眠たい目を擦る


もう、なんで。どうしていつもハンジの長話に捕まってしまうのだろう。

「―――巨人の捕獲に成功したのは今回が初めてじゃない。最初は"意思の疎通"の検証をしたんだけど…残念ながら今回も過去5回の実験同様、不可能という結論に至った。ちなみに4m級を"ソニー"、7m級を"ビーン"と名付けてるんだ。ねっ、サヤ」
「はあ」

喜々とした表情で共に巨人の捕獲実験をしている…いや半ば強制的に協力させているサヤへと話を振るハンジ。知り尽くした話に退屈を持て余していたサヤは、眠気に襲われテーブルに伏せたまま返事をした。

「ちょっとちょっと!何寝ようとしてんの?これから面白くなっていくんじゃないか」
「巨人の実験のことならハンジさんに付きっきりですし……なにも私までここにいる必要は」
「ダメだよ。君はいい相談相手なんだ、唯一のね!巨人の話をするからには一緒に思考して貰わないと」

さぁ起きた、起きた!と肩を雑に揺らされて仕方無しに顔を上げる。今日は長時間の乗馬と大掃除で疲れているのに。
魂の入り切らない顔で目を開けると困ったように此方をじっとみるエレンと目があった。流石にこんな締まりのない顔では上司失格だ。

「…分かりました」

決まり悪さに俯き、口を尖らせて言った。


――巨人の生態調査で新しく分かった事は、正直に言うと皆無だった。日光で活動が弱くなる点は、個体差はあれど原因は不明。痛覚の実験も、サヤの視点から見ると目に刺しても心臓に槍を突き刺しても、汚く笑うように叫ぶだけで、痛がっているようには思えない。
結局謎が残るだけだったのだ。

「――つまり今のところ巨人について分かった事は何もない。巨人は水も食料も摂らない。発声器官はあっても呼吸を必要としない…唯一活動に必要なのは日光だけみたいなの」

サヤが巨人実験について一頻り話し終えると、痛覚実験の辺りで涙ぐんでいたハンジがエレンに身を乗り出した。

「とっても辛い実験だったよ…でもきっと無駄にはしない。協力してくれてるあの子達の為にも、私は」
「何で…巨人を前にしてそんな陽気でいられるんですか?」

思わず、といった深刻な表情でエレンが上目遣いに尋ねた。ハンジは何のことか分からずポカンとしている。
恐らくエレンは、人類を絶滅寸前まで追い込んだ天敵に感情移入する行為が理解できないのだろう。ましてやエレンもハンジも皆仲間を殺されてきたのだ。
言わんとすることが判るサヤは静かに二人を見守って、自分の膝の上に手を添える。

「…そうだね。確かに私は巨人に仲間を何度も何度も目の前で殺された。調査兵団になった当初は憎しみを頼りにして巨人と戦ってた」
「…」
「そんなある日私は気付いた。切断した3m級の生首を蹴っ飛ばした時だった。――軽かったんだ異常に。巨人の体が」
「え?」

そもそも本来なら巨体が2本足で歩くことは出来ないのではないかとサヤと議論したのは、そう昔の話ではない。どの巨人も、切断した腕はその質量にあるべき重量には到底達していなかったのだ。

「それに私が見たエレンの巨人化の瞬間では、何もなかった所から巨人の体が現れたでしょ?」

そう口を挟めばハンジも頷いた。

「私は思うんだ。本当は…私達に見えている物と実在する物の本質は…全然違うんじゃないかってね」

サヤに同じ事を話したときと同じように、眉を下げて奥ゆかしげに呟く。
だからこそ既存の見方と違う視点から巨人を見てみたい。そう珍しく真剣な顔で言われたからこそ、彼女が異端だと兵士に思われようと実験や研究に協力しようと思ったのだった。

「でも、私はやる」

サヤが見た時と同じ瞳で見つめてくるハンジに、エレンのそれはどこか納得したような、晴れ晴れとしたような表情に変わる。

「ハンジさん…よかったら実験の話をもっと聞かせていただけませんか?」
「え?……いいの?」
「明日の実験の為にも詳しく知っておいた方が良いかと思いますし」

(…ん?)

話の流れに嫌な雰囲気を感じ取り、サヤは耳をピクリとさせた。
まずい、気がする。これはいつぞの夜ハンジにこの話をされた時、揺られたサヤが協力したいと名乗りを上げ、その後盛大に後悔した状況とよく似ている。

「わ、私はそろそろお暇します」
「何言ってんの?上司が部下に協力しないでどうすんのさ」
「っ…」

ハンジの閃いた眼鏡と、エレンの見上げてくる大きな瞳。

逃げるように扉を開けようとしていた負傷していない方の手は、名残惜しげにその傷んだ木材から身を引く。ガタン、と扉が閉まるのと同時に、サヤはこの後お風呂に入りほくほくと眠る未来を諦めた。


:::::

「…なので今回の実験では新たに得られた情報はないね。訓練兵のときに君も教わってるハズだ。エレンも知ってたよね?」

意識の外側でハンジの声が聞こえる。
思考が鈍い……そうか、いつの間にか寝てしまったのか。

「はい…全部知ってました」

その声が頭の上からクリアに聞こえて、サヤは机に伏せていた腕の中から頭を擡げた。視線を隣に移すと、恍惚とした顔で話をするハンジが見える。その向かいにいるエレンは――大きな隈をつけて非ぬ方向を見ていた。
窓からは温かい光が刺している。朝だ。

「なのでここからは私独自の推測を交えてもう一度解説するよ」
「はい!?あの…もう…!」

可哀想に。一睡も出来なかった哀れなエレンを見兼ねて、サヤはのっそりと身を起こした。
気付いたそれが縋るような顔で名前を呼んでくる。

「おはようございます!俺そろそろ今日の実験の準備しないと――」

あまりにも必死なようだから、サヤは無意識にふ、と顔を緩ませていた。

「ハンジさん、私もエレンの準備手伝ってきます。時間には間に合わせるので、どうかハンジさんも朝食摂ってきて下さい」
「ちぇ。仕方ないなぁ…私もちょっと体力の使い過ぎでお腹が減ったし」

実際座っていただけなのだが。素直に頷いたハンジに挨拶をして、サヤはエレンを立たせて部屋を出た。
廊下を歩きながら、エレンは後ろで眠たい目を擦る。サヤが振り返ると慌てたようにその手を下げた。

「災難だったわね、エレン。巨人の話になると彼女は止まらないんだよ。だから皆もその手の話には必要以上には触れようとしないし、予感を感じたら昨日みたいに逃げていく」
「そう…だったんですか。オレ…ただ明日の実験の参考になればって……いや、もう今日か…」

再び目を擦るエレンに苦笑いしながら、もう一度災難だったねと労った。これから嫌と言う程ハンジに弄くり回されるのだろうと想像したが、可哀想なので黙っておく。
ごしごし、と擦る指。その様子をぼうっと視界に留めながら…サヤはエレンの手をそっと持ち上げた。

「…?サヤさん?」

不思議そうに首を傾げるそれに、親指の付け根の薄い肉を見つめながら答える。

「エレンはまだ、自分の体の事をよく理解してない」
「…」
「私はエレンが私達に教えてくれたことをそのまま信じるから、その枠の中で話が出来るとしたら…――今は何もないのかも知れない」

何度噛みちぎっても再生する傷と、巨人になれるエネルギーの正体は一体何なのか。…そして一体何を"対価"にしているのか。何も判らない。けれど知らなければ命に危険が及びそうだと考えるのは、サヤが心配し過ぎているだけなのか。

「貴方が巨人化の方法を本能で知っていたのだとしたら。それとも誰かに教えてもらっていた事をすっかり忘れてしまっているのだとしたら。何方にせよそれが分かるだけで大きな一歩になる」
「…はい」
「だけどエレンに死ぬほど負荷を掛けたいとは思わないわ……少なくとも私は…。エレンの体は人間の男の子だし…力には限界があるでしょ…?」
「にん、げん…」

事実エレンは巨人化が過ぎると鼻血を出している。
それは身体の何処かの細胞が悲鳴を上げている証拠だ。つまりいつか――体が追い付かない日がやってくる。その時この青年がどうなるのか、想像したくは無いけれど。

「とにかく、無理はしないで」

微笑んで歩きを再開するサヤの言葉を呆然と聞いていたエレンは、我に帰ったように後に続いた。やはり変な人だ、と胸の内で呟きながら、揺れる黒髪を目で追いかける。

「…っ班長!!!」

そして二人が廊下の角を曲がる瞬間、息を切らした兵士がサヤに掴みかからんばかりに走ってきた。

「捕獲していた巨人が…2体とも殺されました!!」



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