さくらを抱いて疾風は長い螺旋の階段を上って行く。石の壁にこつりこつりと響く音はいつまでも続く。さくらはだんだんと不安になってきた。 「どこまでのぼるの?」 「そなたの部屋まで」 「私の…?」 そういえばさっき、疾風はさくらに部屋をひとつ与えると言っていた。今、上っているのは海の絶壁側に建つ高い塔だ。疾風はその一室をあてがってくれるつもりなのだろうか。 ようやく足音が止まり、扉の前に立つ。疾風は懐から鍵を取り出して回した。 「今日からここがそなたの部屋だ」 開け放たれた扉をくぐり中に入れば、そこはまるでお伽噺に出てくるお姫様の部屋のようだった。白い薄布が美しいひだを提げた天蓋付の大きな寝台。琥珀と螺鈿を贅沢に使った三面鏡に卓、揃いの椅子。今は夜だから波の音が聴こえるだけだが、広い窓の外はどこまでも続く海原。 「こ…、こんな豪華なお部屋じゃなくても…」 すっかり気おくれしてしまったさくらは戸惑い隠せない。 「言っただろう。そなたはわが城の客人だ」 「だって私、お城の客人扱いしてもらえるような身分じゃない。足もこんなだし、抱いてもらわないとひとりではここまで上って来れないただのお荷物よ」 「なかなか謙虚なことを言う。だが、気にするな」 そなたは俺が召いたのだから…、と疾風。 「え…?」 疾風はさくらを寝台に下ろすと、卓に飾った大きな花瓶に手をかざした。 「花が寂しいだろう。少し咲かせよう」 さっきと同じ術を使い、花瓶の中は色とりどりの花が咲く。何度見てもその光景は鮮やかで不思議で、さくらは目を輝かせて見入った。 「でも疾風。時を早めて咲いた花は枯れてしまうのも早いんじゃないの?」 「そうだな」 あっさりと言う疾風にさくらの顔が曇った。 「……花の命が短くなるのは悲しい」 「花は一瞬で咲き一瞬で散るが美しい」 「そういう人もいるけれど、私は少しでも長く見ていたい」 「なるほど…」 疾風はさくらの隣に腰掛け、 「まるで同じことを言う…」 さくらの瞳を、その中にある何かを探すかのようにじっと見つめた。その視線の深さに捉えられ、さくらは身動きが出来なくなった。 「同じことって…、誰と?」 「……そなただ」 「意味が分からないわ…」 首を傾げるさくらに、疾風はふっと笑った。 その時。 窓の外に強い閃光が走り唐突に雷鳴が轟いた。 「きゃあ!!」 気が動転したさくらは思わず疾風にしがみついていた。突然の雷は激しい雨を連れてきて、瞬く間に外は激しい嵐となった。 さくらは雷が怖い。音も稲妻も怖いが、理由よりも本能が受け付けない。昔から雷が鳴ると足がすくむほどの恐怖に襲われ、震えて動けなくなる。それは今も例外ではなく、疾風にしがみついたまま顔を上げることも出来ない。 「ご、ごめんなさい、私…!領主様にこんな…抱きついたりして…!でも…」 雷が続けて鳴りさくらはきゃあきゃあ叫んで疾風から離れられない。 「別にそのようなことは気にしなくてよい。だがそなたはそれほどに雷が怖いのか?」 こくこくとうなづくのが精いっぱいのさくらはまたの雷鳴に悲鳴をあげた。 「……なぜ、雷を恐れる」 「わ、分からないわ。でも、怖いものは怖いの。昔からよ…!」 腕の中で震えるさくらを見下ろしていた疾風は、抱きしめるように回していた腕に力をこめて、その言葉を言ったのだ。 「―――ようやく…、俺の元に還ったな、楓」 低く、強い響きを持った声で。 「……え?」 雷鳴に重ねて聴いたその声は――。 ――楓よ。俺の声を聴け…!我が喚びかけに応えろ…!! さくらを喚び続けたあの声と同じ。 さくらは恐る恐る顔を上げ、疾風の顔を見上げた。 強い雨風が窓を激しく打つ、その振動が室内の空気を震わせ、蝋燭の灯がふつりと消える。闇の中、光る稲妻が疾風の端正な顔を妖しく青白く映し出した。 「疾風…なの?私を喚んだのは…」 「そうだ」 「…!!」 肯定する漆黒の目は、いまや冷酷にさくらを見下ろしていた。混乱したさくらは疾風の腕の中から逃れようと激しく暴れるが、疾風はさくらの両手首をがつりと掴んでそのまま寝台の上に押し倒し、己の体で押さえつけた。 「放して!」 「放すものか!」 先ほどまでの疾風とは違う、強い言葉がさくらの動きを封じる。 「ど…うして…?どうして、私を…」 疾風の顔を見上げ、恐怖に震えながらさくらはずっと気になっていたことを問う。 なぜ、ここに喚ばれなければならなかったのか。その、理由だ。 なんのために、ここへ――。 「そなたが、楓…楓姫の生まれ変わりだからだ」 だが、疾風の答えは耳を疑うほど、不可解なものだった。 「……なにそれ…。楓姫なんて、知らないわ…!私は、さくらよ…」 「そうだな。だが、そなたの魂は楓と同じだ。そなたのその顔も声も楓を写したも同然」 ――何を言っているの…? 知らない人の生まれ変わりだから喚ばれたなんて、そんなこと受け入れるはずがない。 「ようやく…、ようやくこの手に還った、そなたは楓なのだ」 「違うわ!私は楓なんかじゃない!放して!」 窓を打ち付ける嵐に轟く雷がさくらの叫び声など簡単にかき消してしまう。疾風は拘束の力をますます強め、さくらの耳元に唇を押し付けて囁いた。 「そなたが雷を恐れる理由を教えてやろう…」 「……え?」 威圧的な行為や口調とは裏腹に、さくらの瞳を見つめる疾風の目は悲しみに捉われた者の目だ。そんな疾風の瞳に心を吸い込まれ、命の底からこみ上げるせつなく苦しい塊に胸をおしつぶされたさくらは抵抗ができなくなった。 「そなたが雷を恐れるのは、翔流の許嫁であった楓を雷鳴が止まぬ今夜のような嵐の夜に、俺が凌辱したからだ」 「…な…っ!」 ――翔流の、許嫁……?! 「嵐は七日七晩続いた。翔流を想い泣き叫ぶ楓を、俺は何度も、何度も、な」 「そ、んな…。酷い…!」 「酷い、か…。そうだな」 疾風はさくらの額に手のひらをかざす。 「な、なにを…」 意識を遠くに持っていかれるような感覚に襲われ、さくらはその力に抗おうと必死に首を振った。 「七日目の夜、楓は嵐の中に身を投げて死んだ。この部屋の、その窓から…!」 「…そ…んな…っ」 打ち付ける嵐に堪えきれなくなった窓が、音を立てて内側に開いた。激しい雨と風が部屋の中に吹きこみ、卓上の花瓶を床に落とす。 「…俺が“酷い”仕打ちを強いたために楓は…、そなたは死んだ…!」 自虐的に言い放ち、疾風はさくらの瞳を見据える。まるでその中に楓姫の魂を探すかのように。 「し…、知らない…っ。私は、楓じゃない…ものっ!」 遠くなる意識に必死にしがみついてさくらは首を振る。楓姫なんかじゃない、さくらだと、自分を見失わないように。 ――でも…っ。 翔流が好きだった人も楓姫…? 遠くに行ってもういない、翔流が死にたいと思うほどの疵になっていた人が楓姫なの…? 「――楓だ!だからそなたは雷を恐れるのだ…。己が受けた疵を雷鳴が呼び覚まそうとするからな!」 「ち、違うわ…!私は、楓姫じゃない…!」 「楓なのだ!!」 「や…めて…!私は……、さくらよ!楓姫は、死んだんでしょ!?」 「ああそうだ!死人は蘇らぬ。だから先の世にいる楓の生まれ変わりを探した」 「狂ってるわ…っ!どうして、私が……、」 「俺の召喚術に応えたのが何よりの証。そなたの魂には楓の記憶が刻まれているのだ」 「し、信じられないわ…!私はただ、聞こえる声に応えただけよ!たったそれだけでどうして…!」 楓姫なんて知らない、とさくらはもう一度叫ぶ。 「――ならば思い出す切欠をやろう…!俺に在る楓の記憶をそなたの魂に直接移してやろう…!」 一際激しく鳴った雷鳴に魂を貫かれたかのようにさくらの意識は深い闇に沈んでいく。薄れていく意識の中でさくらが見たものは、破片が飛び散った花瓶と床に無造作に投げ出された花たちだった。 |