敵意剥き出しの眼が
鉛のような沈黙が充満する。
折り畳み式のテーブルに腰掛けるオルオ達の表情は、眉間に恐ろしいほど影を落とす男の機嫌に引き攣っていた。先程実験を引き上げて帰ってきたリヴァイは最高潮に不機嫌で、エレンが巨人になれないとなると大義もクソもない、何とかしろ、と凄んできたのだ。
一方 消沈し責任を感じているエレンは肩身が狭そうに縮こまっている。痛そうに握る両手は、まだ噛み跡から血が滲んでいた。
「そんなに落ち込まないでエレン。何かコツとか要るのかもしれないし」
不機嫌なリヴァイをペトラが宥めに行ったところで、包帯を巻き終わったサヤが声をかける。あまり深刻ではない表情だった。
「あぁ、そう気を落とすな」
「…思ったよりお前は人間だったってことだ」
「焦って命を落とすよりはずっと良かった…これも無駄ではないさ」
「…慎重が過ぎるってことはないだろう」
周りのエルドやオルオ達も続ける。しかし、彼らの違和感にエレンは眉を寄せた。
なぜ先輩方は失望していないのか。安心しているのか。
それはまるで現状を変えることを望んでいないかのようで…小さな混乱に噛み千切った手を握りしめようとした。
「うっ」
鋭い痛みがエレンを襲う。
その拍子にすっかり冷めたカップのスプーンがテーブルから滑り落ちた。
「大丈夫?」
「えぇ、すみません、オレ拾います」
エレンの隣にいるサヤは心配そうな顔になって様子を窺った。雑草に埋もれたスプーンを取ろうとしたところでエレンに制される。
彼が手を伸ばす。身を屈め、その刹那――。
ドオオオオオオォォオオ!!!
凄まじい熱風と轟音に、サヤの身体は数メートル近く投げ飛ばされた。
「!!?」
「オイ!!」
「何だ!?何の爆発だ!?」
「班長はどこ!?近くにいた!!」
現実味のない喧騒が濃い煙の外から聞こえる。
(なにが……)
腰を打った痛みに顔を歪めたまま見えた視界には、隆々とした剥き出しの巨大な筋肉、白い骨…。見覚えのあるエレンのそれが、上半身だけ現れていた。その上に本人が恐ろしい表情で乗っている。右手の殆どが巨人と同化していた。
サヤは急いで巨人のもとへ向かう。
「無事?何が起こったのか分からなかったんだけど…」
「な…なんで今ごろ!?」
どうやら本人でさえ何故このタイミングで巨人化したのか分からないようだ。混乱を極めてジタバタと暴れるエレンを落ち着かせようと試みる。視界はまだ暗い。
「何が起きたんだよ一体…!!」
「落ち着け」
「リヴァイ兵長っ、こ…これは……」
蒸気の向こうからリヴァイの声がした。
二人は同時に振り向いて、言葉を失う。
「―――落ち着けと言っているんだ、お前ら」
そこには、背中を向けるリヴァイがいた。
片手を上げて制する彼の先には、ペトラ、オルオ、エルド、グンタ――四人の殺伐とした、敵意剥き出しの眼がこちらを睨んでいる。サヤの背中を氷のように冷たい何かが伝った。
歯を食い縛り、惨憺とした表情。剣はすべて、エレンに向けられている。
「エレン…!どういうことだ!?」
「は…!?はい!?」
「なぜ今許可も無くやった!?答えろ!!」
「エルド、落ち着いて!彼も今混乱してるの!」
掴みかからん勢いで、エルドは問い糺す。しかしその足は一歩も巨人へは近付かず、恐怖で動く事も出来ないようだ。皆がエレンに質問――怒号を浴びせ、いつ誰かが飛び掛かっても可笑しくない。いや、リヴァイとサヤがエレンを庇っていなければ、今頃削がれていただろう。
「兵長!エレンから離れてください!近すぎます!」
「班長もです!危険です!」
「いいや離れるべきはお前らの方だ。下がれ」
「なぜです!?」
「俺の勘だ」
周りは喧騒で騒がしいにも関わらず、リヴァイの冷静な声はよく通った。しかし気が動転しているのか、エルド達はまだ上擦った声でエレンに説明を強要している。
サヤが途方に暮れて参っている時…その恐れ知らずな人物は突進するように現れた。
「うぉおぉおお!!エレぇン!!その腕触っていいぃぃ!?ねぇ!?いいよねぇ!?いいんでしょ!?触るだけだから!!」
「ハ…ハンジさん!?ちょっと待って―――」
「あッ…つい!!!」
エレンの言葉も聞かず、巨人の腕に触れたハンジは炎のような熱に興奮して鼻孔を大きく開けた。皆が呆然として見守る中、尚も滾った様子を隠そうとしない。
「エレンは熱くないの!?その右手の繋ぎ目どうなってんの!?すごく見たい!!」
その一言にエレンはハッとしたように手元を見つめた。そのまま唸り声を上げて全体重を後ろに傾ける。接合部を引き剥がして巨人から離れようとしているようだ。
調べ終わっていないハンジが不満そうにエレンを非難する。…しかし、それも何かに気が付いた途端大人しくなった。
「ハァッ……ハァ…」
エレンの青褪めた顔と、心地の悪い沈黙。
「気分はどうだ?」
その言葉に顔を上げたエレンは朦朧とした瞳で、立ち尽くす仲間を見上げて。どこか失望と遣る瀬無さを孕んだ声色で呟いた。
「あまり…良くありません」