▼ 44 刻々と
儀式まで残り4日に迫ってきた。
今日は丘の上の診療所にて、内診を行う日だ。俺は兄に付き添われ、ジルツ先生のとこに向かった。
「ふむ。まったく身ごもる兆候はない。ここまで来れば君は全くの自然体な男子の形で儀式に挑むことになるだろう。医学的にはな」
「本当ですか? ふぅ。よかった〜」
長い銀髪の医師が俺を安心させるように頷いてくれた。そのまま隣の兄を見る。
「そして二人の聖具、精霊の涙を見るにゲージは満単に溜まっている。よく頑張ったな。お疲れさまだ、ケイジ。そしてケージャにも、多大な貢献をーー」
「先生、今はケイジだけでいいかと…」
「おお、そうだな。すまない。不遇である君達には配慮が必要と何度もセフィに言われているのだが、つい。ーーとにかく、もう性行為は行う必要がない。残りのわずかな日数、儀式の準備もあるだろうがしっかりと体を休めてくれ」
いつも空気が読めない先生だが、労りの言葉だと捉え俺は頭を下げた。
兄の横顔はどこか呆れたようで、生返事をしていた。
「兄ちゃん、よかったね。俺達もうすぐ帰れるよ。体も普通だし」
「ん? おう。そうだな。俺もお前の体のことすごく心配だったから、一応安心だ。一緒に帰ろうな、優太」
どこか寂しげに微笑み、俺の肩ごと抱き寄せて頭をわしゃっと撫でる。
あの夜以来、少しぎくしゃくしてしまうかと思ったが、兄の優しさは変わらず、むしろ穏やかに努めているよう感じた。
俺もかなり反省した。言動や、思考など。
そもそもなぜこの島に来たのか、初心に戻ろうとする。
最近はショックなことが続き、自分のことばかり考えていた。
俺は兄ちゃんを連れ帰りに来たのだ。
絶対に家族のもとに共に帰る。それはけっして変わらない俺の目的だ。
そしていよいよ、儀式の全貌が明らかになるのだが。
医院を出たあと、俺と兄は島の絵師の所に向かった。東地区内にある集会所の一室が、急遽工房のような作業場になっている。
俺達はそこで体に入れ墨のような民族模様を描かれるのだ。
精霊の丘で行われる儀式は前日から一日かけて催される。もう期日が迫っているということもあり、この日が選ばれたのだった。
「うわぁ、かっけ〜。ちょっと怖いけど。背中と腕と足にも。ねえ兄ちゃん、これ日本に帰ったらちゃんと消えるかな」
「消えなきゃまずいだろ。肌の色といい、俺完全に輩にしか見えないぞ」
鏡を見ながら下着一枚の兄が背をチェックする。
二人の絵師は長老お付きの神官でもあり、俺達は普通に喋ってある意味リラックスできた。
模様は儀式の後さっぱり消えると教えてもらい、胸を撫で下ろす。
その後、俺は舞の練習をしに稽古場へ向かった。
簡単なものだが失敗は許されないため、踊りの先生にみっちり教わった。
ちょうど別の職務をしていた兄は終わる時間に迎えに来てくれ、また二人で今度は長老室へと向かう。当日の段取りを改めて話すからだ。
本当は俺一人でムゥ婆に相談したいことがあったが、皆忙しいため今のタイミングしかない。
「長老。入るぜ」
腰巻き姿の兄が戸を叩き、二人で足を踏み入れる。
そこには長老以外に、二人の青年が立っていた。俺はびっくりして「あーっ!」とつい指を指す。
「カルミさん! それにゼツさんも! 来てくれたんだね、すっごい嬉しいよ!」
俺はテンションが爆上がりで酒造りの兄弟に向かった。
厳つい無精髭の兄の方は面倒そうに手を上げ、弟の色白銀髪美青年のほうは笑顔で丁寧に頭を下げた。
「奥方様。お久しぶりでございます。といっても、ほんの最近のことですが。お元気そうで何よりです」
「カルミさんっ。どうもどうも。あなたこそ、マジで島に来てくれるなんて…! 大丈夫? 何も問題ない?」
彼は赤い目を持っていて風貌も珍しいため、北地区の孤島に住んでいた。だが顔色は明るくハツラツとして見えた。
「はい。やはり皆の視線は浴びますが、お二人のおかげで自由に島内を歩けています。家族や、島の者とも少し話すことが出来ました。本当に勇気を出してよかったです。ありがとうございました」
深々とお礼を言われ照れくさくなりながらも、心の底から安堵する。
兄のゼツさんもついててくれたからか、不自由なく過ごせたようだ。
「ほっほっほ。この頑固な兄弟の心まで動かすとはな。さすが島の太陽、ユータじゃ。ワシも誇らしいぞ」
「いや太陽は言い過ぎですよ、はは」
「ところでな、今回二人は儀式の用件でも訪れてくれたのじゃ。お主達が苦労して手に入れてくれた御神酒の使用法と作用について、いくつか伝えたいことがあってな」
え? 使用法?
長老の突然の言葉に俺と兄が聞き入る。
そこで今まで知らなかった儀式の内容を詳しく知らされた。
「……精霊の丘にある地下に入り、二人で祠の杯に御神酒を捧げるだと? なんだその取って付けたようなクエスト感は」
「ふふ。なあに簡単なことじゃ。精霊の丘は神聖な地で、ワシらが普段から念入りに結界を張ってある。獣は出んし、至極安全じゃよ。本題は、前日からお主達にはそこに泊まってもらう。そこで最後の性交開始じゃ」
「ぶっ!!」
俺は何も飲んでないのに吹き出した。
そうだこの長老、飄々としていてかなりアケスケな人物だった。
真っ赤になり言葉を失っていると、同じく恥ずかしそうなカルミさんにぎこちなく微笑まれる。
「ま、またそこでもすんのかよ? おかしいだろこの儀式! 先生何も言ってなかったぞ! なあ兄ちゃん!」
「ああ。だがあの先生、それとこれとは別って思ってそうだな。まあいいか。大人しく、しようぜ優太」
不似合いなウインクをして肩を抱いてくる兄に唖然とする。
分かっている。もうこの島では抗っても無駄だって。
「でもよ、ゼツさんだっけ。なんで教えてくれなかったんだよ。その妙な使用法を。あんた知ってたんだろ?」
「そりゃ知っている。自分達の酒がどう使われるかは大事なことだからな。でもあんたあの時まともな精神状態じゃなかっただろ。……まあ俺の懸念は、またあんたが酒に酔ってコロコロ人格が変わらなきゃいいけどなってことさ」
腕をがっしりと組み、指摘をされた。
なんでも儀式中、二人とも酒を口に含まなきゃいけないらしい。
しかも今度のやつはかなりの度数の高さで、特別なものだという。
「ひええ。やばいよ兄ちゃん。俺不安だよ。儀式に支障が出たらーー」
長老によれば、儀式中に人格が頻繁に変わることはなるべく避けたいらしい。安定して落ち着いた精神状態が必要だからだ。
俺は今言うべきか迷ったが、ムゥ婆に質問をした。
「兄ちゃんの前で、あれなんだけど……ケージャは今まで頑張ってきたし、可能なら儀式に出させてあげたいんだ。その時だけでも人格を固定させることってできないかな?」
恐る恐る兄の顔も見ると、仏頂面ではあったが頷き、了承してくれているようだった。
「それがな……ワシも奴の願いを叶えてやりたい。しかし交代は人智を超えた力によるものじゃ。はっきり言うと、この間の記憶の儀式のように力を使うことは難しい。儀式にはワシの持てる限りの力を注ぎたいのじゃ。悪いな、お主達……」
申し訳なさそうに謝られ、それ以上何も言えなかった。
当然といえば当然で、今までもコントロールできなかったのだから仕方がないのだが。
ケージャがまた消えて兄が戻ってから、もう数日経っていた。
ここのところは更に、どういうタイミングで交代するのか分からない。
「奥方様。ひとつ案なのですが、酒酔いがあまり出ない島の薬があります。これは恥ずかしながら酒にそれほど強くない私のために、兄が常備しているものです。よかったらお二人でお使いください」
「ええっ? そんなすごいものあるの? もらっちゃっていいの?」
「もちろんです。なあ、兄さん」
「ああ。それはよく効く代物だ。長老の許可も取ってある。俺達の酒のせいで儀式が失敗したら後味悪いからな」
優しい兄弟が神様のように見えた。そんなのあるならこの前もくれよとは思ったが、薄い袋をいくつか貰った俺は兄とともに喜ぶ。
人格の問題はまだあるとはいえ、きっと役立ってくれるだろう。
カルミさんとゼツさんは儀式当日、東地区を訪れるらしいがまた会えるかは分からないため、しっかりと笑顔で別れを告げた。
彼らと出会えたのも何かの縁だ。過ごした時間は短いが幸せを祈った。
俺と兄は夜遅くに離れに帰ってきた。
考えてみたら、明日は狩りと盛大な宴がある。そして次の日の夜には、もう俺達は精霊の丘にこもることになっている。
あまり考える暇もなく、今日はゆっくりできる最後の日な気がした。
だが兄は、なぜか離れの奥まった洗面所に姿を消していた。
俺は気になり木目のドアを叩く。
「兄ちゃん、何してんだよ。大丈夫か?」
「ーー早く出てこい、おらぁッ」
なにやら不審な声が聞こえ、俺は思わずドアを開けた。
中には鏡に向かう背の高い兄の後ろ姿があった。
俺に振り向き、不自然に苦笑いする。
「あ。優太。どうした?」
「いや兄ちゃんこそどうした。何やってんの? もう寝ようよ」
手を引っ張ろうとすると、びたりと動かないでいる。
あまり言葉が進まない様子で明かしてくれた。
「あー、いや……今試してたんだよ。あいつになんねえかなって」
「……えっ!?」
「だから、俺に出来ることって、こんぐらいのことしかねえから。お前の願いも叶えてやりたいしさ」
茶髪を掻き、はっきりとそう言われた。
俺は瞳が揺れ動く。じわりと兄の思いが胸に伝わってきた。
兄は俺の前に立ち、優しい顔で頭を撫でてくる。
「悪かったな、優太。この前…っていうかいつもか。お前のことになると頭に血がのぼっちまって、冷静でいられなくなる。全部くだらねー焼きもちだ。でもそのぐらい、お前のことが好きなんだよ」
鼓動を抑えて兄を見上げる。
兄は落ち着いた微笑みを向けていた。
「ひとつだけ言いたい事がある。それはな、あいつがいなくなっても、俺はお前のそばにいるってことだ。ずーっとな。だから何も心配いらないぞ、優太。兄ちゃんが一緒にいるからさ」
にこっと笑ってくれる兄の顔は、いつも見てきた兄そのものだった。
懐かしさを感じるのに、今は特別に輝いている。
俺が悩むのと同様に、いやそれ以上に、兄ちゃんも悩んでるんだ。
その上でこんな風に俺のことを考えて、思ってくれてるんだ。
「……兄ちゃん、俺のほうこそごめんね、あとありがとう。……好きっ!」
「うぉおっ! おいどうした、いや嬉しいけど」
照れるのを隠して兄が俺を上から抱きすくめる。
二人でそうやって抱擁する時間は、何よりも安らぎをもたらしてくれた。
兄はそれからも、しきりにケージャになるように一人唸りながら念じるようになった。
鏡の前や、俺にいきなりキスするなど突発的な行動をもって。
前の兄なら考えられない。ここまでケージャに気を遣おうとしてくれるとは。
しかし、ケージャは中々出てこなかった。
儀式までの時間は刻々と迫っていた。
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