夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 42 前を向いて

夜になると、俺は兄を探した。
集会所や広場も見回ったが誰もいなくて、不安を感じながら浜辺へ向かった。

護衛の人も一緒に探してくれたのだが、ふと海岸沿いを歩いている男を発見する。
茶褐色の短髪に、鍛えられた体をもつ腰巻き姿の若者だ。

「兄ちゃん!」

一目散に駆け寄ると、兄はこちらを見て足を止めた。
笑みを浮かべて腕を広げ、俺を呼び込んだ。

「もう! どこ行ってたんだよ、心配したよ!」

迷わず胸に飛びこむ。夜の生温かい空気の中で、兄の肌もじんわりと熱い。
顔を見上げると、表情が寂しげだった。雰囲気や間が少しだけ兄と違う。そう俺は察知した。

「もしかして、ケージャなの……?」
「ふふ。よく分かったな、さすがだユータ。嬉しいぞ」

褒められて頭を抱えられ、てっぺんにキスをされた。
俺はうるっとくる目元をこらえ、抱擁されたまま力をこめた。

「そうだよ。さすがに俺ももう分かるよ。ずっと一緒にいるんだから」

ケージャと分かり、正直かける言葉が見つからなかった。
兄は俺をしばらく抱いていたが、後ろにいた護衛の人に声をかける。俺も礼を言い、兄と二人きりになった。

「ユータ。少し座って話をするか」

手を繋いで誘われ、俺達は近くの砂浜に腰をおろした。
ただの兄なのに緊張で喉がカラカラになってくる。やたらと静かな佇まいが気になった。

「実はな、考えていたのだ。島も何もかも全てを捨てて、お前をどこか外国にでも連れ去ってしまおうかと。そうすれば俺達は離れ離れにならず、ずっと一緒に生きていける」
「……うん。そうだね、兄ちゃん」

俺はそれを想像しながら、素直に頷いた。
一瞬、それでもいいかもな、なんて考えそうになるほど、ケージャには魅力があった。

「だがそうすれば、お前は幸せにならない。お前は兄を救うという強い意思を持って、この島で懸命に暮らしてきたのだからな」

暗闇の波間を眺める視線を、ケージャに移す。
初めてはっきりと、この兄から共感的な言葉を聞いた。だがそれは嬉しさよりも、激しい寂しさを伴っていた。

「ううっ……どうしたんだよ、ケージャ。いきなりそんな風に聞き分けよくなって、変だよ。何がなんでも俺のそばにいるって言ったのに、離れないって言ったじゃん!」

無実の兄に喚き、俺はしがみつくように隣にすがった。
兄の胸は落ち着いて支えてくれる。その優しさが異常に辛かった。

「ユータ……俺も離れたくない。お前の夫なのだぞ。共に年を取ることを夢見ていた」
「……うん、わかってるよ、兄ちゃん……。どうして……どうしてケージャは兄ちゃんなの……? 消えないで……」

微かに願った声が涙ににじんでいく。純粋な心から生まれた気持ちだった。
本当の兄からしてみれば、言ってはいけない事ではあるが、それほどケージャの存在が大きくなっていた。

この人ももうとっくに俺の兄で、大事な人で、別れたくなかった。

頬につたう滴を兄の指がぬぐう。
また兄は悲しい笑みを見せた。

「お前がそう言ってくれただけで、俺は十分幸せだ。……だから俺もそろそろ、お前に兄を返さなければならんな」

頭を優しく撫でてくれる、大きな手。
ケージャの覚悟が静かに伝わってきた。
もう、決めたんだと思った。あれだけ強引で自信家なケージャが身を退いたのだと。

「ああ、泣くな、ユータ。俺はお前のそんな悲しい顔を見たくない」
「……うっ、うんっ……泣かないよ。約束する、……もう泣かないから……っ」

俺はひとしきり涙を流したあと、ごしごしと浴衣の袖で目を拭いた。
にらみつけるように強い力で海と二つの月を見る。

「この風景に誓おう。兄ちゃん。俺達は、離れてても一緒だよ。ケージャはずっと俺の心の中にいるからね」

自分に似合わないキザな台詞を言い、兄の手を繋いだ。
指が絡み合い、きつく閉じる。
隣を見れないでいると、頬に口がちゅっと当たった。

振り向いた顔を、両手の平で包まれ、今度は正面から唇を重ねられる。
丁寧に、何度も口づけをされた。

俺は目をつぶって、兄に全面的な信頼を寄せて受け入れていた。
この光景と、兄の温度、交わした言葉をすべて胸に刻みつけようとしていた。

「お前を愛しているぞ、ユータ。俺は永遠にお前のものだ……」

そう囁かれて、砂浜にゆっくり押し倒される。
愛しているなんて、家族だから言われたこともある気がするが、ケージャに言われるのはこそばゆくて、どきりとする。

夜の海岸で二人、重なるようにキスをしていた。
その時、俺の腕が片方だけ持ち上がった。そこに兄が突然、ひんやりとした金属を当てる。

気がつくと、宝石のついた繊細な鎖の腕輪をつけられていた。
夜の海のように、深く青く輝いたそれを見て驚く。

「えっ? これって、あの碧の石?」
「ああ、そうだ。お前も身に付けられたら…と言っていただろう? 本当は旅行中に渡したかったのだが、この石はかなりの硬度でな、細工に時間がかかったのだ。だから今……ちょうどいい。改めて二人の愛を交わし合った瞬間だ」

ケージャが満足げに話し、俺の碧の石を見つめる。
昔なら勝手にこんな高価そうなものと突っ込んでいたかもしれないが、今は嬉しく感じた。

「じゃあ、これをケージャだと思って大事にするね。ありがとう」
「ああ。……っておい、まだ俺はいるぞ。残りの時間、存分に使いきってやるからな。お前の兄には遠慮してもらう」

一転子供のように俺を座ったまま抱き締める。
俺はけたけたと笑った。その笑い声が兄も気に入ったようだった。

残りの時間ーー。
もちろん兄の体だから勝手なことは言えないし、そもそも人格を固定も出来ない。

でもせめて、出来るだけケージャに悔いの残らないよう、過ごしてほしいと思った。





儀式まで残り10日ほどになり、俺達も重要な立場として慌ただしく過ごしていた。
兄はあれからずっとケージャだ。踏ん切りがついたのだろうか、長の仕事に邁進している。 

二人して普段通りの日常を送ろうと努めていたが、兄の言動は少しおかしいものになっていた。
俺はその日兄の仕事場の執務室にいた。

「ユータ。よいか、寂しいときはお前の兄を俺と思って過ごすのだぞ。存分に甘えるがいい」
「ええっ? ケージャ嫉妬深いのに、いいのそれ」
「かまわん。どうせ俺はいない。お前には幸せに過ごしてほしい」

弟を思う兄らしい顔つきで頷く。
兄は最近こうして遺言めいた事を何度も話していた。

「でも兄ちゃんは俺のことそんな風に見てないよ。言っただろ、元に戻るだけだって」

当たり前のことを投げやりに言う。
兄とのことを応援されるなんて、変な気分だ。

「そんな顔をするなユータ。お前が兄をーーひいては俺を好きだということは知っている。お前に寄り添われてその気にならない男がいるか? ああ、他の輩はだめだぞ。許さん。俺だけにしろ」

勝手にぺらぺらと喋るケージャは、一体いつから兄ちゃんと同化してしまったのか。
気持ちはありがたいが、大体なんで男限定なんだよ。俺だって普通に恋するかもしれないだろ。っていうかするだろ、まだ高一だぞ。

考えると兄ちゃんの顔が浮かび、なぜか胸がずきっとする。
現実に戻ったらきっと、もうこの島でいるみたいに甘えられないんだな。

そう女々しく思考を巡らせながら、仕事を続ける兄のそばにいた。
するとしばらくして、ある小柄な訪問者が来た。

「部族長。ラウリでございます。長老から承ったこの書類に目を通して頂きたくーー」
「ラウリ君! うわぁ久しぶり! 元気だった?」
「ーーぅわぁあっ! 奥方様…! お久しぶりでございますっ」

彼は茶色のボブヘアを深々と下げ、挨拶をしてきた。今や長老の右腕として働く呪術者ラウリ君は、灰色の着物を着てちょっと見ない間に顔つきも大人びていた。

同年代の俺達は会えたことが嬉しく、彼に近況を聞いた。儀式の準備と訓練で多忙なようだが、日々充実しているようだ。

「ラウリ。お前には大変世話になったな。精霊の丘での儀式でもお前の力が必要不可欠となる。頼んだぞ」
「は、はいっ。お任せくださいませっ。……あの部族長、ぼくは部族長に謝らなければーー」
「ふむ。お前が俺に謝ることなど何もない。気にするな。いいか、これからの島のシャーマンとして、しっかり皆を支えていってくれ。お前とエルハンがいれば、この碧の島は安泰だ」

兄は確かにそう言い、納得の面持ちで頷いた。
少年の瞳がじわりと物言いたげに潤んでいく。彼はしきりにお礼を言い、承諾していた。

俺はそんな二人をじっとそばで見ていたが、やがて兄が部屋を後にする。

「では俺は仕事の続きだ。若い者同士、しばし話に花を咲かせるといい」

笑って去っていく兄を見送り、俺はラウリ君に向き直った。
彼の様子が気になったのだ。

「あの、もしかして兄ちゃんのこと気づいてる? もう消えちゃうんだってこと……」

尋ねると彼は目尻を指で拭い、重苦しく頷いた。

「はい……。記憶の儀式の内容を長老から教えて頂いた際に……精霊力から誕生された部族長はきっと、と……」

心優しい少年の気持ちが胸に響く。ラウリ君は三年間ガイゼルのもとにいて、あまりケージャとの接点は多くなかったらしいが、それでも兄の強さや優しさには感服を受けていたと語った。

「ぼくは、とても悲しいです。なぜ部族長が……っ。……奥方様、何もお力になれず、申し訳ございません…っ」

謝ってくる彼の背を触りなだめる。

「ううん。俺も悲しいけど、君も含めて皆がケージャのこと大事に思ってくれてるって知ってるから。ありがとう。しょうがないよね」

この話をすると泣きそうになるから、必死に踏ん張って平静を保った。
ラウリ君は俺がいなくなることも知っている。その事も寂しがってくれていた。

「そうなんだよ。もうあと少しだよね、この島での生活も。信じられないなー。ほんとに俺帰れるのかな」
「……それは、ぼくが頑張ります! 長老と統括者の皆さんと力を合わせて、絶対に成功させます!」

彼は身を乗り出して呪術者の顔になり、意気込みを伝えてくれた。
俺達兄弟の境遇を心から理解してくれているから、もう会えないのは寂しいけれど、俺は感謝しかなかった。

兄はエルハンさんにも島を去ることを伝えたらしい。
側近の彼は相当なショックを受けたようだった。島の未来を最も考える者として、そして長の兄を一番に慕う者として、俺達夫婦がとどまることが理想だったからだ。

けれどエルハンさんも兄の気持ちを汲んでくれた。
弟のラウリ君同様、将来の島のことを誰より真剣に考えてくれている。

「そういえば、ガイゼルとはどう? またあいつに苛められてない?」

俺は半分からかい混じりに尋ねた。最初はあいつは危ない奴で悪影響だと思っていたが、彼らの関係性をもう知っているから心配はしていない。

「あっ……ガイゼル様とは、あまり会えないのですが、お元気にしてらっしゃいます。この間、長老が一日休みをくださって、ガイゼル様がわざわざこちらにお越しくださいました。それで、溜まりに溜まったお世話をすることが出来ました」

恥ずかしそうにはにかむ彼に「ふ、ふぅーん」と俺は色々想像し相づちを打つ。
なんにせよ、二人がなんの障害もなく、仲が良いなら何よりだ。

「あの、奥方様はケージャ様とケイジ様、どちらにより心を奪われていらっしゃるのでしょうか…?」
「え、ええーっ! そんな真に迫ったこといきなり聞くラウリ君っ!」
「す、すみません! ぼくなんかが出過ぎたご質問を……っ!」

動揺した俺は慌てて彼に声をかける。

「いや、大丈夫大丈夫。なんでも聞いてよ、もう俺達友達じゃん! ははは」
「と……友達……ですか? ぼく、初めてお友達が出来ました…! とっても嬉しいです!」

喜びはしゃぐ彼を見てほんわかする。告白には驚いたが、俺もこの島でラウリ君や他の人達と知り合えたことは、素直に嬉しい経験であり宝物ともいえる。

その事によって彼がさっきの質問を忘れてくれたことも安心した。
ケージャと兄、どちらかなんて、今はただ答えも出せなかった。




夜になり、兄は今日も無事に帰ってきた。
もうすぐ儀式の前段階、祭祀で捧げる供物のために、大規模な狩りが行われる。
ケージャはそれも、当の儀式も自分が出席したいと考えていた。

高床式住居の居間で、二人色々な話をしながらゆったりと過ごす。

「でもなぁ、最近はケージャだけど、人格がいつ変わるか分からないもんね。俺も儀式はケージャを出させてあげたいけどさ」
「ああ。なにか確実な方法はないものか。長老に尋ねてみるか」

真剣な話題だったはずなのに、兄の手が俺の体をまさぐってくる。
気づけば後ろに回られ、座ったまま俺の胸に大きな手が這い、首筋に兄の唇がちゅうっと吸いついてきていた。

「ちょ、ちょっと兄ちゃんっ。すんのかよ…っ?」
「ああ、するぞ。時間がない。これからは毎晩お前と子作りに励まねば」

真面目な顔で諭すケージャに口が塞がらない。
確かに一緒の時間は着実に少なくなってくるし、怒りたくはなかったが。

一応抵抗しても兄は俺を軽々と持ち上げ、横抱きにして寝室のベッドに向かった。

「ユータ。今日はたっぷりとお前を抱いてやる。そろそろ俺の子種を孕ませねばな。かなり時間が押している」
「なに言ってんだよ、そんなちょびっとの時間で孕むわけねーだろッ」
「分からんぞ。俺はお前に形見を残したいのだ。どうか俺の最後の願いを聞いてくれ、ユータよ」

そんな物憂げに眉を下げても俺は騙されないぞ。
形見とかいう重すぎるワードにも突っ込みたかったが、兄は本気らしい。

「はあ……もう兄ちゃんのばかっ」
「ふふっ。素直でよい子だ。ではどこからお前を気持ちよくさせようかーー」

シーツの上に寝そべり、上に乗った兄の重みに、俺は浅く息をつき始めていた。



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