夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 36 目覚め

目を開けるとそこは俺達の離れだった。
木造の居間に布団が二つ敷かれ、寝ていた俺は体を起こす。

「……うあぁぁっ! ……あっ、ムゥ婆!」
「おかえり、ユータ。記憶の旅は楽しめたかの」

近くに正座をした長老に尋ねられ、俺はようやくケージャの過去から帰ってきたのだと分かった。
しかしすぐに隣で仰向けになっている男に驚愕する。

「あれっ? 兄ちゃんも起きてないの? どうしてっ?」

名前を呼びパニックになっていると、長老が兄に手をかかげて呪文を唱える。どうやら起こしてくれるらしい。

すると本当に兄の目がゆっくり開かれた。
俺は心から安堵して浴衣姿のがっちり体躯に抱きつく。

「兄ちゃん!」
「……う、……ここは……」

術から覚めたばかりで頭痛がするのか、兄が顔をしかめて額を抱えた。
そばで体を支える俺のことを凝視する。

「……ユータ……? 無事なのか!? ガイゼルは、あいつはどこに…ッ」

混乱して俺を速攻抱き寄せ、叫んだその台詞に俺はまた体が固まる。
兄ちゃんじゃない。人格が変わっている。

「ケージャなの…? …………ケージャっ!」

だが俺はショックを受けるどころか奴の首に腕を回して抱きついた。
嬉しかったのだ。兄のもう一人の人格に予期せず会えたことが。

抱き留めた体が強張る。そして俺は恐る恐るケージャに見つめられた。

「……ユータ。俺はここだ。……どうした、喜んでいるようだ…」

一瞬微笑みを見せたが、瞳を揺らして俺をぎゅっと抱きしめた。
きっとケージャはたった今、ずっと人格が変わっていたことを悟ったのだろう。

上手く言えなかった俺に代わり、兄は長老に目をやった。

「ムゥ婆、説明してくれ。何があったのだ」
「ああ。今教えよう。……ガイゼルのことは心配ない。お主はおよそ14日間眠っておったのだ。勝手な真似をして悪かったが、ユータとケイジの二人がどうしてもワシの口からでは納得しないと思ってな、お主が島に来てからの記憶を見せてやったんじゃよ。ちなみに今人格が戻ったのは、おそらく術の影響だろう」

長老の簡潔な説明に喉がごくりと鳴る。
しかしケージャは予想よりも落ち着いた様子で聞いていた。

「……そうか。では伝承の裏に隠された一族の不幸も、お前は知ったのだな」
「う、うん。でもそれだけじゃないよ、ケージャがどれだけ頑張って長として生きてきたか、見えたのは少しかもしれないけど、よく分かったよ」

俺は懸命に伝えようとした。
だが恐れていたことが次の瞬間、容赦なく起きてしまう。

「ケージャよ。本当のことを話そう。お前にとっては信じたくない話かもしれない。だが事実なのだ。……お前は、この島に異界からやって来た。ユータと同じ世界じゃ。そして海から上がった時にはすでに、息絶えていた。ワシはお前を全身全霊で生き返らせた。そうして力を注ぎ込んで生まれたのが、ケージャなのじゃ」

瞳を逸らさずに告げる長老を、兄もまたまっすぐ見ていた。
兄の気持ちを考えると胸が張り裂けそうになり、俺は腕にぐっと掴まる。

「にいちゃ……」
「そうか。分かった」

……えっ?
あっさりと告げたケージャを見上げる。
兄は俺をまじまじと見つめ、頬を優しく指で辿った。

「ふん。俺はもうユータの兄であるかもしれないことを半分は受け入れていた。今さらそんな事実では動かん」

言いながら指は俺の口元をたどり、切なげな眼差しから一転、眉間にぐっと皺を寄せた。

「クソッ。14日間も眠っていたことのほうが腹立たしい。人格交代の方法は定まらんのか? 何か知っているのか、ムゥ婆」
「ふむ。いいや、ワシは何も知らん」

同じくのほほんとしている長老に、じっと視線をやる兄が軽くため息を吐く。
その間も俺は厳つい体に抱えられていて動けなかった。

「あの……ケージャ? 大丈夫?」
「大丈夫なわけがあるか、お前との時間を無駄にしたのだ。……とにかく、長老には礼を言おう。今回の件と、俺の命を救ってくれた件だ。安心していい。伝承は必ずやり遂げる。……皆を守るという俺の心は何も変わっていないし、妻と会えたことで決意はより強まったのでな」

長らしく堂々と宣言する兄に、ムゥ婆も静かに微笑む。
俺はそのいつもより不気味な感じが全くなかった表情に違和感を覚えた。

「頼もしいのう。兄弟だとしてもまったくめげない。それでこそ我らの長じゃ。ーーじゃあワシはお邪魔のようだからそろそろ行くか。二人とも、今夜は大人しく休むのじゃぞ。術の疲れが残っておるからの」
「…あっ、はい。ありがとうございましたムゥ婆……っていうか、皆はもう帰ったんですか?」
「そうじゃ。お主らの術は半日ほどかかったからな。もう真夜中じゃよ」

おやすみ、と言い残して長老は離れを立ち去った。
そんな長い時間付き添っててくれたのだろうか。自然に感謝の念がわく。

二人で布団の上でくっついたままだと知り、動きがぎこちなくなった。
今いるのはケージャだ。なのになんで俺は、兄ちゃんが消えちゃった!っていう感じじゃなくて、落ち着いているのだろう。

それどころか、少しだけ心があったまり、胸が高鳴っているのだろう。

「じゃっ、じゃあ……寝よっか。ケージャ」
「俺はまったく眠くない。今まで寝過ぎたからな。お前はどうだ? ユータ」
「……ええと……俺は結構眠いというか、疲れたかも。頭使って……」

肉体的には熟睡してたはずだが、あくびが出てしまった。
きっとこの兄はたくさん聞きたいことがあるのだと分かったけど、俺は大きな体に寄りかかる。

「……しかたがない。眠れ、ユータ。目が覚めたあとは俺に付き合ってもらうぞ」
「うん……いいけど、勝手にキスするなよ」
「なぜだ」
「なんとなく……」

うっすら目を閉じていく間に兄が困りむすっとした顔と「婚姻の儀ぶりなのだぞっ」という悲しげな声が聞こえたが、俺は温かい体温に体ごと沈んだ。





朝、俺は少し寝坊してしまった。
居間で目を覚ますと近くに兄があぐらをかき、退屈そうにしていた。

「やっと起きたのか。おはよう、俺の妻よ。もう朝食が運ばれたぞ」
「……ケージャ?」

俺は目を擦りながら、兄の体に手を伸ばして抱きついた。

「ふふ。お前の兄ではないのに、やたらと嬉しそうではないか。可愛いぞ、ユータ」

上機嫌に頭を撫でられる。
確かにおかしいかもしれない。もう少しケージャと過ごしたいなんて思ってしまっているのか。

その後、身支度を整えて二人で朝御飯を食べた。
低い食卓に並べられたおかずを、姿勢よく座る兄が口に入れていくのを俺はちらちらと見ていた。

まだ気怠さを感じる自分とは違い、兄ちゃんはあんな術をかけられたのに元気満タンのようだ。さすが鍛えられた長だなと感心していた。

「さあ。こちらへ来るのだ。ようやくまたお前を独り占めできるな」
「……えっ。ちょっ、何があったのか教えるんだろっ」

食後はこれまでの経緯を話す予定だったのに、兄は俺を腕に包んできてドキドキしてくる。
近づいてきた顔にキスされそうになり、思わずかわして頬に当たった。

「おい。なぜ避ける。久々で恥ずかしがっているのか?」
「そうだよ。だってあんだけしてなかったのに……っ」

なぜか今さら顔が熱くなりもがいていると、頬を大きな手が覆ってきて見つめられる。
兄ちゃんとは昨日まで何回もしてたはずなのに、どうして意識してるんだ。

「ユータ。俺はもう、お前が兄と何をどれだけしたのかなど聞かんぞ。お前は今、確かに俺の手の中にあるのだからな……」

そう言ってケージャは優しく俺に口づけをした。
柔らかい唇が重ね合わされ、大切に少しずつはまれる。

「んっ……ふ、ぅ……」

もっと勢いよく奪われるかと思ったため、隙を突かれて肩の力がだらんと抜けていく。

「ケー……ジャ……」
「……あぁ、なんと良いのだ……お前の唇は……」

舌をそっと差し入れ、丁寧に絡められる。
体が時おりびくっと反応し、朝から変な気分になってしまう。

「ん、あ、もう……いぃ…」

文句を言いながら胸板を押そうとするが力が出ない。
そうしてしばらく二人で過ごしていると、玄関口であるカーテンの裏から、近くの壁をコンコンと強めに叩く音がした。

「なんだ! 邪魔をするな」

口を離し、途端にイライラし始めた兄が立ち上がって向かう。
部下の人が入ってきたかと俺は急いで身なりを整えた。

だが現れた黒い腰巻き姿の男に「あっ」と思い出す。

「なっ! ガイゼル、貴様こんなとこで何をしている!」
「お前の妻を迎えに来てやったんだが? おいユータ。そろそろ行くぞ。支度しろ」
「……あ、うん! ちょっと待ってっ」

普通に浴衣の下に半ズボンを履き直し、いつもより頑丈な靴を履いて奴のもとに駆け寄る。
だが呆然としていた兄に当然のごとく腕を掴まれた。

「どこへ行くのだ、というか何故奴がここにいるのだ!」
「ごめんごめん、兄ちゃん。話してなかったね。今こいつ俺の雑用係なんだよ」
「……はっ?」

ケージャがまるで兄のように呆けた顔をする。
そうだった。人格交代していた時に起こったことを正直に話さなければ。 
今度こそショックを受けそうな事柄だとは思ったが。 
 
「……な……なんだと? お前の兄が……決闘をしてこいつに勝った、だと」
「うん! 俺の兄ちゃんも結構すごくない? 頑張って特訓して、俺を誘拐した悪党をやっつけてくれたんだよ! しかも西地区まで嵐の中助けに来てくれたし!」
 
つい興奮して家族の勇姿を告げたかっただけなのだが、ケージャは愕然と立ち尽くした。
にやりと笑うガイゼルが追い討ちをかける。

「ハハッ。そうだ、この俺が負けるほどケイジはものすげえ強かったぜ? 敗北したからには不本意だが少しだけ奴の下で働いてやってんだよ」

情けない内容ながら誇張した台詞を浴びせると、ケージャはがくっと床に膝をついた。俺は慌てて支えようとする。

「そんな……はずがない。お前はそこまで弱くないだろう。なぜユータの兄ごときが……」

ガイゼルが人格交代のことを知っていることも、すでにこの兄は受け入れているようだった。
奴によれば昨日儀式のために集まってくれた面々には、長老が経緯を伝えてくれたのだという。

すると突然、廊下から急ぐような足音が聞こえた。
微妙な現場に現れたのは、汗をにじませた側近エルハンさんだった。

「……部族長! ああ、お戻りになられたのですね、お待ちしておりましたケージャ様ーー」

すぐにひざまずき頭を下げている。
しかし兄はゆらっと立ち上がり、険しい顔つきで彼を見下ろした。

やばい、また部下に当たるかもしれない。

「エルハン。……ケイジが決闘で奴に勝ったというのは本当か」
「は、はい。事実でございます」
「そうだよなあ、お前がみっちり特訓授けてやったんだもんな」
「ーーおいっ、今そのことを言うな!」

焦り顔でガイゼルを叱責する側近だが、兄の顔は笑っていない。

「申し訳ありません、ケージャ様。しかし、貴方がいない間に長が座を奪われるなどということは、あってはならない事で……」
「ふん。その通りだ。……だがお前、相当あいつに気を許しているみたいだな。……俺のいる意味は、本当にあるのか?」

奥歯を噛む兄の視線にエルハンさんが怯む。
しかし彼の真剣な眼差しは揺るがなかった。

「私にとっての部族の長はケージャ様、貴方だけです! この三年、いえ、もっと前から私は、貴方の誕生を待ちわびておりました……!」

涙をにじませ主張する彼の気持ちが伝わってくる。
俺も記憶を垣間見た立場として、彼は嘘を言っていないのがよく分かる。

「あの、エルハンさん。もしかして長老から聞いたんですか、俺達のこと。……あと、ケージャの由来も…」
「……はい。奥方様。すべて伝えられました。……ですが私は、たとえ部族長がどのようにこの島に現れたのだとしても、今日まで我らを導いて下さったのは貴方お一人の力だと信じています。ですから……っ」

言葉をつっかえる彼を援護するように、隣の兄の顔を覗きこんだ。

「そうだよ、俺も見たんだ。確かにもう一人の兄ちゃんは頑張って俺達のために闘ってくれた。でも島の長はケージャなんだよ! 周りの皆がどれだけケージャを慕って支えてくれてるか、俺もすごく感じたよ!」

本心を伝えると、ふと兄に手を繋げられる。兄本来の仕草に似ていたが、俺を切なそうに見下ろす眼差しは、紛れもなくケージャのものだった。

「……ありがとうな、ユータ。少し元気が出たぞ」

そう言って人前でまたぐっと抱擁をされる。
その時間は長かったが、俺は必要なことだと思って背中をさすった。

「エルハン。俺がいない間、半人前の長の世話、ご苦労であった。お前はどんな時もこの俺の右腕だ。これからも頼りにしているぞ」
「ーーはい! ケージャ様!」

二人がやっと視線を堅く交わし、俺は深く胸を撫で下ろす。
ガイゼルは腕を組んで壁に寄っ掛かり、じろじろとその様子を眺めていたが、ひとまず邪魔をされなくてよかった。



その後、場所は俺の今日の働き場へと移る。
最近はゴウヤさんに教わる漁の他にも、島の農地で耕作を手伝っていた。

理由はガイゼルが西地区ならではの手法を教えてくれるからだ。

「おい、そこ、そうやって植えるんじゃねえ。こうだ。もっと深く掘れ」
「は、はいっ」

全身入れ墨の屈強な統括者は、あまりこの朗らかな東地区にはいないタイプなため、皆少し怯えながら指導を受けていた。
しかし奴は見た目によらず仕事は丁寧で何よりてきぱきと活動的だ。

「うわぁ、あんたすごいなぁ。腐ってもリーダーなんだな。もうこんなに農地が賑わってきて、皆もすごく助かってるって言ってたぞ。見直したよ、ガイゼル」
「へっ。俺らはお前らの力も借りずに、独自に何十年もやってきたんだ。舐めんじゃねえよ」

褒めたのに素直じゃなく俺の下手なクワをぶんどって自分が力強く耕し始める。
なんでも西地区は島の高い崖側に面しており、岸辺も狭く漁の規模が小さいらしい。だから森での狩猟と農耕が発展しているのだそうだ。

「ほう。お前の仕事ぶりは初めて見るが、中々素晴らしいではないか。ガイゼル、お前はもっと俺達と交流すべきだ」

いつもの裸体に腰巻き姿の長、ケージャが顎に手を当てて感心している。
そう。なぜか今日はこの人も「念のためだ」と言って俺達についてきていた。

「うるせえ。上から目線の野郎が…」
「ふふっ。しかしまるで協力的ではなかったお前がこの地に来て皆に指導してくれるとはな。……それほどあいつに心動かされたか?」

ケージャが奴をじろっと見てまた兄のことを探った。
俺はさっきみたいに怒らせないでくれとハラハラしてガイゼルを見やる。

「別に。ラウリを取られて暇なだけだ。……俺が長になった暁には、この地区ごと改革してやるぜ。その時にはもうお前はいないだろうけどな。ハハッ」

意地の悪い笑みで放たれた台詞に俺は思いっきり奴の足を踏む。

「っで! なにすんだッ、お前チビのくせに狂暴だぞッ」
「うるせー! お前こそ繊細な話題口にすんな! ……あっ、兄ちゃん大丈夫だからね。気にしないでね」

俺はそそくさと兄のそばに寄り悪口を遮断しようとした。
悲しい顔をしてるのではと思い、心配して見上げる。

すると案の定、無言で視線を落としていた。

「ケージャ……」
「……ユータ。昨日からお前は、俺の名前を呼んでくれるようになったな」

顔を上げて、突然そんなことを指摘されまごついてくる。

「う、うん。そうかも。ケージャは兄ちゃんだけどね。……でもあっちの兄ちゃんとは違うしさ……」

俺はいつもよりだいぶ気を遣った言い方をしていた。

島から帰る云々の話題は、なぜか今したくなかった。
ケージャのことをこれ以上傷つけたくはなかったのだ。

「そうだな……俺はお前の兄だが、夫でもある。……お前の夫は、俺一人だけだ。そうだろう? ユータ……」

じっと褐色の瞳に問われれば、俺はもはや違うとは言えなかった。
あの記憶を見て以来、俺ははっきり言って、ケージャに甘くなっていた。

「ええっと……そう、なのかな。たぶん。……うん、俺達結婚しちゃったもんね」

はは、と冗談ぽく言ったが兄には通じなかった。
とたんに勝ち誇ったように瞳を燃え上がらせ、顔を上気させている。

「ふふふッ。そうか、そうだろう。俺達は島の神の名の下に、その永遠の愛を誓い合った夫婦だ。その絆は誰であろうと裂けられはしない!」
「ちょ、兄ちゃん、あんま興奮しないで。皆見てるから…」

恥ずかしくなってきた俺の両肩を兄の手ががしりと掴む。 

「ユータよ、そういえばまだ新婚旅行をしていなかったな。俺は考えていたのだ。嵐が去った後にお前を島のとっておきの場所に連れていきたいとーー。では行くぞ! 俺が俺であるうちにな!」

そう宣言した兄は、すごく前向きで、元気を完全に取り戻したようだった。



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