夫婦になった兄弟 | ナノ


▼ 33 生きてきた理由

ケージャの人格となり島で暮らしていた兄は、表面上は部族に溶け込んでいるように見えた。
ひと月ほどが経ったある日、珍しく黒い着物を着た長老が兄の部屋を訪れた。

「ケージャよ。今日は狩りはなしじゃ。分家のほうでな、葬儀が執り行われる」
「……葬儀? 俺も行っていいのか」
「もちろんじゃ。お前はすでにワシらの家族だからの」

元気がない笑みのムゥ婆だったが、はっきりとそう言い兄を驚かせた。
俺も慌ててついていく。分家ということは、本家である長老一族の親戚の誰かが亡くなったということだ。

神妙な気持ちを持ちながら、島での葬儀を初めて目にするのだった。

その光景は俺の想像とは少し異なっていた。
参列者は家族や親しい友人のみで、式は夜の浜辺で厳かに行われる。女性と子供は黒い着物を身につけ、男達はいつもの正装である装飾がついた腰巻き姿だ。

そして故人は装束を着て小舟に乗せられ、炎に揺られながら海へと放たれる。
島と深い繋がりのある海へ魂が還ることを意味しているのだといい、俺はそのややショッキングで神秘的な慣習に目を奪われていた。

浜辺には部族長のエルハンさんや父のゴウヤさん、弟のラウリ君もいて遺族に挨拶をしていた。
人々の目には涙が浮かんでいて、俺も知らない人なのにやるせなくなった。

兄は一言二言お悔やみを伝えたあと、ひとり遠くから海をゆく小舟を眺めていた。
砂浜に座り、俺もなんとなく少し離れたところからその様子を見つめていた。

何を考えているのだろう。
気にはなったが、俺も葬式は嫌いで、なにより三年前の兄のものを思い出して気分が沈んでいった。

兄の近くに、ムゥ婆がやってくる。
お付きの者もおらず一人なのは珍しい。

「どうじゃった、島の葬儀は。ケージャ」
「……ああ。俺は好きじゃない。子供が泣いていた。その母親も」

静かに話す兄に、長老も頷く。

「故人の家族じゃ。まだ若いのに、勇敢な父を亡くした。可哀想にな……。若者が命を落とすのは本当につらい」

そう苦しげに吐き出すムゥ婆は、いつもより人間味のある姿に見えた。
だが彼女は、さらに兄に伝えたいことがあるようだった。

隣に向き直り、まっすぐ瞳を捉えて切り出す。

「お主にまだ言っていなかったことがある。ケージャよ。聞いてくれるか」
「なんだ。俺に力になれることがあるのなら、何でもしよう。あなたは俺の命を救ってくれたからな」

蘇生された記憶はないはずだが、兄は緊迫した長老の雰囲気を感じ取ったのか、優しげな笑みを浮かべて言った。

「そうか……ありがたいことじゃ、ほんとうにな。ワシは、此度の伝承にすべてを賭けておる。なぜならば、この伝承を成功させることで、我ら一族の配偶者の命が、救われるのじゃ」

ーーえ?

思ってもみない言葉に注意が引かれたのは、俺だけでなく兄もだった。
すぐに「どういうことだ…?」と訝しげに片眉を上げる。

「始まりはいつだったのか、ワシにも分からない。小さかった頃、すでにそうだった。ワシは巫女だった祖母から聞いたのじゃ。我ら一族は大昔から、婚姻を結んだ配偶者の命が不慮の事故で失われる……と」

切々と長老が語り始める。
はっきりとした原因は不明であるらしいが、呪術を用いシャーマンとして島の祭祀を担ってきた彼ら一族が、祟りなのか業なのか、まるで呪いのようなものを受けていることは、古書にも記録があるようだった。

「それは、本当なのか。……確かに、エルハンの母は海難事故で亡くなったと聞いた。では、ムゥ婆の両親もなのか…?」
「ああ。ワシの父も航海中に亡くなり、祖父は森で命を落とした。どちらも若い頃のことじゃ。……これほど身近で不幸が続くのは、ワシも子供ながらにおかしいと思ったよ」

配偶者の事故というが、全ての者に降りかかるわけではなく、何も起こらないこともあったらしい。それか伴侶ではなく、一族の者が命を失うこともあるという。

「島での生活はとかく安全というわけではない。部族の中では、戦いの最中に死ぬ者だっている。だがな……ワシはもう、悲しい事故は見たくない。一族の皆に、天寿を全うしてほしいのじゃ。子や伴侶、親が悲しむ姿はもう嫌なのじゃよ……」

ムゥ婆は目尻をぬぐい告白をした。
当事者にとってみれば、不確かなことで脅かすことも出来ず、このことは長老と密接な神官ら以外、誰も知らないと言う。

婚姻を結ばないことはシャーマンの血筋を途絶えさせることであり、それも島の未来にとって非現実だ。

俺は、そんなことがあったなんて知らなかった。
このおばあさんは何か裏で目論んでいて、洗脳しているのではとも思っていた。

だがこんな重いことを背負い、今まで生きてきたのかと思うとやりきれなくなった。
足から崩れ落ちそうになり今までのことに頭を下げたくなる。

「そうだったのか、ムゥ婆。エルハンやラウリが心配なのだな」
「勿論じゃ。島のためと言いながら、一番は家族のことを考えているのだから、ワシは長老失格なんじゃ」

そう言って、長老はゆっくりと立ち上がった。
見上げた兄も腰を上げて、大柄な男と小柄な老婆が正面から向き合う。

「頼む、ケージャ。我らを救ってくれ。我らシャーマンの家系が途絶えれば、島を守ることが困難になる。お主と未来の妻の力が、この島には必要なのだ」

まっすぐと見つめるムゥ婆の手を、ケージャが取った。
体の前でしっかり両手で包み込み、頷く。

「分かったぞ。俺に任せろ、ムゥ婆。島もあなたの一族も、俺が皆幸せにしてやる。……俺はそのために、この島に生まれたのだろうからな」

高らかに宣言する兄の顔つきは、今までと違っていた。
まるで俺が最初ケージャと会ったときのような、何か大事なものを見つけたかのような姿だった。


◇◇


長老から聞かされた事実により、兄は明らかに変わった。
秘密を特別に明かされたという信頼感もあっただろうし、なにより急激に責任感が芽生えたようだった。

「ムゥ婆。俺の妻は、いったいどのような者なのだろうな。この本によれば、黒髪の美少年なのだろう? というか、なぜ男なのだ?」
「ほほほ。何か不満か」
「いや、そうではない。今は楽しみにしている。やっと俺にも、家族ができるのかとな」

長老室によく来るようになった兄は、伝承にも前向きに取り組み、色々な質問をぶつけていた。
長老は書いていた書物から筆を置き、兄に話をする。

「ケージャ。家族ならもうおるじゃろう。ワシも息子も孫も、いや、島の全員がお前の家族じゃ。日々の生活をともにし、同じ信仰をもち、同じ釜の飯を食す。ワシは部族の一人一人が大事な家族だと思っておるよ」

長老の言葉には兄も真剣に頷いていた。

「ああ。ありがとう、ムゥ婆。それは俺も嬉しいんだが……」
「ふふ。そんなに妻が気になるか。お主、最近そのことばかり突っ込んでくるからのう」

にやりとからかう長老に兄は照れくさそうに頬をかく。
確かにそばで見ている俺にも分かるほど、なぜか兄は急に浮かれ出していた。

「まあ、それはな……ただ少し心配なのだ。未来の妻は異界から来ると聞いた。家族をおいて俺のもとに来るとは、不憫なのではないか」

兄は悩ましげに腕を組み、懸念を漏らした。俺は密かに驚く。今の強引なケージャからは信じがたいが、前は理解が広かったらしい。

「ふむ。お主は優しい男じゃな。確かにそうだ。……だがそれも運命じゃ。お主が神々に選ばれたように、その者もこの道を通らねばならぬ使命がある。それは我々が変えられるものではない。……しかしケージャよ。お主は強き夫として、妻をそばで守り支えることが出来るのだ。それはお主にしか出来んことなのだぞ」

朗らかな笑みで最もらしいことを言われ、俺もつい納得しそうになってしまった。
伝承の由来は分かったし、この島や長老一族を救いたいとは思う。
だがやっぱり、なぜ俺たち兄弟が選ばれたのだという事には、まだ疑問の余地があった。

ムゥ婆はあの時、兄弟だからこそ打ち勝つことができるとかなんとか、言っていたが。
兄は二重人格になってしまったし、依然として過酷は過酷だ。

そんなこともまだ知らないケージャは、長老に励まされてさらにやる気を出していた。



また明くる日。兄は島の男として一層強くなる為に、稽古に励んでいた。
道場には長のエルハンさん、そして父のゴウヤさんも様子を見に来ていた。

「やあケージャ。今日も一段と気合いが入っているな。以前のお前はどこか陰のある硬派な良い男だったが、今や見違えるほど雄々しくみなぎっているな。良い女でも抱いたか?」
「そんなことはせん。俺には未来の妻だけだ。その者のために、様々な鍛練をして強くなろうと思っている」

汗を拭って格好良いことを言っている。
ゴウヤさんは大声で愉快そうに笑い、兄の肩をばしばし叩いていた。

「いいなあ、やっぱりお前は俺の見込んだ島の男だ! …あっ、そうそう、頼まれていた手続きしておいたぞ。丘の上の学校への入学がきちんと認められた。よかったな、頑張るんだぞ」

息子にやるように声をかけると、兄も子供のように「ああ!」とそのニュースを喜んでいた。
ケージャは前に学校で読み書きや島の歴史を学んだと言っていたが、本当だったのだと驚愕だ。

何でも長老には伝承の書物を詳しく読みたいと話していた。
一度こうと決めたらとことん本気で取り組むのは、常に行動的だった兄の性分だと懐かしくなった。

道場で指導を終えたエルハンさんも二人のそばにやって来る。
彼も兄の変貌ぶりに大きく喜びを見せていた。

「入学おめでとうございます、ケージャ様。鍛練に熱心なだけでなく、勤勉な貴方には頭が下がります」
「ふふっ。お前たちの支援のおかげだ。皆がいなければ、俺も色々なことを諦めたままだったかもしれない」

兄は遠い眼差しをしたあと、エルハンさんをじっと捉えた。
きっと彼らの運命をおもんばかり、思うことが多々あるのだろう。

だが長が感激していると、予想していなかった事を言い出した。

「エルハン。ついでといってはなんだが、お前に頼みがある」
「はい、なんなりと…!」
「俺と決闘しろ」
「……えっ?」

呆然と聞き返すエルハンさんも、まさかこんなに早く機会が巡るとは思ってなかった様子だ。

「ケージャ様、本当にいいのですか」
「ああ。のんびりしている時間はない。お前、俺に長の座を譲る覚悟はあるか」

さらりと尋ねる兄の瞳は、愉悦を浮かべていた。
すごい自信だと俺も鳥肌が立つ。

エルハンさんは一瞬歓喜に顔を上気させたが、我に返り、眉間に力をいれて真剣な表情で見返した。

「私も長ですから。そう簡単には譲りませんよ、ケージャ様」
「ははっ! そうでなければ面白くない!」

高笑いをする兄にその場の皆が身震いをする。
話を聞き取った稽古場の男達も、興奮しそれぞれが喜びの声を上げていた。


◇◇


なんだか決闘の場面が最近多い気がする。
兄が勝つことは分かっていた。島の中でも、その圧倒的強さは語り草になっているからだ。

ケージャの実力は予想以上に高く、高次元な動きを見せていた。 

「はあッ!」
「……くっ……ああっ……!」

砂浜で剣を持ち合いやりあう屈強な男達。
たくましい褐色の体は、闘いの汗を滴らせる。

兄は開始から数分の後に、長であるエルハンさんを屈服させた。
剣術の型は兄本来のものと似ているのだが、さらに力強く迷いがない。

やはりあの蘇生術が影響してるのでは…と思わせるほど、島の男の祖先か何かの魂が宿っているかのような、凄まじい身のこなしと覇気だった。

「……ま、参りました……」

地面に倒れた長の首の横に、容赦なく長い剣が突き立てられたとき、エルハンさんは潔く敗北を認めた。

見守っていた人々から歓声が上がる。
伝説の男が真に誕生した瞬間を、誰一人として疑うことなく、心からの感動を表していた。

兄はエルハンさんの手を掴み、引っ張り上げて起こす。
そして肩を抱いて互いの健闘を称えた。

「皆の者、俺には使命がある! お前達を率い、導き、島の皆を、そして未来の妻を幸せにすることだ! ここに碧の島の永遠の繁栄を約束する、俺を信じてついてこい!」
「「オオーッ!」」

あの結婚式の時ばりに威勢よく宣言する兄に対して、部族民は拳を掲げて祝福したのだった。

それはすでに、俺の兄の姿には見えなかった。
島で目覚めて一月半足らずのうちに、この一連の出来事はすべてもう一人の人格ケージャがやり遂げたことなのだと、俺はようやく自覚をした。




祝賀会が終わり、夜も更けてくると兄は自室からバルコニーに出ていた。
俺達の離れよりは小さいが、緑に囲まれた風通しのよい場所で、兄は葉巻を吸って長椅子に腰かけていた。

まるであの時を思い出す。
兄と初めてキスをしたときのことだ。
急にケージャに人格が変わってしまい、言い様のないショックを受けていたっけ。

だが今は、この兄にも寄り添いたくなった。
ケージャは苦悩しながらも、長になる道を選んだのだ。
俺は、それは一番は兄自身の優しさからきたものではないかと感じた。

「おめでとう、兄ちゃん。とうとう長になったね」

隣に佇んで話しかける。兄の記憶の中の映像のようなものだから、届くはずはないのだが。そろそろ、このケージャにも会いたくなってきた。

そんなことを心から思うようになったのは、初めてだった。

「お前は、なんという名前なのだろうな……今、どこにいるのだろう」

人知れず呟く声がどこかまた寂しそうで、涙を誘う。
待ちに待った想い人が弟だっただなんて、ケージャからしてみれば酷い話だ。

俺はずっと自分のことばかり考えて、ケージャに兄なんだという気持ちを押し付けていた。
兄だという思いはずっと変わらないと思うが、きっともう一度会った時には、兄ちゃんとはまた違う愛着がわくような気がした。

「優太だよ。……ケージャ。早く会いたいね……」

空に浮かぶ二つの月を眺めながら、俺はそうやってしばらく兄と二人きりでいた。



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