夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 41 悲しみ

俺はなんとか兄に連れられて住まいの離れに戻ってきた。
ショックのあまり、居間に座る兄の胸に身を埋め、涙を流すことしか出来なかった。

「う、うっ……ごめん、兄ちゃん。こんなこと、兄ちゃんに言うべきじゃないって……わかってるのに……うぅっ……」

ぐずりながら兄に謝る。
顎を優しくとられ、見つめてくる褐色の瞳は戸惑いと、深い心配を表していた。

「ばか、なんでも言えって。……そもそも、俺のせいなんだ。お前をこんな風に悲しませたくなんか、なかった…」

途切れ途切れに告げて、やりきれない様子で俺をまたぐっと抱き抱える。
濡れた目を閉じ、俺は二人に対して申し訳ないという感情を募らせた。

ケージャはまだ出てこない。
このまま消えてしまうなんてこと、ないよな…?

かなりショックを受けた様子だった。当然だ。
儀式の後に消えてしまうなんて、あまりにひどすぎる。

出来ることなら覆して、ケージャに生きていてほしい。

心からそう思っても、絶望しか残っていなくて、それは兄に対する裏切りでもあると俺は重々分かっていた。

蘇生術によってケージャが生まれたことや、長老の願いを含む記憶の話も兄に詳しく話した。
兄はひとり、考えこんだ様子だった。
当事者ではない俺には計り知れない、色んな思いに捕らわれたことだろう。

「優太。俺に何が出来るのか分からねえ。でも、お前のそばには俺がいるんだから、なんでも気持ちぶつけろよ」

髪をくしゃりと撫でる温かい手が、優しくしてくれる。
俺はそれで安心を得る。いつもそうだった。
兄がいないときはケージャに甘え、ケージャがいないときは兄に甘えていた。

たった一人の大切な、かけがえのない兄。
でも今は、一人なのに二人いる。
どちらも失いたくないというのは、弟の俺のわがままなんだ。



休暇はその日までだったが、兄はいつもより更に俺に気を遣い、そばにいてくれた。
翌日は仕事が始まり、儀式まであと約二週間ということもあり、少しずつ準備も始まった。

島全体が活気に満ちて、慌ただしくもなっている。
もし本当にケージャが消えてしまうなら、一日でも多く過ごせるほうがいいんじゃないかなどと、勝手なことを思ったりもした。

漁の手伝いのあとに浜辺を歩きぼーっとしていると、向こうから坊主頭の助手が歩いてきた。

昨日は姿を見せなかったが、こんな所にいるということは、俺に用だろうと思い身構えた。
本当なら今は医院関係のことは思い出したくない。

でも万が一、何か解決法が見つかったのかもしれないと足を止める。

「セフィ。あんたまた俺を誘拐しに来たのかよ」
「そうじゃないが……いや、そうだな。先生が話があると言っている。来てくれ、ユータ」

なんだかいつもより気を遣った声音がマスクの下から聞こえてくる。
人目もあったため俺達は丘の上の診療所まで歩いて向かった。

「なあ、なんか鎮静剤とかくれよ。精神をちゃんと保っとかなきゃいけないんだ、俺も」
「ああ、分かった。後で気分が落ち着く茶も出してやろう」

巨体にじっと隣から見下ろされ、俺も頷いた。
たぶんまた良い話じゃなさそうだと、静かに勘が働いた。

診療所の診察室に入ると、長い銀髪に白衣姿のジルツ先生がいた。昨日の今日なので恨みがましく見てしまう。

「何の話ですか先生。ケージャならどっかに行っちゃいましたよ」
「そうか。ならばひとまずは安心といったところか」
「……はあ? なんすかその言いぐさはっ」

精一杯睨み付けても丸眼鏡の瞳はまるで動じないため俺はため息を吐いた。

「ユータ。昨日はさすがに話せなかったのだが。ひとつケージャに関して懸念がある。それを君にも知っておいてほしいと思ってな」
「……懸念って、なんですか?」
「彼は今眠っているわけだが、目覚めても相当な絶望に襲われることだろう。そこでだ。ひょっとすると彼は自暴自棄になり、儀式を壊してやろうと思うかもしれない。自分の生き残りをかけ、君と一緒にいるために」

机の上で手を組み、淡々と指摘される。
俺はばん!と机を叩いて身を乗り出した。

「何言ってるんだ! 兄ちゃんがそんなことするわけないでしょう! ……たぶん!」

言いながら胸がずきずきしてきた。
こんな風になっても俺達の目的は帰ることだというのは身に沁みている。

「ふむ。君をいじめたいわけじゃないのだ、ユータ。くれぐれも気を付けてほしいと言いたくてな」
「……はい。わかってます、先生。すみません、当たっちゃって…」

俺は頭をうなだれた。長老や先生のせいじゃない。
初めからこういう運命だったのだ。
途方に暮れていると、室外にいた助手がお茶のトレーを手に戻ってきた。
遠慮なく頂き、独特の香りのするハーブティーのようなもので心を落ち着かせる。

「ユータ。ここがふんばりどころだ。ケージャのことは残念だが、もともと体の持ち主は君の兄なのだ。自然に戻る事がこの症例のゴールだと考えていい。……とはいえ、君の心労はよくわかる。君が必要ならば、私が精神カウンセラーになってあげよう。どう思う、セフィ?」
「……そうですね。カウンセラーの役割は、ケイジのほうがいいかもしれませんね。ある意味荒治療ではありますが……」
「ふむ。ケイジか。一理あるな」

あっさり翻した先生と相槌を打つ助手。
俺は表情から自信が失せていった。

「そんな、兄ちゃんをこれ以上困らせたくないよ」

兄の気持ちを考えると元の自分に戻りたいだろうし、俺の感情なんて重荷になるだけだ。

「だが私は思うのだ。君の根本の悲しみや不安を癒せるのは、兄であるケイジしかいないのかもしれないと」

先生が穏やかに諭してくれる。
兄ちゃんは優しい。俺がすがれば、きっとさっきのように俺を受け止めてくれると思う。

でもそれが正しいことなのかは分からない。
ケージャのことも傷つけているのに、兄までも傷つけることになるんじゃないか。

俺はまた切々と考えながら、先生たちに話を聞いてもらったあと、とりあえず離れに戻った。
だんだんと兄の顔が見たくなっていたが、仕事に出たはずの兄ちゃんは、その夜中々帰って来なかった。
もしかしてケージャになってしまったのではと心配し焦る。

部屋で一人じっと待っていられなかった俺は、外に出て探すことにした。護衛の人にも声をかけたが、兄はもうとっくに職務を終えていて、居所はなぜか不明だと言われた。




(兄視点)


仕事を終えた後、すぐに離れに戻る予定だった。
だがまだ頭の中は優太のことで占められていて、この感情を一度ゆっくり整理したかった。

あいつの泣き顔を見てから、俺は電撃を受けたように思考が停止してしまった。
弟があれほどケージャに心奪われてるとは、正直知らなかった。

診療所に行こうかとも思ったが、相談の方向性は少し違うと感じ、自分でも意外な人物のもとを訪れることにした。

直に儀式が行われることもあり、今は港でその後の出航準備をしている大型の船舶に足を踏み入れる。
船長と挨拶を交わし、目当ての男を探した。

「おい、ラド。話したいことがあるんだが、今時間あるか」
「ケージャ! どうした、会いに来てくれたのか。旅行はどうだった?」

甲板での作業の手を止め、嬉しそうに近づいてくる奴に気まずくなる。

「俺は啓司だ。悪いな。旅行は楽しんだんじゃないか、知らないが」

投げやりに肩をすくめると奴は目を見開いた。
未だに人格を勘違いされると対応に困る。

「そうか、ケイジだったか。すまない、つい。もちろん時間はあるぞ、お前が俺のとこに来てくれるなんてな。嬉しくて舞い上がってしまうよ」

肩をばんばん叩き笑う。「親友」だという男の優しさと自然体に少し救われた。
そこで早速相談を始めるのだが、内容が幼稚なため言葉を発するのに苦労した。

「あのさ……優太があいつのこと、好きになっちまったかもしれない」

俺は明らかに声のトーンを落とした。
言うだけで馬鹿馬鹿しさと、悲しみと、つらさが襲う。
だがそう感じるだけの根拠と昨日接したのだ。

「えっ。そうなのか…?」

金髪ドレッドヘアの男、ラドは戸惑いがちに俺を見た。

「どうしてそう思ったんだ?」

直球で尋ねられ、答えに詰まる。ケージャが消えることを今言えるわけもないし、きっとこの事は長老と医師、俺達だけの秘密だろうとも考えた。

「なんとなくだ。最近の、優太の様子とかでな。……お前はどう思う? あいつらの雰囲気、そういう感じに見えたか」

こんな情けなくも感じる問いを投げるほど、俺はもう切羽詰まっていた。
ラドは予想と異なり、即答しなかった。

「いや……どうだろうな。正直に言うと、俺の目には……なんというか、奥方殿は「兄ちゃん、兄ちゃん」と言って奴を慕ったり心配したりと、お前への態度と同じように見えたが」
「……えっ? そうなのか」
「ああ。二人きりの時は知らないけどな。根底にあるのは兄への親愛のような気もする。まあ、あくまで俺の推測だよ」

経験豊富そうな男の言葉を信じたくなった。

ケージャが消えるかもしれないと知り、本来なら一気に開放感と喜びが襲うはずだった。
しかし優太の泣き顔を見たら、そんな考えもぶっ飛んでしまった。

もはや俺は優太の気持ちが気になって仕方がなかったのだ。

「俺とあいつ、何が違うんだ。うまく言えねえけど、優太を取られたくない……」

ラドが俺を見て瞳を揺らす。肩をがしりと持たれた。

「そんな顔をするな、ケイジ。俺はもうお前の親しい友人だと思っている。もちろんケージャは親友だが、大事な相談においては公平に接するつもりだぞ。……そうだな。お前達の勇敢さと男らしさは同じぐらい満ち溢れている。奥方殿への愛情もそうだ。しかし、ケージャは奥方殿を恋愛の伴侶として見ているだろう? 対してお前の思いは弟としての見方が強いのではないか。だから、……その、奥方殿も受け取り方が変化していっているんじゃーー」

丁寧に話してくれる奴の指摘に俺も思い当たるふしはあった。

「つまり、意識の差ってことか」
「ああ、そういうことだ。でも今のお前を見ていると、間違っているかもしれないけどな」

大の男に頭をくしゃりと触られ、俺は避けもせずに考えた。
俺の気持ちは、ただの兄としてのものなのか?
だとしたらこんな風に、相手の男に闘志を燃やすだろうか。

そして俺はひとつ恐れていることがあった。
もし俺が本気だとして、弟の優太にそこまでの思いをぶつけていいのか。

考えれば考えるほど感情と倫理観に挟まれ苦しくなる。
だが結局、自分一人で解決するしかないという結論に至る。

「……ありがとな、ラド。お前に話してみてよかったよ。人格が二つある奴とか面倒くせえのに、お前優しいな。他の奴もだけどよ。…とにかく俺は優太を支えていくことにするわ。何が起こってもな」

俺は奴の肩を軽く叩き別れの挨拶をしようと思った。
だが奴は何を勘違いしたのか、感動的な面持ちで俺を正面から抱きしめてきた。

こいつは美男子ではあるがそんな趣味はない俺は意識を遠ざける。
するとラドが何かを話してきた。

「お前こそ心の優しい奴だ、ケイジ。俺はお前達の力になることならなんでもしよう! 今日は嬉しかった、またいつでも来い!」

親友の力強い声が耳に響き、俺の体が強ばった。
一瞬襲うめまいをこらえ、両足で踏みとどまる。

「……なんだと? なぜお前がここにいる、ラド。そしてなぜ俺を抱擁している」

体を離し、驚愕する奴を見据える。
俺はたった今診療所から飛び出したところだった。絶望に苛まれて。

「ん……っ? お前、ケージャか?」
「そうだ。ここは……船の上か。……いつからケイジと抱擁するほど親しくなったのだ、お前は」
 
苛立ちを隠さず問うと、奴は頭に手をやり失敗の表情を見せた。

「いやー、ちょっとな。相談に乗っていたんだ。俺はこんな性格だし、お前がどの人格になっても大切な親友だ。親身になるのは当然のことだろう?」

奴をよく知る俺には、納得のできる理由ではあったが、理性ではそうはいかない。
ラドの明るい顔を見て、また自分の暗さが襲った。

儀式の後、俺は消える。
もうこいつや、島の仲間に会うこともない。

そのことを俺は、黙っているつもりだった。
真相は知る必要もないのだ。どうせ遠くに行くつもりだったのだから。

「ラド。俺はな、ユータについていこうと思うのだ。前に話しただろう。愛する者のためならば、全てを捨ててでもそばにいたいと。それが現実になったようだ」

話すうちに自然と笑みが出た。
親友の瞳が潤んでいく。

「ケージャ、そうなのか……?」
「ああ。もう決めた。旅行を終え、俺はユータなしでは生きてはいけんと改めて思ったのだ。お前には一番に伝えたくてな」

ラドは感情豊かな、仲間思いの男だ。奴は隠さずに目尻を濡らした。
しかし何度も俺に頷き、俺の気持ちを受け入れてくれた。

「そうか……それほどまでに、愛する人に出会ったんだな、お前は。……いいか、忘れるなよ。俺達の友情は永遠だ。お前がどこにいようと、俺の心はお前の心と共にある。幸せになるんだぞ、ケージャ!」

さっきのとは比較にならないほど、強く抱擁された。
俺はただ塞がれた感情の中、奴の心が嬉しかった。



prev / list / next


back to top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -