夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 48 日常に戻りつつ

昨夜はあまり眠れなかったが、次の日の朝は早かった。
仕事のはずの父がいて、兄と俺を連れて警察に向かう。俺の行方不明届もだが、兄はすでに死亡認定がされていた。それを撤回してもらうために行ったのだ。

当然のことながら事情を説明し、調書も取られた。俺達は父と口裏を合わせ、確かな記憶はないがぼんやりと孤島で暮らしていた感覚があると曖昧に話した。

かなり驚愕され訝しまれたものの、とにかく二人とも生きていることは認められた。
後日兄の死亡届はなかったことになり、戸籍も回復するという。

だが兄も俺も病院での診断を勧められた。翌日精密検査を受けることになる。
しかしそこでも何も異常はなくほっとする。島での手掛かりは残ってなかったらしい。

当時兄のことは事故と処理され、大々的なニュースにはならなかったが新聞には載った。
今は説明出来ないことだらけだし、俺達のことが騒ぎにならないといいと祈るばかりだった。

父は忙しいはずだが、連日俺達に付き添ってくれた。翻訳家の母は重要な出張があり、そばにいたがったけれど俺達は大丈夫と見送った。

そんなこんなで日本に戻ってきてから何日か経った。

「兄ちゃん、大学どうするの? 大丈夫?」
「ああ。事情を話して復学させてもらえそうだ。九月の終わりからな。よかったよ。けど福澤なんてあれだぜ、もう社会人だ。くっそー、かなり出遅れちまった」

両親がいない日、二人で夕飯の準備をしていると、兄が皿を運びながら悔しそうにした。
福澤さんというのは兄の中学校からの親友で、見た目は真面目な眼鏡だが結構ちゃらちゃらしてる面白い人だ。
なんと今日は一緒にご飯を食べるという。

「お前は? 優太。宿題たまってるだろ。俺も手伝うよ」
「えっいいよ。全部正解したら怪しいじゃん。友達に聞くから平気」

笑ってパスタを茹でてると兄が近くに来た。
じっとガタイのいい体を屈めて見られるとドキリとする。

「わざと間違えられるテクぐらいあるぞ。友達って誰?」
「ええっと……中学の時から仲いい奴と高校で知り合った奴だよ」
「へえ。どんな男? ていうか男だよな?」
「はあ? 当たり前だろ。別に普通の地味グループだよ。俺兄ちゃんみたいに派手じゃないし」

口を曲げて詰問に逆らうと兄の顔が近づく。
そのままキスされるかと思った。でも鋭い瞳に捕らわれて動けない。
なんでこの人そんなこと気にしてくるんだ。おかしいだろ。

「え? 俺って派手だと思ってるのお前?」
「派手でしょ、黒くてサーフィンやってんだから。まさかナンパとかしてたんじゃないの? サイアクー」

ふざけて背中を押したが、あ、今のはさすがに当てつけだったかと内心恐れる。
でも俺は性格的に覆せない。兄は首をかしげてやたら真剣な顔をした。

「するわけない。俺はそういうやつじゃない。男と遊んでるほうが楽しいガキだ。だから安心しろ、優太」
「なんだよ安心ってっ。ばかっ」

はあ。兄ちゃんと話してると疲れる。主に心臓が。
確かに俺も子供だった時の記憶だが、兄は彼女と付き合ってはあまり長続きはしてなさそうだった。

でもなんとなく記憶にあるだけでも多い気がする。
……って、俺のほうこそ何を気にしてるんだろう。

本当はちょっと怖いのだ。普通の生活に戻って、兄がまた少し遠くの世界に行っちゃうのかなって。

ぺちゃくちゃと喋っていると、待っていたお客さんが来た。
今は違う場所に住み、勤務先が忙しいことから今日になってしまったが、一刻も早く兄に会いたがってくれていた福澤さんだ。

そういえば、俺は三周忌で会ったばかりだった。今日もトレードマークの黒斑眼鏡と黒髪で、服装は私服でラフだった。

「……啓司? ほんとにお前なのか? 生きてたのかよ、ふざけんなどこ行ってたんだあああぁぁ!」

玄関先で絶叫しながら迫ってくる。兄は若干引きながらも彼の熱すぎる抱擁を受け止めた。
福澤さんは号泣していた。あの葬式の時を思い出す。
きっと同じ日にサーフィンに行ってたから、必要のない責任も感じていただろう。優しい人なのだ。

「ああ……悪い。俺ちゃんと生きてたわ。奇跡的にな。心配かけてマジで悪かった。許してくれ、福澤」
「この野郎!! 許すに決まってんだろうが、俺の涙はお前のせいで枯れ果てたわッ、最低10回は飯おごれよ!」

鼻水を出しながら怒鳴る兄の親友に俺も涙が誘われる。
ひとまず俺達は夕食の場につくことにした。

三人で簡単なパスタ料理を食べながら、しみじみとした空気が流れる。

「優太、よかったな兄ちゃん戻ってきて。なんだっけ、お前も記憶がないんだっけか?」
「うん、そうなんだ。なんだか夢見てたみたいでさ。二人で無人島でサバイバルしてたのかな、なんて」

はは、と笑うが冗談になってない。福澤さんは心配していたが気を遣って深くは聞いてこなかった。
兄ならやりそうだと笑ってくれて俺も話を合わせる。
俺ももう島で話したことだが、彼が俺達家族のことを気にかけて節目節目で家に来てくれたりしたことも伝えた。

「ほんとにありがとう。兄ちゃん愛されてるなって思ったよ。二人の友情すごいね」
「ははっ。そうか? まあ付き合い長いしぶっちゃけ愛してはいるね。ちょっとキモイけど」
「おうキモイからやめろその言い方」

二人はふざけ合ってたが内心照れた様子だった。今はちょっと三年分の距離があるかもしれないけど、またすぐに昔のように仲良くつるむんだと思う。
ケージャにもラドさんという親友がいた様に、兄にも素晴らしい友人がいるんだなと思った。

兄は大学生に戻り、福澤さんは今社会人一年目だ。

「え? お前留年したの? ガリ勉なのに」
「あーそうだよ。お前のせいでな。らしくもなく塞ぎこんじまったわ。おかげで今は立派な社畜さ。責任取れ責任」

内容は結構重いが福澤さんは笑って兄の肩をどついていた。
兄も責任を感じたのか「マジですまん」と汗を流す。

俺はそんな二人を食卓の正面から眺めながら、いいなぁと思った。
そろそろ部屋に戻るか。きっと久しぶりに、話すことたくさんあるだろうし。

「ごちそうさま。じゃあ二人とも、ゆっくりしてね。好きなだけ飲んでいいよ、明日休みだし。片付けも俺がするからね」
「おお! やさしー! 大人になったなぁ優太。じゃあお言葉に甘えてーー」
「えーもう寝ちゃうの優太。兄ちゃん寂しいだろ。じゃあせめてお休みのハグしよう」

人前なのに昔みたいに甘えた声を出されぎょっとする。

「ちょっ、やめろよ恥ずかしいだろ! 信じらんねえっ」

顔を真っ赤にすると兄の友に笑われる。「お前相変わらずブラコンだなー」と突っ込まれ、兄は普通に「そうだよ」と認めていた。
もう知らない。羞恥に包まれた俺は素早く皿を片付け自分の部屋に向かった。

自室で寝間着に着替えながら考える。
こうして日常に戻りつつあるのはいいことだ。
反面、兄ちゃんとまだ一回も近くになってないな…と思い巡らせる。

兄はぐいぐい来るが、それは兄弟のものだろうし困惑する。でも同時に嬉しくもある。

俺は窓際の棚にある一つのコーナーに目を向けた。
ベッドに上がり、すぐそばのそれに手を伸ばす。

ケージャからもらった碧の石の腕輪だ。
さすがに高校生の俺が日本で身につけるのは不自然だと思い、ここにケージャコーナーとしてお供えしている。

たまにこれを見て祈ったり、朝晩の挨拶をしたりと、かなり心の支えにはなっていた。

「はあ……やっぱ、ちょっと寂しいなぁ。あの兄ちゃんだったら何て言うんだろう」

今の俺の心情を、ケージャなら分かるだろうか。
いや、そこまで甘えるのは都合がよすぎる。

時々会いたくなる気持ちを抑え、俺は就寝の準備をした。
洗面所に行く途中、廊下の扉の向こうから話し声がした。福澤さんの声だ。

「ーーで、俺にはちゃんと話せよ。何があったんだ? この三年」
「えー、それはな……」

兄が考えてる様子なのが聞こえ、俺はさっと通り過ぎた。
もしかしたら、両親に話したように兄も教えるかもしれない。
信じてもらえるかは分からないが、彼も家族のような存在だしたぶん大丈夫だと考えた。

その後もう一度部屋に戻ってきて、俺は布団にくるまって眠ったのだった。



翌朝、寝ぼけ眼でリビングに行くと、兄がソファに寝転がっていた。もう兄の親友は帰ったようで、テーブルも結構片付けられている。
父も母も多忙な人で帰るのは明日だから、俺達は今日も二人きりだ。

「兄ちゃん、ここで寝ちゃったのかよ。風邪引くよ」
「……あー……優太。はよ……」

目をこすっていた兄が腕を伸ばしてきて、肩ごと抱きしめられる。

「うわっ。どうしたの? ほら起こしてあげるから」

ドキドキしながら筋肉質な体躯を必死に起こす。
だが兄はそのままもたれかかってきた。短い褐色の髪が触ってくすぐったい。

「……優太。なぜ俺がここに寝てたかというとな、けっして飲みすぎたからじゃない。酒が入ってお前の部屋に行っちゃいそうだから我慢したんだ」
「えっ?」

急によどみなく説明されて顔を合わせる。
柄にもなく、兄の頬がさっと赤みを帯び始めていた。

「別に……来てもいいでしょ」
「マジで!?」
「なんだよその食いつきは。好きな時に来ていいよ、兄ちゃんなんだから」

言うと腕を組んで唸り出す様子がおかしい。俺は平常心を保ちつつ兄の跳ねた髪を手で直した。

「うーん。読解が難しいな、今のは。……俺はな、優太くん。もっと先を期待してるんだが」

かしこまって鋭い瞳に見つめられ、鼓動が跳ね上がった。
とくとくと鳴り止まらず、俺は思わず兄の腕をぎゅっと握った。

下を向いていたが、本当は嬉しいから勇気を出さなきゃと考えた。

「お、俺も……」
「え? なんだって? 頼むもうちょい大きな声で教えてくれ」
「……俺も兄ちゃんと一緒がいい! くっつきたい!」

バカみたいに叫び、兄の胸に飛び込む。
島では結構恥ずかしいことも言ってたのに、やっぱり家だと口にする難易度が桁違いだ。

「おぉー、そうかそうか。兄ちゃん嬉しいぞ、優太。じゃあくっついてもいいんだな? 好きなときに」

頭を撫でられて嬉しそうに尋ねられ、俺は顔を埋めて頷いた。
まだ心臓がうるさくて聞こえないかと緊張する。

「俺、兄ちゃんに甘えていいのか分からなかったんだ。だって、もう皆もいるし、普通の生活に戻るしさ……。でも、やっぱなんか寂しいよ。こういうことするの、変かもしれないけど…」
「変じゃねえよ。俺はずっとしたい。お前とこういう事」

兄のやけに真剣な顔が迫る。あっ、と思った瞬間に口にちゅっとキスをされた。
何回もしたことあるのに、体がじわじわと沸騰しそうになる。

「……っ」
「やだ? 家で俺がこういうのしたら」

心配げにのぞきこまれる。俺は「ううん」と首を振った。
兄ちゃんは、本気なのだろうか。大丈夫なのだろうか。

俺が嬉しく思ってることも、いいのだろうか。

「兄ちゃん、日本に帰ってからも、俺のこと好き?」
「ああ。好き。すっげえ好き」

見つめる瞳がにっと笑い、ほっぺたを長い指で撫でられる。
ちょっと泣きそうな顔をしてたかもしれない。

「俺も兄ちゃん好きだよ。うまく言えないけど。……お母さんとかお父さんに悪いよね……?」

改めて感じていたことを明かすと、兄も少し頭を抱えて考える。
でも俺よりは吹っ切れた様子に見えた。

「まあ、悪いな。俺は。お前は全然悪くないから大丈夫だよ」
「どうして? 俺のせいでもあるよ。兄ちゃんが好きになっちゃったの」
「ちょっ、もう一回言ってそれ……優太」

赤くなった兄はにやけ顔をしながら嬉しそうにしていた。
それから本当の気持ちを教えてくれる。

「まあ親の事はな、そりゃあ罪悪感まみれだ、二人の顔見たときからな。けどしょうがねえ。もう止まらないからな。俺はお前を誰にも渡したくない。男にも女にも。これから先も」

あとから「あ、今のちょっと重い?」と焦りがちに聞かれて俺は困りながら笑いをこぼした。

「変なの。いつか兄ちゃん目覚めちゃうかも。それで俺は悲しむんだ。ネガティブだから」
「おいおい、あんまり可愛いこと言うな。それは絶対ない。この思いをどうやって満たせばいいのか分からないほど今も爆発しそうなんだぞ? それにお前は前向きだし強いだろ。だから俺は帰ってこれたんだ」

優しく言い聞かせる兄の腕の中は心地いい。
こっそりケージャに話しかけた。俺、兄ちゃんにまた好きって言ってもらえたよって。

安心して腕を回していると、俺の心を感じ取ったのか兄がまた変なことを言い出す。

「あー、優太。というわけでな、お前が元カレを失った悲しみは俺が必ず癒していく。俺の愛はもちろんあいつ以上の大きなものでありーー」
「はっ? 元カレってなんだ、やめろよその表現っ」
「いやだってそんなようなもんだろ。お前あいつのこと好きだったんだろ?」

ケージャが消えると知って以来、島でも優しい気遣いを見せていた兄が、懐かしくも拗ねた顔つきで聞いてきた。
俺は一瞬言葉に詰まるが逆に凄んでみせる。

「そんな区別した感じじゃないよ、ケージャは兄ちゃんでしょ!」
「……えっ? そうなの?」
「あ、ごめん。嫌だよね、こう言われるの…」
「いや、全然へーきだ。気にするな」

むしろやけに明るく答えられ混乱する。
平気なのか? もしかして、もう別人格はいないから兄ちゃんも自信あるのかな。

「そーかそーか、じゃあお前が好きなのはほぼ俺ってことだし、嬉しいなぁ。そうだと思ってたんだよ、ははっ。もう何も問題ねえな! 邪魔者もいねーし」

ちくりと言いつつも上機嫌に肩を抱いてきたり、今日は表情がくるくると変わる。
兄もきっと色んなことを考えてくれていたんだろう。
俺のために、二人のために。

「よし。じゃあ今日は兄ちゃんとこ来てくれる? 一緒に寝よーぜ」
「ええっ? いいのかな。二人きりだから大丈夫かな…?」
「おう。まあ平日はお前のとこ行っちゃおうかなー。週末だけとかきつい」
「だ、だめだよ、お父さんが起こしに来たらどうするの?」

焦ると兄がしれっと「お前を起こしに来ないように言っとくわ」と答えた。
そんなの怪しすぎるんだけど。

「それで今日はどうする? 優太。デートでもするか」
「ええ!! ……た、たとえばどこに?」
「わかんねえ。お前の好きなとこ」

鼻を指先でつつかれて笑顔が向けられる。
兄ちゃんと、デート……?

なんだか自分でも想像も出来ない展開になってきた。



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