるなんて珍しいね」
 さくらが気を取り直したように話を本題に持ってきた。
「あ、ああ…。頼みごと…、そうだったな」

 ――俺がさくらを頼るのは珍しい、か…。

 そんなことはない。
 たぶん、ずっと昔からさくらの知らないところで、その存在に頼っている。朝も、昼も、夜も、正体不明の不安と戦いながら、さくらを想っているのだから。
「さくら…、」
 今、さくらに話してしまおうか。悪夢のことも、霞む手のことも。あやふやに思えて仕方がないこの存在に対しての不安を――。
「うん。言って!私、颯矢の頼みなら何でもやるから」
 花のような笑顔を向けてさくらはそんなことを言ってくれる。そんなさくらだから、自分はこんなにも救われるのだろう。
「……っ」
 言葉が喉まで出かかったが、颯矢はそれをため息ひとつに変えて不可解な不安に苛まれている気持ちに折り合いをつけたのだ。





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