絶望的な地獄


これからのトロスト区奪還作戦に、恐怖が充満する。ピクシスの演説に疑問を抱く反乱分子は数多に上ったが、友人や恋人、家族を守るという決心から反逆者となる者は一人もいなかった。

「サヤさん!作戦が決まりました!!エレンも聞いてくれ!」

アルミンが壁の地図を握りながら走ってくる。後ろには駐屯兵の数人とミカサがついていた。

「まず壁の中の巨人は、兵士を壁際に集中させることでエレン達とは真逆の方向へ誘き寄せます。倒すのは後で大砲を利用して損害を出さずに出来ると思いますし」

説明をしながらトロスト区の右端の角へと指を指す。サヤは巨人が集まる崩壊した街を見下ろして身震いした。この量の巨人を一点に集めるなど、囮になる兵士はどう思うだろうか。

「ただしエレンを無防備にする訳にもいかないので少数精鋭の班で彼を守ります。構成は駐屯兵団の…」
「イアンだ。特設班のリーダーをする…頼んだ」
「…リコだ」
「ミタビだ。よろしく」
「よろしくお願いします…」

それぞれの班長がエレンに握手をしていく。彼らの表情にはまだ戸惑いがあって、エレンを握る手には汗が生じていた。中でもリコと名乗ったメガネの女性はエレン達が反乱分子だと囲われている現場の先頭にいた兵士の一人だ。ピクシスの司令に疑問を持っているかもしれない。
リコは慎重にエレンを見つめたあと、ふとサヤに視線をよこした。

「あんたは私の班に入ってもらう。連携を取ってくれ」

さっきの件でサヤにも警戒しているのだろう、リコはくれぐれも勝手なことをしないようにと釘を刺す目でひと睨みする。サヤは無言で頷いた。

「行くぞ!!」

半楕円形に広がる壁を渡り始める。巨人の誘導は上手く行われているようだ、向かいの壁に多数の兵士と巨大なそれが集まっている。全力で走りながら、皆は大岩へと視線を向けていた。

…この作戦が成功しなければ。

人類は絶望的な地獄を見ることになるのだろう。…四年前のウォール・マリアが破壊された時、政府は奪還作戦という名目で街に住めなくなった大量の失業者の"口減らし"を行った。今ここに生きている皆がそれに口を噤むのは、それらが死んだおかげで生き延びているからだ。
しかしもしこのウォール・ローゼが破られればどうなるのだろう。残された人類の半分も養えない。足りない食料や寝る場所を奪い合い、人類は人類同士の殺し合いで滅ぶ――。

「ここだ!ここが岩までの最短ルート地点だ!!」
「行くぞ!!」

イアンを先頭に壁を蹴り立体機動に移る。建物の壁にアンカーを突き刺しガスを唸らせて突き進めば、岩は想像よりも巨大にそこに佇んでいた。

エレンが誰よりも高く空へ飛び、アンカーを抜く。落下しながら親指を口へ近づけ―――。

パアアァァン、と閃光が瞬いた。

各班はエレンを囲むように屋根に立ち、熱による蒸気から姿を現す巨人を凝視する。ごう…という静かな呼吸に耳を澄ませながら、サヤは汗を滲ませて目の前のエレンを見守った。
果たしてエレンは体をコントロールすることが出来るのか…。

「ッ!!?」

その瞬間、巨大な拳が目の前にあった。

一瞬無音になった世界は、建物の瓦礫が地面へぶつかる音と激痛でいっぱいになる。

(っなにが…)

上で自分の名前を叫ぶ声がする。立ち上がろうと手を付くとガクンと力が抜け地面に頭を打ち付けた。
右腕の感覚がない。…違う、痛すぎるのだ。気を失いそうなくらい。

「サヤ!!無事か!!!動けそうなら上へ上がれ!!地面は危険だ…!!」

リコが着地して駆け下りてくる。散らばる残骸を何とか通り抜けてサヤの元へやってきた。

「くっ…」

様子を見て苦い顔をしたリコが、膝を付いてサヤを抱える。その腕を振り払うように抵抗し、リコに訴えた。今はそんな場合じゃないのだ。正気を失った彼を連れださなければならない。入り口からやってくる巨人から守らなければならない。

「私はいいです…!エレンを止めてください」
「無理だっ。作戦は失敗した!分かってたよ…この作戦は無謀だって……」
「ッ」

リコに抱えられ屋根に上りながら、サヤの目にミカサが必死にエレンの前で呼び掛ける姿が入ってくる。しかしその巨人には全く反応がなく、視界を遮るミカサを潰そうと再び拳を振り上げた。

「避けてミカサ!!」

叫んだ瞬間エレンの拳は自身の顔面へと埋まり、バランスを崩して大岩へと背中をぶつける。脳が飛んだせいか微動だにしなくなった。

「何だコイツ…頭の悪い普通の巨人じゃないか…」
「エレン!」

みんなが集まる屋根に避難したミカサが心配そうに叫ぶ。頬にある深い傷口から血が流れていた。



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