誰も気付かないまま


巨人を縛り付けていた筈のそこからは、大量の蒸気を上げる骨だけが横たわり、周りは騒然と立ち尽くしている。

「あああぁぁぁああああ!!!」

サヤ達が駆け付けた直後追ってきたハンジは乱心したように跪き、獣のような鳴き声を上げていた。

「ウソだろ…兵士がやったのか?」
「あぁ、犯人はまだ見つかってないって」
「夜明け前に2体同時にやられたらしい。見張りが気づいたときには立体機動で遥か遠くだ」
「一体どこのバカが…」
「バカじゃなかったら何なんだろうな…見当もつかんよ」

兵士たちの囁く声を背中に、サヤは口を閉じて巨人が消えて散らばった拘束具を見下ろす。
隣のエレンも言葉を失くし立ち尽くしていた。

「サヤさん、これは一体?」
「さぁ…分からない…」

砂の地面から蒸気が消えていく。白いそれは空高く登り上がって、やがて透明に。頬を撫でる熱気はだんだんと冷たくなっていく。
周りが騒がしい中、思考が停止していたサヤはある違和感に瞬きをした。

犯人の、目的は?

普通に考えれば、巨人に恨みを持つ誰かの犯行なのだろう。感情が勝り後先考えず自由のきかない巨人を的にしたと考えるのが妥当だ。サヤも最初はそう思っていた。
けれどそれでは巨人の味方をしたも同然である。貴重な被験体を殺し、人類に大打撃を与えたも同然だ。
…ただ、もしそれが理性的な犯行だったとしたら。犯人は何かが露呈するのを恐れたということになるのではないか。

「エレン、私ちょっと行ってくる。ハンジさんの様子を見てて」
「えっ、ちょっと!」

驚くエレンを残し、サヤは人混みを掻き分けて向かいの仮設資料室へ向かった。

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机上が資料や灯りで姿を隠す薄暗い小屋のような建物。いつもはサヤがハンジの研究を手伝うその空間は、外の煩さとは反対にしんと静まり返っていた。

「どこか荒らされた跡は…」

常時整理されていないため見分けがつかないが、毎日訪れている部屋の感覚とは違う場所があるかもしれない。失くなった物だとか、並び方が違う資料だとか――。
サヤはきょろきょろと辺りを見回しながら棚の中を調べた。

犯人が知られたくない情報を盗むのなら、ここしか無いだろうと考えたのだ。巨人自体に知られたくない秘密があったのかもしれないが、今はどちらでもいい。犯人が何を隠そうとしたのか手掛かりさえあれば、そこから巨人の重大な秘密に気づけるかもしれない。

重ねられた資料を束で持ち上げ、失くなった部位はないかと流れるように視線を動かす。

(やっぱり、此処には誰も入ってないの…?)

しかしその瞬間、サヤははっとしたように忙しなく動かしていた手を止めた。

――なぜ鍵が掛かっていないのだろう。
今朝はまだハンジもサヤと共にいた。つまり彼女の研究室を開けられる者など存在しない筈なのだ。そんなことにも気付かず、サヤはこの建物に飛び込んだ。…周りに誰か隠れているかも、確認しないで。

「こんな所で何してる」
「っ」

突然投げられた言葉に反射的に振り向いた。
怖い顔をしていたのだろう、背後にいた男は怪訝そうに眉を寄せる。

「兵長…」

内心胸を撫で下ろして、サヤはリヴァイと向き合った。男が依然見つめてくる手元への視線に気付き、抱えていた資料を胸に引き寄せる。

「誰かがここに侵入したかもしれません」
「…ほう?外で大騒ぎしてるってのに随分と冷静だな」

真っ直ぐな眼をするサヤを見定めるように眺めて、リヴァイは軋む床の上を一歩踏み出した。

「兵長も怪しいと思ったからここに来たんじゃないですか」

近付く端正なそれを見上げながら、サヤはふと口を噤む。

「…それとも、私を疑って付けてきましたか」

どこか棘のある言い方で、今度は睨んだ。

信用されていないことは分かっている。社交会へ行ったあの日から、リヴァイがサヤを怪しんでいるのは当然のことだ。しかしそれは無かったことのように日常に埋もれ、意図的に曖昧にしてある。お互いに上司と部下の関係を続けていくため。そしてこれ以上、踏み込ませないために。
つまり脆い体裁でしかなかったのだ。…だからサヤはいつだって思い出すことが出来る。自分を"異端"だと突き付ける、疑心に満ちた蒼い目を。

でも どうして、こんなに神経を逆撫でされるのだろう。

手を伸ばすとすぐに触れられる距離に、気付けばリヴァイの姿があった。空間の闇に溶ける漆黒の髪から、蒼い瞳が覗いている。
何の感情も読み取れないそれは、ただ無言でサヤを見下ろしていた。つまり答えは、そういうことで。

「……馬鹿にしないでください」

慣れていた筈なのに。判っている筈なのに。
男への苛立ちが胸を穢す。

「信用が出来ないなら監禁でもすればいいじゃないですか。守ってやるなんて…嘘だった癖に。どうせ、こんな片腕の使えない役立たずを班に入れたのも、本当はエルヴィン団長に監視を頼まれたからで―――ッ!」

最後まで言う前に、サヤの身体は背後の棚へ激しく打ち付けられた。痛みに瞑った目を開ければ、睫毛の先にリヴァイの息がかかる。苛立ったような、短い吐息。

「痛っ…ァ!?」

ドサドサ、と抱えていた資料が床に散らばる。包帯巻きの右肩を突然爪で抉られ、激痛に自ら背中を打ち付けた。

「そんなに信用が欲しいなら身体でも捧げるか?秘密を言う気もないんだろう。なのにてめぇを信用しろなんざ虫のいい話じゃねえか」
「っ…」

軋む腕を捉えられたまま、蛇のような冷酷な瞳で睨め付けられる。引き剥がそうとリヴァイの手に重ねられたサヤのそれは、汗ばんで、震えていた。
苦痛、恐怖か。暗闇の中で透明に光るのはサヤの目に膜を張った涙で、その光は溢れることのないようにと見開かれている。

零してはいけない。
溢れたら、止められなくなる。


「―――ここに居たのか、リヴァイ」

その時、入り口の方から誰かの声がした。

「…エルヴィンか、何の用だ」
「この件で上層部から緊急会議の徴集がかかった。お前にも来てほしい」
「……ッチ。分かった、すぐ行こう」

暫く考えたあと忌々しげに眉を寄せたリヴァイは、サヤの肩に込めていた力を抜く。良かった、これで一先ずは開放される。そっと胸を撫で下ろすサヤを視界の端に、リヴァイは資料室を出ていこうとする背中に声を投げた。

「待て…エルヴィン」
「何だ」
「例の作戦にはコイツも参加させる」

太陽の光を浴びるそれが振り返ったまま、リヴァイの眼を探るように見つめ返す。暗闇の奥に浮かぶ蒼い光。表情の読み取れないそれをじっと観察したエルヴィンはやがて。

「……分かった」

そう告げて外套を翻した。状況が分からないサヤは目の前のリヴァイをただただ見上げ、訝しむことしか出来ない。

「兵長、一体何を…?」
「お前はエレンを連れて本部へ帰れ。余計な詮索はするな」
「!」

あまりにも勝手すぎる。
反論しようと開いた口が音を発するより先に、リヴァイが部屋を出て行くのが早かった。呆然とその後ろ姿を見送ってから、どれくらい経っただろう。

「何考えてるのか…わからないよ……」

いつもの調子とは異なり本当に泣きそうな声で、サヤは闇に吐き出した。子供のような、何処か拗ねたようなそれが吸い込まれるように消えていく。
暗闇の中に浮かぶ白い横顔。―――それを息を潜めて見つめる影があっただなんて、誰も気付かないまま。



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