壁の中でたった独りの


104期新兵が正式に加わり、ついに壁外調査まで1ヶ月を切る合同訓練が始まった。
特別作戦班と銘うって集められたペトラ達と共に、サヤは地面に広げられた”長距離索敵陣営”の線絵に注目している。

「俺達の班はここだ。…五列中央・待機」
「ずいぶん後ろなんですね」

グンタが指差す陣形の位置に、エレンは正直な感想を述べた。

「そうだね。今回の目的はエレンをシガンシナ区に送れるかどうかの見極めってところだから、“行って帰って来る”ことに集中しよう」

サヤが背後から覗き込むようにそう言えば、振り返ったエレンが何か言いたげに口を噤む。

「…どうかした?」

不安そうな顔が気になって声をかけると、エレンは恐る恐ると円状に座るペトラやオルオ達を見渡した。

「あの、オレには…この力をどうしたらいいのかもまだ分からないままなんですが…事をこんなに進めてしまって大丈夫でしょうか…」

弱気な声が零れ落ちる。
自分へ回ってきた翠色の視線に、サヤは何も答えることができず眉を下げた。

今回の作戦の本当の目的を、彼らに伝えることは出来ない。先程エレンに説明した内容はあくまで敵の気を引くためのもので、今回は実際そこまで彼が背負う必要はないのだ…が、それを言えないもどかしさがサヤを困らせる。

「お前…あの時の団長の質問の意味がわかったか?」

グンタの言葉に、ふと顔を上げた。

“――何が見える。敵は何だと思う?”

その質問を、どうやら他の兵士達も問われたらしい。首を振るエレンに同調するように、オルオやペトラ、エルドと順に肩を竦めていく。

「サヤ班長もエルヴィン団長に尋ねられたのでしょうか…。今回の作戦、一人だけ我々と違う前方の陣営ですよね?」
「それは」

唐突に向けられたエルドの視線に、サヤは動揺を悟られまいと静かに返事した。

「この怪我じゃ皆と同じようには戦えないからね。伝達班でなら少しは役に立つでしょ?…それと団長の質問に関しては、私もちんぷんかんぷんだったわ」

神妙な顔で嘘をつくサヤへ、エルド達は疑いもせず耳を傾ける。

前半は事実だ。細かく言えば他の陣営にも秘密作戦に関与するサヤのような兵士が一人ずつ就いて、“その時”の指示をするように仕組まれている。

すべては、巨人の中の敵…人間を捕獲するため。

「もしかしたらこの作戦には“行って帰って来る”以外の目的があるのかもしれん」

鋭い一言に、サヤを含めた皆が画図を纏めるグンタを見上げた。

「憶測に過ぎんが、団長がそれを兵に説明するべきではないと判断したのなら、俺達は“行って帰って来る”ことに終始するべきなんじゃないか」

団長を信じろ。
聞いていたペトラ達も、エレンへ向けられたその言葉に真剣な顔で頷く。

――“信じる”。
そんな単純で困難なことを、一途な瞳で受け入れる彼らが眩しい。

「…じゃあ、今日の訓練はここまでにしよう」
「はい」

無意識に視線を逸らした景色がいつの間にか暗くなっている事を知り、サヤは徐に号令を出した。夕飯を楽しみにいそいそと城に帰っていく仲間達が遠のいていく。

「エレン?」

けれど自分と同じように浮かない顔で残る一人の影に、サヤは思わず声を掛けた。

「サヤさん…」
「まだ悩み事?」

勝手に沈んでしまった気持ちを誤魔化すように明るく問いかけたサヤは、エレンの瞳に映る寂しげな色を認めて静かに近づく。

「私に吐き出せることなら、聴くよ」

立ち止まった青年は、躊躇うように何度か口を引き結んだ。
やがて考えが纏まったのか、近くの木柵へ腰掛けるサヤへ、小さく低い声でぽつりと零す。

「…なんというか、信頼について考えてました」

その言葉に奇遇だ、と心の中で呟いてしまった。先を促すように目を伏せていれば、一呼吸置いてエレンが続ける。

「エルヴィン団長を信じる先輩方を見てると、オレにも…心の底から信頼できる仲間が出来るのかどうか、期待しちまったのと同時に…疑問に思って」
「どうして疑うの?」
「だって…オレ、巨人の力を持ってるし、それを満足に扱える知識も無い。…オレを恐れる他人の感情は、この先ずっと付き纏うと思うんです」

無機質で、どこか哀しい声。
同期の仲間も、兵団の仲間もいるけれど、それでも壁の中でたった独りの境遇であるエレンを思うと胸が締め付けられる。

「あの時、私が言ったこと覚えてる?」

だからせめて心が軽くなるようにと、サヤはエレンを見上げてそう尋ねた。

「あの時?」
「うん、裁判所の地下牢で。言ったじゃない、“壁の外の巨人と貴方は関係ない”」
「あ…」
「思い出した?エレンはエレンが信じるものを、人を、信じればいい。…まぁこれに関しては私が大手を振って言える訳じゃないんだけど…」

つい本音と罪悪感が前に出て頭を掻くサヤを、幾分か穏やかになった青年の瞳が見つめて来る。

「とにかく、そうすることで仲間って自然と集まっていくものだと思うんだよね」

上司らしく毅然と勇気付けることが出来ず情けないけれど、これが自分の思う正直な気持ち。
エレンが自分の力を知らなくとも、エレンが仲間を案ずる気持ちが在れば彼らと違(たが)うことは無い筈だ。そう柔らかく微笑んでみせれば、日暮れに染まる儚い碧がサヤを安心したように見下ろした。

「……なんだかエレンって、消えてっちゃいそう」
「は?」

普段の巨人への気迫みなぎる瞳とはあまりにもかけ離れた淡い光に、思わずそう独りごちていた。突拍子もない一言に首を傾げるエレンへ、サヤは苦笑いを浮かべて弁解する。

「ごめんなさい。なんだか、遠い存在に…。何処か遠くへ行ってしまいそうだと思って」
「…あなたがそれを言いますか」
「え?」

ぽつりと呟かれた言葉を聞き返す。が、エレンが口を開く前に馬小屋の方から聞き覚えのある話し声が飛んできた。

「あいつら…」

エレンが気を取られる視線を辿れば、新品の調査兵団の外套を羽織る兵士が集まっている。

「いってらっしゃい。きっとエレンに会えてミサカとアルミンも喜ぶよ」
「すみません、少し話してきます。あと…ありがとうございました」

頭を下げて走っていくエレンに微笑む。
少し冷えた風が手を振るサヤを横切ったかと思うと、寂しさを嘆くように腹の虫が鳴った。



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