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第二部 2 慟哭

『あきづき…、割れちゃったね』
『これの欠点は長くは持たないってことなんだ。ごめんよ姫』
『ううん?見せてくれてありがとう。すごく綺麗だった…!』
『翔流の策は失敗だな。傷心の姫はオレの術で慰めよう』
『わぁ、はやてすごい!つぼみ、あっと言う間にお花が咲いたわ!』
『今はこれだけだが、いつかもっとたくさんの花を咲かせてあげよう』
『ほんと?約束よ、はやて』
『ちぇっ。また兄上にいいところ持って行かれた…。ならばオレは強くなって楓姫を守るから』
『まあ頑張るのだ、翔流』

 あの頃のままでいられたなら、どんなによかっただろうか。
(魂に、直接…?これは、なに?)

『姫はオレと兄上、どっちのお嫁さんになりたい?』
『んーと…、楓ははやてのお嫁さんになる』
『そうか。楓姫はオレの嫁になってくれるんだな』
『ええー?どうして兄上なの?!オレ、剣強くなったよ?姫をちゃんと守れるよ?』
『だって、はやてはお花咲かせられるから。あと、楓ははやてが好きだから!』
『…だそうだ、翔流。楓姫はオレがもらう。悪いな』
『……兄上には敵わないや』

 無邪気に笑っていられたあの頃のまま、いつまでも。
(胸に言葉が流れ込んでくる…?)

『楓姫は翔流の奥に迎えることになった。そなたの気持ちを思えば哀れだが、珠羽は病に冒され子を成せないそなたに姫を嫁がせるわけにはいかぬと申すでな』
『もっともです、父上…』
『姫も翔流も了承している。来月、婚礼の式を執り行う』
『翔流は楓姫を何よりも大切にするでしょう…』
『すまぬ、疾風』

 打ちひしがれて。
(疾風……?)

『兄上、本当によいのですか?』
『よい。楓姫を生涯守ってやれるのは俺ではなく翔流だ』
『ですが、兄上は…!』
『……よいと言っている』
『分かりました…』
『………姫を幸せにしてやれ』

 ひとり、慟哭した。
(疾風の声が胸の中で響いている。真っ暗で、なにひとつ形は見えないのに、分かるのはどうして…?)

 幼い頃から想い続けた、たったひとりの愛しい姫君。
 病にさえ冒されなければ、珠羽の姫君楓姫は松風嫡男の俺が娶ることになっていた。
 だが、楓を病に冒され子も成せない俺に嫁がせるよりは、優れた武将の翔流に嫁がせた方が先の松風、珠羽の安泰に繋がると両国の領主が取り決めた。

『翔流に嫁ぐようにと父上に言われました…』
『そなたは、翔流が嫌いか?』
『好き…です』
『……ならば、俺はふたりを祝福するだけだ』

 それは、血を吐く思いで楓に言った別離の言葉だった。
(胸に伝わり観える、不思議な夢…)

 俺を置き去りにして楓と翔流は手を取り合い、瞬く間に婚礼の準備が整った。
 だが、父上が急逝して領主を継いだ俺を援けるため、翔流の身辺も慌ただしく変わり婚礼は延期となった。

『すまないな、楓姫。もう婚礼の支度も整えていたというのに』
『私はいいのです。今、松風は大変な時ですから』
『翔流に逢い来たのだろうが、あいにく昨日、あれを北へ行かせてしまったばかりだ』
『そうですか…。ならば翔流が戻ったらまた来ます』
『それでは二度手間になろう。翔流は七日で戻ってくる。ここで翔流の帰りを待てばよい』
『でも、それでは…』
『ここには幼い頃から幾度も滞在しているだろう。それに、そなたはいずれ松風の者になるのだ。遠慮などするな』
『はい。城主様がそうおっしゃってくださるのなら、では遠慮なくそうさせてもらいます』
『城主様などと言うな…』
『ふふ。ありがとう、疾風』

 その晩はひどい嵐になった。
(悲しい…。私に流れ込んでくるこの気持ちは、誰のもの――?)

 ◇

 楓を塔の部屋に案内してからしばらくして、急に海が荒れ始めた。島国の西の外れを領地とする松風はよく大風に見舞われる。雷雲が広がり暴風雨が吹き荒れ、そして雷。
 ひとり、塔の部屋にいる楓が怯えているのではないかと上ってみれば、案の定、楓は嵐に怯えて泣いていた。

『疾風…!』
『やはり泣いていたか。そういうところはいつまでも幼い頃のままだな』
『だって…っ』
『嵐が止むまでここにいてやるから、もう泣くな』
『ありがとう…』

 雷が鳴るたびにびくびく怯える楓姫が哀れで、何か気を紛らわせてやれるものはないかと思った時、花瓶に挿した花の枝に目がとまった。まだ蕾を付けただけのそれを手に取って楓姫の前に差し出し術をかけたが。

『いつ見ても疾風の術はすごいわ』
『そなたが喜んでくれたならなによりだ』
『でも…、今、思ったの。術で時を早めて開いた花は枯れるのも早いのではないの?』
『そうだな』
『そんなにあっさり言わないで。花の命が短くなるのは悲しいわ…』
『花は一瞬で咲き一瞬で散るが美しいと俺は思うが』
『私はできるだけ長く見ていたいわ。こんなに綺麗に咲いているんだもの…』
『悲しげだな、楓』
『………』

 幼い頃は喜んでくれた術が、今は悲しませるものに変わってしまっていた。
 人は変わる。
 俺の嫁になりたいと、俺が好きだと無邪気に言っていた楓が、翔流の妻になるのだから。

『ならば、あの約束は果たせないな』
『約束?』
『そなたは忘れてしまったか。いつかもっとたくさんの花を咲かせてやろうと、俺がそなたに約束したことを』
『忘れてなんかいないわ…。でも、たくさんの花が一瞬で咲いても、その分たくさんの花の命が短くなってしまうのは、とても寂しい気がするの…』

 稲妻が滝のように闇から海に走り雷が轟いた。
 突然の音にひどく怯えた楓が俺の胸に飛び込んで来た。

『楓…姫…っ』
『ごめんなさい、疾風…!』
『いや、いい…』

 慌てて離れようとする楓をさりげなく抱き寄せた。今ひととき、楓の温もりがここにあればいいと思っただけだった。
 だが――。

『この嵐は…止みそうにないな』
『嵐が止むまで…、ここにいてくれるのよね?』

 ふたり、同時に放った言葉だった。そして、確かに俺はそう言った。だが今、止みそうにないとも言った。
 止みそうにない嵐の夜に、嵐が止むまでここにいてとすがる楓。
 ささやかな温もりだけで耐えようとしている俺に無防備にしがみついて。俺の腕の中で震えて。やっとの思いで楓への想いを封印し、翔流との結婚を祝おうとしている俺に。

 コノアラシハ テンノ ナサケ――。

 俺の中に棲む何かが囁いた。俺から一番欲しいものを奪った代わりに、天が与えてくれた一時の情け。嵐が止むまでは楓は俺のものだ、と。
 肯定するかのような雷鳴が轟き、理性の糸が焼切られた。

『術の花はもう咲かせない。だが、別の花をそなたに咲かせ約束を遂げよう』
『別の花?』

 楓を寝台に押し倒して着物を開き、白い素肌にくちづけの雨を降らせ無数の花を咲かせた。一瞬でなど消えぬ、鮮やかで呪わしい花を。
 楓が弟の婚約者であることも己が領主であることも顧みず、欲しいと願う愛しい人を奪うことしか頭になかった。
 渇望の塊で楓を割り、想いの楔を打ち込み、抵抗しようが泣き叫ばれようが、轟々響く雷鳴を聞きながら雨風が窓を叩く激しい嵐と同じように、ただただ激しく強く楓に己を打ち付け続けた。

 嵐が止むまで――それが天に与えられた時間。

 だが、翌日もその翌日も嵐は止まず、だから、翌日もその翌日も楓を嵐のように抱く、そんな日が七晩続いた。楓が身を投げる最後の最後まで、嵐は止まなかったのだ。







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