未開封の手紙


会議が終わり、支援者は屋敷の外で待たせていた馬車の行列に次々と乗り込んでいく。

「…どうした、サヤ。乗らないのか」

各々と別れの挨拶を済ませ馬車の前で手を差し出すエルヴィンが、立ち尽くすサヤへ不思議そうに尋ねた。

多額の支援金が決定し解散の号令があった直後、協力してくれたことに感謝を伝えようと向き合ったサヤから、ハンスは逃げるようにその場を去った。
急なことに呆然としている間に、馬車が到着してしまったのだ。

「…申し訳ありません。ハンスと話したいことがあります。先に帰っていて下さい」
「……そうか、帰りの馬車を用意しておこう」
「いえ、大丈夫です。暗くならない内に帰ります」

頭を一度深く下げたサヤは、スカートの裾を握りしめ早足でもと来た道を戻った。

「お嬢様?」

両開きの扉を開けようとしたところで、庭の方から声が飛んでくる。振り返ると、鋏や雑草の入ったバケツを持った先程のメイドが、首を傾げてこちらを見ていた。

「えと、どうしてもハンスの様子が気になっちゃって。お兄様ろくに口も聞いてくれなかったの。私のこと避けてるみたいで…」

困った顔で言うや否や、メイドは弾かれたようにサヤの元へ近づいてくる。

「っこちらへ」

決意を固めた声色で、サヤを屋敷へ引っ張った。


::::::

「これ―――…」

サヤの目の前には、未開封の手紙が引き出しの中にぎっしりと散らばっていた。どれも見覚えがあるのは、これらが全てサヤが差し出した手紙だったからだ。
手をつけた痕跡すらないそれを、指の腹で撫でていく。ざらざらとした紙の質感。

「…“読んだ”って言ったくせに」

ぽつりと呟けば、後ろに控えていたメイドが泣きそうな表情で名前を呼んだ。

「使用人の私がこのような出過ぎた真似をすることをお許しください。――しかし…一体何があったのですか?社交界から帰ってきたハンス様は、とても気が動転しておられました…それから、ずっと様子がおかしいのです。平気な振りをしておられますが、私共には判ります……」

サヤとハンスが幼い頃から世話をしてきたのだ。変わり果てたハンスの虚無な瞳は彼女達をひどく不安にさせたに違いない。

「ずっと心配してくれていたのね……」

なのに、自分は保身に手一杯で疑うことばかり。現実から目を逸らしているばかりで何も変わっていないのだと、こんな時に思い知る。

「ごめんなさい、今まで連絡もしなくて。ハンスはきっと大丈夫よ。……ちょっぴりケンカしただけなの。滅多にしないからお互い引けないところまで行っちゃって」

サヤは落ち着かせるようにメイドの頬に手を添えた。誤魔化すのは申し訳ないが、今一度ハンスと話し合うべき状況は変わらない。

「――サヤ?」
「っ」

すると扉が開き、奥を見るメイドがはっと声を漏らした。
振り返れば、兵団へ戻ったはずのサヤを認め驚いているハンスの姿がある。

「もっ、申し訳ございませんハンス様…!」
「いいのよ、私が勝手に屋敷に押し入ったの。私から説明するから貴女は仕事に戻って」
「ですが」

宥めるようにウインクをして背中を押す。反論しようとしたメイドもぐっと言葉を堪えてサヤの顔を伺った。
大丈夫。そのために此処に残ったのだと言外に訴えてやれば、険しい顔をするそれは静かに扉へと向かう。


「…どうして僕の部屋にいるの」

メイドが横を早足に通り過ぎドアが閉まった途端、ハンスは非難する口調でそう言った。先程の会議の振る舞いと違い、今のハンスは仮面を取り去りもっと素の表情をしている。

「ハンスと話がしたかったから。私のこと避けてるでしょ」
「僕が君に何をしたか忘れたのかい?」

あっけらかんとそう言えば、冷たい瞳がサヤを竦み上がらせた。

「…忘れたのならもう一度思い出させてあげるよ。丁度良い、ここには誰も来ないしね」

大股で近づくハンスがサヤの腕を強引に掴みベッドへ投げ出そうとする。拘束された手を素早く内側へ回し解放したサヤは、その掌で男の頬を思い切り叩いた。

「――いい加減にして!」

左手がジンジンと熱い。
茫然と頬の痛みを確かめるハンスと目が合うと、堪らず涙が溢れ出す。

「もう苦しむのはやめて。お兄様の事だから、自分が許せないんでしょう?だから私を突き放して、自分ばっかり責め続けて…!」

感情ばかりが前に出て上手く言葉に出来ない。
もどかしさに俯いて喘げは、ハンスはそれの何処が間違っているのかと、混乱する瞳で凝視してきた。

「どうして。あの夜…サヤを傷つけたのは僕だよ?君はずっと秘密を一人で必死に守ってたっていうのに、僕は…」
「じゃあ私も同罪よ。貴方が強い存在であることを強制した。貴方の孤独な気持ちを置き去りにして、私が甘えられる場所であることを強制した」
「ッ」

両親を失ったときも、悪夢に魘されていたときも、側で支えてくれていたのはハンスだ。なのに彼の優しさに胡座をかいて傷つけたのは自分。あまりの身勝手さに溜息が出る。
言わなければいけないことが沢山ある筈なのに――。

「お兄様」

涙を拭い真っ直ぐに見つめる。
何も言えず目を見開く兄の綺麗な髪に触れたサヤは、一つひとつ命を吹き込むように言葉にした。

「私を守ってくれてありがとう。背中を押してくれてありがとう。社交界の夜も、思いとどまってくれたのはハンスよ。……今でも、お兄様のこと大好きなの」

だから、仲直りをしよう?

困ったように笑えば、目の前のそれはみるみる顔を歪めていく。

「サヤ……、信じられない」

色素の薄い瞳からぽろぽろと雫が溢れるのを、サヤは恥ずかしそうに見つめた。どちらからともなく背中に腕を回せば、久方ぶりの抱擁に胸の隙間が満たされていく感覚がする。

「ありがとう、サヤ。君は今でも…僕の大切な妹だ。傷付けてごめん」
「私も、ごめんなさい。これからは一人じゃないよ。私にもお兄様のこと支えさせて?頼れる妹になるから」
「ふふ、期待してる」

ハンスの温かい手が頭を撫でる。
懐かしい、恋しかった感覚を噛み締めて、二人の長い兄妹喧嘩は幕を閉じたのだった。



「――この歳で兄妹がこんなハグをするって、ひょっとしてこの絵面まずい?」
「ふふ、まずいどころじゃないわ。お互いボロ泣きだし、やばいわよ」
「傷付くなぁ…」



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