「今日は市がたつ日だな。さくらも行ってみるか?杖で行くのは少し大変だろうが疲れたら抱いてやる」 それは先ほど家の備品の残りを確認していた翔流が、そろそろ茶葉が無くなる、燭の油も切れそうだ、と思ったことから思いついたことだった。 「行きたい!」 さくらが間髪をいれずに誘いを受けたものだから、今、ふたりはこうして市までの道を歩いている。 杖を使って移動することはできるようになったがひとりで市へ行けるほど自由ではないさくらは、両隣のおばさんおじさんの家以外、小屋の外に出たことがない。 よいしょ、よいしょ、と声に出しながら両脇の下に挟んだ杖を支えにして一歩一歩前に進むさくらの隣を、何かあればすぐに手が伸ばせる心づもりをしてゆっくりと歩いている翔流だが、今のところその必要には迫られていない。 「上手いものだな、さくら」 正直、すぐにさくらは疲れてしまうだろうと思っていた翔流は、器用な杖の使い方にすっかり感心してしまった。 「翔流が作ってくれた杖がとっても優秀だからよ。私の体にちょうどいいし、体重をかけてもしっかり支えてくれるもの」 「そう言ってくれるのは嬉しいが、俺は感心したぞ。道は滑らかではないからな。すぐにねを上げるかと思っていた」 「そうなの?なら、ご期待に沿えなくてごめんなさい」 ふふ、と笑うさくらに翔流も笑う。 「さくらは、ほんとうに努力家なのだな」 「そんなことはないと思うけど…」 杖で歩けるようになるために頑張ったのは確かだ。動けなければ翔流のために何もできないから。翔流の為に自分にできることは何でもしたいと思っているから。 「さあ、市が見えて来たぞ。ここまでよく歩いたな」 通りの両脇に、農作物を売っている店、油や乾物、金物など日常品の店から、装飾品や衣料品、玩具など娯楽品を売る店まで、いくつもの出店が並んでいた。 「わぁ…!お店がたくさん!」 さくらと翔流はとりあえず茶葉と油を買ってから出店を見て回った。 活気にあふれた市の様子は、初めてそれを見るさくらにとっては何もかもが珍しく、まるで祭りや縁日にでも来ている子どものようにはしゃいでしまう。 「さくら、足元に気をつけるんだ」 「うん!」 と言いながら、さくらの気は魅力的な市の店たちにかなり急いているらしい。ここでは時々翔流が手を伸ばさなければならない状況になった。 「だからそう急くな。市は逃げないぞ」 「気を付ける…」 螺鈿細工の手鏡にうっとりし、鮮やかな色遣いの織物に目を輝かせ、木彫りの人形に微笑むさくら。 翔流は気をもみながらも、嬉しそうなさくらについ顔がほころんでしまう。 茶葉と油を買いに来ただけだったが、そんなこんなで寄り道の方が長く、一通りの店を見て回ってそろそろ帰らなければ日が暮れてしまうからと帰途についた時、 「これ、なに?」 市の一番外れに開かれた出店の前で、さくらは足を止めた。 格子に編んだ竹の柵に、風船のようなものがいくつも吊り下げられている。薄い桃色の小さな実が半透明の風船のような皮に包まれている、見たことのない植物のようだ。ほおづきに似ているがそれよりふた回りほど大きく、実を包んだ皮の大きさはりんごぐらいだろうか。 「これは珍しいな。あきづき(秋満月)か」 「袋の中に実が入ってるけど、食べられるものなの?」 「いや。あきづきの実は染料に使う。昔はよく見たが、ここ最近はほとんど見てなかったな」 「あきづきはそんじょそこらにはない高級品なんだ」 旦那ひとつどうだい?と店の者に声をかけられて翔流は吊り下がる房をひとつ手に取った。さくらが物珍しそうに翔流の手の中にあるあきづきを覗き込んだ。 「実を袋が包んでるって、すごく可愛い」 「そうだろう?このまるっとした形が良家の奥方さんたちに人気なんだ。見て可愛いし染料としても使える。普段は市には出さないが今日は特別だよ。奥さんはあきづきを見るのは初めてかい?」 「奥さん!?」 店主に奥さんと呼ばれてさくらはすっとんきょうな声をあげた。とっさに翔流を見ると、ポカンとした顔で無言でみるみる赤くなっていく。そんな翔流を見れば、なんとなくいたたまれない気持ちになってさくらも赤くなる。 「なーにふたりで赤くなってるんだい。初々しいねぇ。新婚さんかい?旦那、可愛い奥さんにひとつどうだい?」 「い、いえ私たちは新婚じゃ…」 「も、もらおう…!」 翔流は手に持った一房分の代金をそそくさと支払った。それからひょいとさくらを抱き上げその場を後にする。ありがとさん、の声に送られて翔流は足早に市の通りを駆け抜けた。 「翔流?私、まだ歩けるわよ?」 翔流は無言でさくらを抱いたまま歩き続ける。だが、歩調はだんだんとゆっくりになって、やがて止まった。 「さくら、空を見てみろ」 翔流が指をさす空を見上げてさくらは、わぁ、と声をあげた。 「綺麗な夕焼け」 「ああ。見事だ」 ちょうど川がすぐそばに流れている。翔流はその淵までさくらを抱いて下りていき、土手の上にさくらを座らせ自分もその隣に座った。 ふたりは並んで目の前に広がる夕焼けを見上げた。 「あのおじさん、新婚さんだなんて、びっくりしちゃったね」 「……行商の者は若い男女を見ればみんなそう言うのだ」 「そうなんだ…。知らない人が私と翔流を見ればそう思うのかな…って。私たち、そんなふうに見えるのかなって、ちょっと思ったのに」 「………」 夕焼けを映しているからか、頬を朱く染めて空を見上げるさくらの横顔を翔流は見つめる。 さくらと出逢ったのは春の頃。 亡き人に瓜二つで深刻な怪我を負ったさくらを放っておけず、ともに暮らして夏が過ぎ、秋になった。 保護する者と保護される者という関係性で暮らしているが、はたの者はそうは思わないだろう。こうしてふたり並んで夕焼けを見ていたり、さくらを抱いて歩いていれば、さっきの店主のように夫婦と思うに違いない。 ――いや、そうとは限らないか…。 兄妹、と見える場合もある。どちらかといえばこちらの方がしっくりきそうだ。 ならばやはり、さっきの店主は世辞を言っただけだ。仲良さげにみえる男女に夫婦と言えば、翔流のような男が喜んであきづきを買うだろうから。 さくらを見つめながらそんなことをとりとめもなく考えている翔流だったが、ふいにさくらが顔をこちらに向けたので翔流はとっさに視線をあきづきに移した。 新婚かと訊かれ否定しようとしたさくらを遮るようにして、つい買ってしまったあきづき。 何故、自分はとっさにそんな行動をしたのだろう。あの店主の言葉よりも自分が取った行動がいたたまれなかった。だからバツが悪くてここまで足早に歩いて来てしまったのだ。映える夕焼けに気づかなければ、頭が冷えないまま小屋に戻り気まずい思いをしていたかもしれない。 「あきづきって綺麗な名前ね」 翔流の視線をたどりさくらは言った。 「秋の満月と書く。こうして陽にかざすと半透明な袋が月の色に見えるだろう」 翔流があきづきを空にかざすと本当に丸い月のように見えた。 「幼い頃はこの袋を膨らませてみたり水を入れてみたりの遊びをした」 「これって遊ぶものなの?」 「そうではないが、子どもとはそこにあれば何でも玩具にするものだ。子どもの頃、俺は袋になっているこの皮が面白くてな、色々と試して遊んだんだよ」 「それで、水を入れてみたんだ」 「ああ。だがその試みは間違いじゃなかったぞ?今、さくらに見せてやろう」 翔流は川の水を手ですくいあきづきの袋にそっと入れた。何度かそれを繰り返して袋に水がたまると、半透明の袋の中で実の桃色がじわじわと水に溶かされ、水と混ざり合う前の桃色が美しい模様を描いた。丸く膨らんだ表面に映し出される幾何的な模様は、祭りで売っている水風船とよく似ている。 「ピンク色の水風船…」 なぜか、胸の奥が締め付けられるほどに懐かしい。水風船にはなにか大切な思い出があったような気がする。 「綺麗ね…!」 翔流の手にあるあきづきを見つめるさくらの瞳は、夕日にきらめく川の水面のそれ以上に輝いていた。 「この発見をした時はささやかな優越に浸ったものだ。さくらのようにたいそう喜んでくれたからな」 「これを誰かに見せたのね?」 「………ああ」 誰に見せて喜ばれたのだろう、と思うと、さくらの胸はきゅっと痛んだ。 出逢う前の翔流が誰かと思い出を作っていることが少し寂しい。自分の知らない翔流がいることがせつない。あの店主が新婚なんて言うから変に意識してしまっているからなのだろうか、それとも――。 「子どもの頃のことだがな…」 今のさくらのように顔を輝かせて綺麗綺麗とはしゃいでいたな、と翔流はつぶやく。 「子どもの頃?じゃあ翔流の幼馴染?」 「……そのようなものだな」 翔流の顔がふっと翳った。 |