やっと、やっと、やっとこの手に…! もう、手放しはしない。 わが命ある限り、そなたを――。 ・ ・ 晩餐のあと、翔流はさくらを抱いて疾風の私室を訪ねた。 「俺に話とはなんだ」 兄弟だけになった疾風は態度も口調もずいぶんと砕け、だからなのか、さくらも先ほどのような緊張はしなくてすんだ。 「さくらの足を視て欲しい。腱が断たれ薬師ではどうにもならないが兄上の術ならば、さくらは再び歩けるようになるかもしれない」 「………そうだな。ならば、さくら殿を寝台に」 翔流はさくらを寝台に寝かせた。 「翔流…っ」 翔流と入れ替わるようにして疾風が近づくと、さくらは反射的に翔流を目で追った。 「大丈夫だ、さくら」 「うん…」 そんなやりとりをするふたりを疾風はチラリと横目で見てからさくらの足首に触れた。そして、手のひらを傷痕にかざして気をそこに集める。 「何をしているの…?」 「傷を読んでいる」 「……………え?」 さくらには意味が理解できなかった。傷を読むとは、医者が状態を診ると同じ意味だろうか。それにしては疾風は傷口には手を触れず、ただ手をかざしているだけだ。 そもそも術とはどういったものなのだろう。メスを入れる西洋医術がこの時代にあるとは思えないから、ツボとか気功とかの東洋医術の“術”かと思っていたが、それも何か違うようだ。さっき翔流は、術は神官から種を授かって扱うものだと言っていたけれど。 「深いな……」 しばらくして疾風は重々しく呟いた。そして、さくらの顔を見つめる。 「……疾風?」 「兄上…」 「……大丈夫だ、傷は治る。時間はかかるがな」 疾風の様子から絶望的な言葉が聞かされることを覚悟したが、さくらと翔流は明るく輝かせた顔を見合わせた。 「よかった」 「歩けるようになるのね」 「だがすぐには無理だ。これだけの傷を癒すには毎日少しずつ逆行術を施さなくてはならない」 「逆行術?」 「傷を負う前の状態まで、この部分の時を戻すのだ」 「そんなことができるの!?」 信じられない…、と呟くさくらに、見せてやろう、と疾風は花瓶に挿してある花のつぼみに手のひらをかざした。 つぼみは震え、少しずつ少しずつ花びらを開いていく。息を止めてその様子を見守るさくらの目の前で、花瓶のつぼみは真っ白な花に開いた。 「すごい…。お花、咲いちゃった…」 「つぼみの時を少し進める先行術を使った」 「すごいわ。魔法使いみたい…!初めて見たわ」 「次はもっと…、たくさんの花をそなたに咲かせてやろう」 疾風が言ったその言葉にさくらの胸が先ほどと同じように、どくん、と鳴った。 痛みと感じるぐらいに、今度は強く。 (どうして――?) 漆黒の疾風の瞳に見つめられるのが少し怖い。だが、そんな不安も翔流の言葉によってすぐに消滅した。 「歩けるようになったら連れて行ってやりたいところがある。俺が好きな花が咲く場所にな」 「それって、前に翔流が話してくれた。故郷の…」 「ああ。桜だ。この城の内にその桜の木がある」 「行きたいわ!翔流と一緒に、その桜を早く見たい!」 「ああ。見せてやる。子どもの頃、父上に叱られたり兄上との喧嘩に負けた時はその桜に癒された」 「翔流、疾風と喧嘩して負けたんだ…」 「あ、兄上は喧嘩に術を使うんだぞ?」 「ふふ。翔流ったら言い訳してる」 ふたりの間に挟まれた疾風を飛び越えて言葉のじゃれ合いをする翔流とさくらは、誰が見ても……。 「……残念だが翔流。さくら殿の足は春にはまだ無理だろう。それに、そなたには明日から軍を率いてもらわねばならん。いつ戻るかも定かではないのに儚い約束をするのはさくら殿が哀れだぞ」 「分かってる…」 「翔流、やっぱり軍に行ってしまうのね…」 「ああ…。すまんな、さくら。そなたをひとりにしてしまう…」 翔流はさくらを寝台から抱き上げて、額にコツンと自分の額を合わせた。 「いつ帰れるか分からないが、ここにいれば安全だからさくらは早く足を治せ」 「うん…」 「先ほどから気になっていたが、そなたらは…」 「……俺の疵は…、このさくらに癒されました」 「――――!!……ならば、さくら殿はそなたの…」 「いずれは我が妻にと考えています」 「…妻…!?」 驚いて目を見開くさくらに翔流は囁いた。 「いやか?」 さくらはふるふると首を横に振った。 そんなふたりの様子に疾風がぽつりとつぶやいた。 「………そなたの疵は真に癒えたのだな」 「昔も今も、俺は“桜”に癒される。さくら…、ずっと考えていた。戻った時はそなたを妻に迎えたい」 「……私も…、翔流のお嫁さんに…なりたい!」 「ありがとう、さくら…」 どちらからともなく寄せ合う唇。 疾風の視線があるのも忘れ、存在を与え合うようにふたりはひとつに重なり深いつながりを求め合った。 「………」 コンコン、と扉を叩く音が響いたのはそんな時だった。 「失礼します。翔流様はこちらにおいでですか」 「ああ」 「明日の出立に備えて軍議を少々」 「分かった。今、行く」 城に戻ればこうなることは分かっていたが、翔流は小さなため息を吐いた。 「…………戻ったばかりで慌ただしい思いをさせるな、翔流」 「いえ。武将の勤めです」 「すまぬ。今しばし、そなたの力を貸してくれ」 「御意」 「―――さくら殿は俺が部屋まで送り届けよう。そなたは軍議に行け」 一瞬。 翔流は疾風の申し出に躊躇いを覚え、さくらは翔流の首に回した腕にきゅっと力を入れた。 「翔流…っ」 行かないで、とさくらの心が叫ぶ。だが、決して口には出せない願いだった。 そして翔流も、放したくないと求める本心を声には出来ずに瞑目する。 「さくらを…、頼みます、兄上…」 「…………ああ」 翔流はさくらを疾風の腕の中に託した。 「翔流…っ」 さくらの手が離れていく翔流に触れながら追いかけるが、ふたりの距離が開いてやがて放れて。 「………っ」 翔流は兵が待つ扉の外へと歩き出した。 「翔流……!」 さくらの呼びかけに振り返った翔流は、せつなさと寂しさを混ぜた顔からやがてにこりと微笑んだ。 「では、またな、さくら」 「翔流…!」 そのせつなく優しい笑顔は、翔流の姿が扉の向こう消えた後もさくらの瞼の裏に深く深く刻まれたままだった。 |