ひとつの寝台でふたり。 雷は怖くて翔流から離れられないのに、さくらの体は可笑しいくらいに翔流の腕の中で硬直している。 「これじゃ、眠れないと思う……」 雷鳴も稲妻も怖いし、翔流の傍でどきどきしているし、とにかく心臓に悪すぎて。 「………」 だがそれは翔流も同じだ。一石二鳥だからさくらの隣を貸せなどと言って、こうしてひとつの寝台で横になっているだけではなく抱きしめているのだ。 それは雷を恐れるさくらを守りたいからという理由からだが、今、さくらがここで顔をあげたら唇同士が触れ合ってしまうほどに近い。 「雷は怖いし翔流に寒い思いもしてほしくないのだけど…」 さくらの気持ちはよく分かる。 抱き上げたり、支えたり、額同士を合わせたり、普段からさくらとの密着度は高いほうだ。 だが、それらとこれはまるで違う。さくらと寝台を共にすることが、これほどにも精神的にも自制心を保つにも困難なものだとは考えに至らなかった。 ――不覚…っ。 ただ、雷に怯えるさくらを守らなければという思いと、風邪を心配するさくらの気持ちを尊重したいと思っただけなのだ。いつもより距離が近くなっただけでこれほどに自分の心が揺れるとは、翔流自身思っていなかった。 「そうだな…。やはり俺はあっちへ…、」 翔流が離れようとすると、待って、とさくらが腕を掴む。 「さくら…」 心が跳ねた。しっかりと腕を掴んでいるさくらの指に胸が疼く。 「翔流はここで寝ていいの。私が…、」 「だからそれはダメだとさっきも言っただろう」 「でも…っ」 雷。 さくらの悲鳴。 翔流のため息――。 「ならば、こうしよう」 翔流は向かい合っているさくらの体をくるりと向こう側へ向け、背からそっと抱きしめた。 「翔流…?」 「こうしていればそなたは雷を恐れず、俺もこのままここで眠れる」 顔を見合わせているよりは、互いに幾分平静でいられる……と思う。 「……うん」 「もう、余計なことは考えずに眠れ」 「うん…」 さくらは翔流に背を向け、翔流はさくらの背を抱き、ふたりは同時に目を閉じた。 止まない雷が鳴るたびにさくらはびくびくと震えるが、翔流は閉じ込めるようにさくらの背中を抱きしめる腕に力を込めた。 やがてさくらの息遣いが規則正しいものに変わる。こうしていることで安心して眠りについてくれたことが嬉しくもあり、ほんの少しせつなく思うのは、男の身勝手だろうか。 「さくら、俺は……」 眠れそうにない。 ・ ・ 真っ黒な闇が迫ってくる。 逃げても逃げても、逃げ道を塞ぐように闇が広がっていく。 『さくら!』 誰かの手が闇の外から伸びて来てさくらの手を必死に取ろうとしてくれる。 (翔流…!) さくらも自分の手をめい一杯伸ばしてその手を掴もうとするけれど。 ――我が元へ還れ…! あの声がそれを阻み、雷鳴が轟く。 さくらに伸ばされていた手がどんどん遠くなって闇に呑まれ。 闇の中に落とされたさくらは乱暴な手に捕まえられ地面に押し倒される。 (ああ、また…) 闇の中から伸びてきた無数の手に着物を開かれ、躰中を弄られ。 (もう、いや…) 荒い吐息、ねっとりした感触が全身に絡みつく悪夢が始まる。 (助けて…) 見えない手に体を押さえつけられ、ただされるがままに犯され、出ない声を張り上げても延々と続く凌辱。 鳴り止まない雷。 堕ちていく。 どこまでも、どこまでも――。 うなされ涙を流すさくらの手を翔流はきつく握りしめた。 「さくら、さくら」 名を呼べばさくらの手がぎゅっと握り返してきた。昼間の笑顔を絶やさないさくらとはまるで違う、眠ってからのさくらは未だ絶望の涙を流し怯え続けている。 「かける…、かける…っ」 「さくら…」 不謹慎だとは分かっていても、他の誰でもない、自分の名を呼んでくれるさくらに愛しさがこみ上げる。毎夜毎夜、さくらはうなされ、無意識の中で翔流を呼ぶのだ。 「俺は、ここにいる」 汗に濡れた髪を撫で流れる涙を拭ってやると、少しずつさくらは落ち着いて再び穏やかな寝息をたてはじめた。 それでも握った手を放すことができない。抱きしめる腕を放せない。いつの間にか、雷は止んでいるというのに。 「さくら――」 こんな夜を、翔流はもう幾夜も過ごしている。さくらが悪夢に怯えるたびに、助けた日の姿が生々しく目に浮かんで眠れない夜が更けていくのだ。 「………っ」 さくらを凌辱した賊どもはあの場ですべて斬り捨てた。だが今、何度も殺してやりたいほど、あの賊どもが憎い。もうそれが出来ないことが悔しくてたまらないほど憎くてたまらない。このさくらを傷つけて、凌辱して、こんなにも心に傷痕を遺したあの賊どもが。 守ってやりたいと思ったのは、さくらが亡き人に似ているからだと思っていた。だが、こうして寝床を共にして抱きしめて思い知るのは別の感情だ。 「さくら…」 その想いに突き動かされて壊れるほどに抱きしめてしまいたい衝動が突き上げる。 だが、さくらを壊したくはない。何よりも今は、さくらを恐怖に陥れるものすべてから守りたいのだ。 悪夢からも雷からも。 「かける…、」 眠っているさくらの唇が翔流の名を紡いで動けば、本能はさくらに向けて猛る。 「……、ここに、さくらの傍にいる…」 翔流はやっとそれだけを返し、力を入れすぎないよう自制しながらさくらを抱きしめる。 今はまだ、さくらの傍にいる。だが、いつまでもこのように傍らで寝顔を見つめる夜は続かない。 だから今は。 今だけは、さくらが安心して眠れる場所になりたいと思うのは紛いない本心だが。 「さくら――」 背から抱きしめたまま頬に触れようと伸ばした手を、そこには触れずにそのまま髪へと持っていく。流れる後ろ髪をそっと横によけ、そしてためらいながら、翔流はさくらの細い首筋に唇で触れる。 「………ん」 吐息と感触がくすぐったかったのか、さくらはぴくりと震えて首をすぼめた。 翔流は、いったい己は何をしているのだ、と自分を省みて深いため息を吐く。 『くちづけとは神聖なもの……』 昔、訊いた言葉が翔流の脳裏を掠めた。 神聖だからこそ触れたい。 だが、神聖だからこそ、もっとさくらに触れたいと思う本能からの願いを理性で押し込める。 今夜も、眠れない夜が更けていくのだった。 |