本性


「お待ちしておりました」

金色で飾られた大きな木造の扉が開けば、その屋敷のメイドは深々と頭を垂れてエルヴィンとサヤを迎え入れた。
顔を上げようとする使用人をはやる気持ちで見つめていたサヤは、それと目が合うと途端に明るい表情になる。

「サヤ様、お久しぶりでございます。お元気でしたか?」
「変わりないわ。本当に久しぶり」

暫くぶりの再会を素直に喜び軽い抱擁を交わしたサヤの目はすぐ、何かを探すようにチラチラと泳いだ。気配を察したメイドは切なげに微笑み返すが、その目尻には疲労が感じられる。

「ハンス様や他の方々はすでに会議室に集まっておられます。私がご案内を…」
「ううん、大丈夫よ。私の記憶が正しければ辿り着けるわ。それより今日は客人の対応で忙しい筈だから、そっちを優先して」

サヤが両手を包んで笑いかければ、メイドは何故か顔を歪めて俯く。

「サヤ様…その、ハンス様は――」
「え?」

虫の囁きのように窄んでいく声に思わず覗き込むと、それは言葉を取り消さんと頭を激しく横に振る。
何を言いかけたのだろうか。手のひらに伝わる緊張を無視できず引き留めようとしたサヤの耳に、俄かに懐かしい青年の声が飛んできた。

「エルヴィン団長、お待ちしておりました」

その声に身を硬くしたメイドは、もう一度頭を下げそそくさと自分の持ち場へと去っていく。

「――ハンス…」
「久しぶりだね、サヤ。元気にしてたかい?」

どこか憂いを帯びた、亜麻色の淡い瞳。貴族の装飾を纏い揺るがぬ存在感を放つサヤの兄、ハンス・アンドレアは昔となんら変わらない姿でそこに立っていた。

社交界ぶりの兄の声、仕草に胸がツンと痛くなる。泣きながらハンスのいる部屋を去ったあの日の記憶や、共に笑い合った過去の日常が風となって頬を過ぎた。

今すぐにでも駆け寄って抱きしめたい。そう思うのに、サヤの脚は動くことはなかった。自分を見るハンスの瞳が、どこか虚無を孕んでいることに気付いてしまったのだ。

「…お兄様、あれから私、手紙を送っていたの。読んでくれた?」
「手紙……?あぁ、読んだよ。忙しくて返事が書けなかったんだ。ごめんね」
「っ、じゃあ――」
「さぁ、今日の主役は登場した。はやく会議室に向かいましょう」

不自然に厚い笑顔でハンスが言い、二人を先導する。
豪華な装飾品や絨毯で目移りするような廊下が、ハンスの後ろを歩くサヤにはとても長く続くような気がしていた。


::::::


「――つまり、聰明で知られるエルヴィン団長殿は、我々に何も聞かずに莫大な資金を援助しろと申されるのですかな」

厳かな会議室が、猜疑と重圧で満ちている。

「はい、全くその通りです」

対して隣に座るエルヴィンは一人毅然とした態度で、再三繰り返された似たような問いに飽きもせずそう答えていた。

事の発端はほんの数分前に遡る。

ハンスが扉を開けてから真っ先にサヤの視界に映り込んだのは、肥えた体に無数の贅沢品をぶら下げた十数人の支援者達だった。

調査兵団というはぐれ者の組織を支援する富豪達の動機は様々で、ハンスのように身内を理由に援助する例は珍しく、殆どが対抗勢力への当てつけ、または壁外の開拓した財産の所有権を狙ってのこと。

そのためか着席早々エルヴィンが切り出した例年にない多額の資金要請に、彼らは露骨に非難の色を見せ冒頭に至るのである。

「支援者である我々にまで、高額な新兵器の使途が開示されないのはどう言った了見ですかな」
「今回の作戦は慎重を極めます。成功のために情報の漏洩を防ぐのは必須かと」
「貴殿が戦うのは壁の外の巨人ですぞ?何を世迷いごとを……」

嘆かわしい、と支援者の一人が呟くのに続いて、大きなテーブルを挟む貴族達が口々に不満を漏らす。

(どうしよう)

額が額なだけに彼らの言い分も分からなくはない。ならばどう吹っかけるべきかと、サヤは眉を下げて考えていた。
今回の作戦はハンスも含め、エルヴィンに収集された関係者以外に情報を流すことは出来ない。

となると富豪達が納得できるような嘘の計画とすり替えて説得するか、ひたすら頭を下げるか――。

「まぁまぁ、良いじゃないですか」

悶々と思案していたサヤは、その声にふとハンスを見上げた。

「ここまで言って折れないのは、なかなか意志があるとみえる。なにか現実的な目的を見据えているとは思いませんか?」

堂々と室内を見渡し微笑むそれに驚いていると、斜め前の席から渋った声が飛んでくる。

「し、しかし…貴方にはアンドレア嬢が…」
「おや、兵団に身内がいるから信用出来ないとおっしゃるんですか?断っておきますが、私も皆さんと同じで仲間外れですよ。彼女からは何も聞いていない…ね?」

その一文字で、貴族達は一斉にサヤの方へ視線を集中させた。つっかえる喉を叱咤して、「本当です」と絞り出す。

「エルヴィン団長殿は実行力のあるお方だ。現に、こうやって多くもの堅実で思慮深い方々から支援を得ている。ここは組織のために尽くそうとする彼を支えるのが、我々の役目ではありませんか?」
「むう…だが、我々にも相応の見返りがだな」
「見返り?民衆の為のウォール・マリア奪還のことでしょうか」
「否――」
「まさか、壁外の開拓を支援することで土地の所有を虎視眈々と狙っているお方など、この場には居ませんよね」
「な…っ、そんな貧相なことを考えるなど…!」

これまで息を潜めていた他の貴族達も、忽ち顔を青くして抗議した。

なるほど。ハンスの思惑が読めてきたサヤは、呆然と開けていた口を引き締めて、支援者達に向き直る。

「ややこしくしてしまってごめんなさい」

口を開いたサヤの存在に、男達は様子を伺うように私語をやめた。

「私がここへ来たのは、皆様に支援を仰ぐ以外の何者でもありませんわ。私一貴族の力だけでは、実際は何もできやしない。…でも今回は、一人の調査兵として感謝を伝える機会だと思いましたの」

朗らかに微笑み席を見回せば、何を言い出すのかと表情を強張らせる男達の姿。隣のハンスは目を伏せて、役目は終わったと言いたげに椅子に背中を預けていた。

ありがとう。と心の中で呟く。
丸め込む切り札を見つけてくれて。

「人類の前進のために、壁の中の民衆の為に。日々賢明な投資をしていただいている皆様には感謝しておりますわ。…どうか、人類の発展を願う我々に力を貸していただけませんか?」
「そ、そんなものは当然だ。我々には導くべき民がおるからな」
「……仕方あるまい。これも豊かな民の暮らしへの投資だ」

サヤの澄んだ謝辞の意に、本性を晒す余地のない貴族達はぐっと拳を握り込む。

何とか支援金の話はうまくいったようだ。任務を遂行し胸を撫で下ろすサヤの隣で、エルヴィンは満足げに口角を上げた。



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