夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 35 迎える準備

「ムゥ婆、これはどういうことだ! 妻となる者がやがて異界に帰ってしまうなど、聞いていないぞッ、俺を騙していたのか!」

翌日、すごい剣幕で長老室を訪れた兄を、着物姿の長老は落ち着いて見返した。

「なんじゃいきなり。ワシはお主を騙すつもりなど毛頭ない。ただ言わなかっただけじゃ。やる気がなくなったら困るだろう」
「……なんだとッ。人をなんだと思っている、俺は最近ようやく頭痛も和らいで長の仕事に邁進し、まだ見ぬ妻と添い遂げるという崇高な目的を掴んだのだ! なのにまた精神が不安定になってきたではないか!」

昨夜は飲みすぎたのか寝間着の浴衣姿で、兄が手のひらで茶髪を掻き乱し悪態をつく。
ここまでショックを受け人前で弱音を吐き出すとはびっくりした。

「ケージャよ。そう錯乱するでない。お主は島の男だろう、強い心を持ちどっしりと構えよ。……確かに伝承には、儀式のあとに異界の門が開くと書いてある。だがそれを通り抜けるかは、その者の自由じゃ。お主が素晴らしい夫に、妻に離れたくないと思わせるぐらいの男になればいいだけではないか?」

年長者らしくやんわりと諭している。
すると兄の鋭い瞳が徐々に力を失っていった。

「それは……そうだが……。本当なのか。門をくぐらなくてもいいというのは」
「ワシはそう考えておる。まあ、前人未到の儀式じゃから、何が起こるかは実際には分からんがな」

一瞬ケージャを見て視線を落としたムゥ婆だが、兄は強く拳を握ったまま考えこんでいた。

しばらくして立ち上がり、今度は真っ直ぐと長老を見つめる。

「分かった。俺ももう後には引けん。育ち始めたこの想いはきっと消えないだろう。ーー何がなんでも未来の妻は俺のそばに引き留める。その者と俺は運命で結ばれた夫婦になるのだからな。絶対に逃がしはせんぞ…!」

ついこの間まで優しく俺のことを考えてくれていた兄ちゃんが、怖い顔で決意を新たにした。
ここから強引な夫の姿が作られていったのだろうか? もうすでに妻のことを離したくなくなっていたらしい。

心の拠り所だったのだから、仕方ないのかもしれないけど。
ちょっと心配だ。



それから場面が目まぐるしく変わった。
感情が劇的に動いたからなのか、記憶の術のせいなのか、俺は突然来たこともない場所に立っていた。

兄が頭に手拭いを巻き、作業着のような出で立ちで洞窟の中にいる。レールが引かれた幅のある道は、なんと島の鉱山だった。

他の作業員の男達が、ピッケルを手に鉱石を一生懸命掘り出している。

「あっ! ……部族長、見てください! これは島の中で最も高値で売れる原石ですよ!」
「おお、よくやったな、かなりの大きさだ。俺もお前が誇らしいぞ」
「へへっ。そうだ、これをぜひ未来の奥方様への贈り物にしてはいかがですか? 特等品になりますよ!」

まだ年の若い鉱夫が目を輝かせて兄に両手で差し出した。兄は目を見開いたあと、首を振って石を彼の手に握らせる。

「それはならん。この石はお前の手柄だ。いいか、俺の為に働くな。お前たちは自分の暮らしを豊かにするために、生きて働くのだ。それが島の豊かさにも繋がる」

真面目に語るケージャの話を、いつの間にか周囲の男達も聞いていた。

「お前たちが俺のためにいるのではない。長の俺が皆のためにいるのだからな。分かったな?」
「……は、はいっ! ケージャ様!」

男らしい長の顔つきで肩を叩く様は、瞬く間に島民の心を掴んでいった。

なんだかまるでこの人は長になるために生まれてきたんじゃないかと信じてしまうほど、ぴったりの器に思えてくる。

だがこの石の話は、兄のインスピレーションにかなり影響を与えたようだった。

そもそも兄が鉱山を訪れたのはもちろん長の職務としてのこともあったのだろうが、その前から島の様々な図鑑や本を読み漁っていた。

「やはり、俺も自分で手に入れたいのだが……唯一とも言えるような、特別な品はないだろうか……」

ぶつぶつと自室で机に向かう兄を見て予感が当たった。
もしかして俺へのプレゼントを探しているのかな?
兄の贈り物探しはこの時から始まったようだ。





ケージャが長になってかなりの月日が経過したらしい。
ある日、兄はまた親友のラドさんと過ごしていた。俺も足を踏み入れたことのない南地区の視察に訪れ、合間に近況を教え合う。

彼の住居はお洒落な二階建てで、裏はちょうど小さなプライベートビーチに面しており、二人は浜辺の椅子に優雅に寝そべっていた。

異国で手に入れたのかサングラスをかけて飲み物を口にするラドさんは、まるで外国の俳優みたいに見える。

「ケージャ。どうだ二人の新居は。完成まであと半分といったところか?」
「ああ。構想から約一年。結構時間がかかってしまった。だが苦労した温泉もようやく完成してな、妻と共に入るのが楽しみだ」
「いいじゃないか。手間がかかるのは仕方がない、お前は長の仕事の傍ら取り組んでいるのだから」

自分のことのように嬉しそうに話す彼に、兄が頷く。

「お前はどうなのだ、ラド。彼女とはうまくいっているのか?」
「いや、この前別れたんだ」
「なにっ?」
「将来の話になって衝突してしまってな。遠距離はもう耐えられないと言われたよ。当然なんだがな……互いに仕事があるし、どちらかの場所に移り住むことも現実的じゃない。だからこうなることは、どこかで分かってたのさ」

肩をすくめて話すラドさんはちょっと元気がなさそうだった。

「そうか……なんとも無情な話だ」
「ケージャ。お前はどう思う? 俺はやっぱり仕事を手放して彼女のもとに行くことは出来なかったんだ。お前ならどうしてた」

尋ねられ兄も真剣に考える。体育座りで聞いていた俺も気になった。

「うむ。俺ならば……本当に愛していれば全てを捨ててその者のそばにいるかもしれん。長の台詞としては最悪だがな」

兄は冗談混じりに笑った。しかしラドさんは真面目に受け取ったようだった。

「いや、お前らしい。それだけ相手を大事に思っているのだろう。俺もそのはずだったんだが……恋愛とは難しいな。俺は島も船も、離れられなかった。この先もまた同じようなことを繰り返すんだろうか?」

ため息をつき、まだ吹っ切れていない様子の親友に、兄は正面から向き直る。

「ラド。複雑に思えるが、簡単なことだ。自分のことを考えるなら島の女と婚姻を結べ。本気で好きなら女のもとへ行け。……俺の個人的な気持ちとしては、お前には島にいてほしいが」

ふっと笑って兄なりに励ましの言葉をかける。
いつも陽気なラドさんは珍しく、瞳の奥をじわりとさせた。歯に衣着せぬ長の、親友の物言いに彼は心震えた様子だった。

「……ケージャっ! ああ、いるさ、俺はまだまだこの島と外国を繋げる役目がしたい、お前のそばで働きたいんだ! 俺がお前の支えになりたい!」
「ふふっ。興奮して抱きつくな、暑苦しいだろう」

照れくさそうに言うも、二人はまたこうして友情を深め合っていた。

なんだかいいなぁ。本当の兄ちゃんはいい気分ではないかもしれないけど、こうして人々とのやり取りを見ていると、ケージャは確実にこの世界に生きていたんだと実感する。

そんな時だ。
突然、住居の奥から部下らしき部族民が焦った様子で現れた。

「失礼いたします、ラド様。かねてより交渉を行っていた外商が先程島に上陸しました。話をしたいとのことです」
「えっ? 今か? どうしてこんな急にーー。分かった、すぐに向かおう」

彼は兄に「すまん、急な仕事だ」と告げ身だしなみを整えて出発しようとした。

「何があったのだ、俺も行こう」
「いいや、大丈夫だ。俺に任せてくれ、ケージャ」

笑って手をあげてその場を颯爽と立ち去る。しかし俺はなぜか胸騒ぎがし、彼についていこうとした。
だが体が壁に阻まれてるようで動かない。

あっそうか。これはケージャの記憶だから、違う場所には行けないんだ。

右往左往していると、しばらく座って考えていた兄も急に立ち上がる。
同じ考えだったのか、外にいた護衛の人にラドさんの行き先を聞きだし、後を追ったのだった。

着いた先は、南地区にある集会所の一階だった。
ガラス張りの建物は彼のセンスなのか、リゾート地みたいに洗練された雰囲気で浜辺が見渡せる。

室内にはいかにも金持ち風の、ローブをまとった異国人がいた。
貴金属をじゃらじゃらつけたひげ面の中年だ。

「失礼するぞ、俺も交渉の場につかせてくれ。この碧の島の長だ」
「うわっ、ケージャ!」

びっくりして腰を上げるラドさんだが、相手の外商はにやりと笑んで兄に挨拶をした。
話を聞くと、どうやらこの人は鉱山の採掘にも携わる、宝石の投資家だということが分かった。

「ほう。つまりあなたは、この島で採れる鉱物に関心があるのだな」
「ええ、ええ。稀少な宝石がたんまりと眠っていると聞きます。だがあなた方の技術力では、十分な採掘ができないのではと。そこで私達の最新の装置や技術をお教えし、協力させて頂けないかと思いましてね。……発掘した鉱石は私の人脈を使って相場よりもかなりの高値でお売りすることも出来ますよ」

ゆったりと椅子に座り、上から目線で話す男に兄は沈黙した。

「ケージャ。実はお前が特別な鉱石を探していることをこの方に話していたんだ。すると採掘の話を持ちかけられてな。なんでも精霊の丘付近には大変稀少な鉱物が埋まっている可能性があるとか…」
「そうなのです! ぜひ我々と手を結んでみませんか? 物質的にも金銭的にも、この未開の島が豊かになること間違いないでしょう!」

前のめりな外商の言葉に、ラドさんとケージャがぴくりと眉を動かす。

「未開だって? 失礼なことを言わないでくれ。俺はそんなつもりはなく、ただ冒険心と島の繁栄への期待からーー」
「ラド。お前の心遣いはありがたいのだが、俺はこの話には賛成できん」

きっぱりと口にした長を二人が見やる。兄の瞳は静かながらも、島の男らしくひりひり燃えるような眼差しをしていた。

「幻の鉱石の話は俺も承知している。個人的には喉から手が出るほど欲しい魅惑的な物質だ。しかしな、ただ島の宝を食い尽くそうとしている者達においそれと渡す気はない。……発展は目指すべきものであるが、すべてではないと俺は思う。俺は長として、島のよき風景を、皆の暮らしを壊したくないのだ」

ケージャは自分の思いを表した。
外商はくっと言葉をのみ、ラドさんは我に返った顔つきになる。

「ケージャ……」
「人々は今が幸せだと、長の俺は皆の顔から感じ取れる。古くさいと言われようとも、あなたの言う発展はこの島には必要がない。お前はどう思う、ラド」

彼のほうに振り向くと、ラドさんもやがて「……ああ!」と頷いた。

結局交渉は決裂し、目論見が叶わなかった外商は仲間を引き連れて島を後にした。
異国では知られていないこの島は、ある意味可能性の塊のように映り、こうして資源を狙う者も現れるのだろう。

毅然と追い払った兄の姿になんだか尊敬の念がわいてくる。

「ケージャ、すまない。お前に助けられたな。俺は色々なことに目がくらみ、冷静さを失っていたのかもしれない」

後程彼は兄に頭を下げていた。

「いいのだ、ラド。お前の好奇心と向上心は俺も気に入っている。ふふ、幻の石には俺も一瞬目がくらんだぞ」

反省する仲間の背を兄が軽く叩き、明るく言う。

「だがさすがに精霊の丘には手が出せんな。きっと長老の大目玉を食らうぞ。それに鉱石はいつか掘り尽くしてしまうだろう? 俺達は自分達のやり方でゆっくり掘ればいいのだ。神々に恵みを感謝しながらな」

ケージャはそう言って、またすっきりと笑顔を見せたのだった。




そこで終わるのかと思えば、話はもう少し続く。

またどのぐらい年月が経ったのか分からなかったのだが、兄は俺達の住居である離れの前にひとりぽつんと座っていた。 

高床式住居に続く階段で、葉巻を吸って休んでいる。
そこへ金髪ドレッドヘアの男が駆け寄ってきた。

「ケージャ! やったぞ!」
「なんだ、そんなに喜んだ顔をして」

さっきまでの顔つきよりさらに精悍になり、体つきも今と変わらぬこんがり日焼けした逞しい兄が迎える。

「お前に頼まれていた宝石だ、聞き込みをした甲斐あって、碧の民の末裔である異国の老婦人に譲ってもらえることになったんだ!」
「……なにっ? 本当か!?」

二人は少年のように顔を輝かせ、抱き合った。
あの碧の石がとうとう見つかったのか。どれほど二人が苦労してくれたのかと思うと勝手にじーんとなる。

ラドさんによると、ケージャの想いの詰まった書状を読み、事情を理解して協力してくれることになったらしい。

もちろん相応の礼をすることは約束したらしいが、宝石師である先方の婦人の好意により、特別な術式を練り込んだものになるようだ。

……それについては俺も何とも言えないが、まあいいか。

「あと数ヶ月だな、ケージャ。楽しみで眠れないんじゃないか」
「ああ。そうだな」

しみじみと頷く兄が、遠くを見て本音を明かし始めた。

「ラド。前にも話しただろう。俺の未来の妻は異界に帰ってしまうのかもしれない。以前偉そうなことを言ったが、出来ることなら俺は、この島に引き留めたいと思っている。まだ会ったこともない者なのに、今から恐れているのだ。島も愛する者も、失いたくないと。この恐れはどこから来るのか分からんが……」

腕を握りしめ、不安定な気持ちをさらけ出す兄ちゃんを、俺はつい抱き締めたくなった。
代わりにラドさんが肩を抱き寄せる。

「考えすぎるな。恋愛は一人でするものじゃないぞ。奥方殿と一緒に決めることだ。お前なら平気だよ、俺はこれほど優しい人間を知らないぞ」

語りかける言葉に、兄は首を振りまた切なそうに前を向く。

「俺は優しくなどない……ああ、早く妻に会いたい。待ち遠しくてたまらん」

思わず漏れた台詞を俺は隣で聞いていた。
俺達は離れたりしないよ。兄ちゃんも一緒に帰るんだよ。
そう言いたいけれど、これはケージャだ。

俺達は一体どうなるのだろう。
兄の気持ちと重なるように胸がズキズキしてきた。

あれ?
記憶の中だから何も感じないはずなのに。

変に思うと、住居を囲む木々の端に人影が見えた。紫色の着物をきた老婆だ。
しかも俺のことをじっと見ている。怖い。

「ユータよ。そろそろ出るのじゃ」

頭の中で話しかけられて、驚愕して叫びそうになった時、長老はすぐ目の前にいた。
まだ近くでは兄とラドさんが普通に会話していて混乱する。

「えっ? ……うわっ! ムゥ婆、何で俺が見えてるんだっ?」
「ワシは現実の長老じゃ。お主を迎えに来たからじゃよ。悪いがもうすぐ力の限界が来るんでな。さすがに戻ってもらうぞ」

後ろに手を組み佇んでいたムゥ婆だったが、右手をこちらに翳した。

光が放たれたかと思うと、ようやく俺はこの長い記憶の旅から目を覚ました。



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