一瞬の言葉の濁り


エルドのお言葉に甘えて手ぶらで下階へ降りていると、どこからかエレンの声がした。

「オレはこの施設のどこで寝るべきでしょうか?」
「お前の部屋は地下室だ」
「また…地下室ですか?」

鎖で繋がれて、あまり良い印象ではないのだろう。エレンは口を覆っていたハンカチをずり下げながら失望したように問いかけた。相手もマスクを下げたのか、篭りの取れたリヴァイの声が左の部屋の奥のから聞こえる。

「当然だ…お前が寝ボケて巨人になったとして、そこが地下ならその場で拘束できる。これはお前の身柄を手にする際に提示された条件の一つ。守るべきルールだ」
「……」

そこから何も聞こえなくなった。驚いた顔で立ち尽くすエレンの後ろ姿が見える。
エレンが掃除した部屋を見てくると言って部屋を出たリヴァイに気付かれまいと、サヤは慌てて階段を駆け下り空き部屋へ隠れた。かつかつと過ぎていく足音を見送って部屋から顔を出す。

「失望したって顔だね」
「はい!?」

気付けば同じく盗み聞きをしていたらしいペトラが声をかけていた。

「珍しい反応じゃないよ。世間の言うような完全無欠の英雄には見えないでしょ?現物のリヴァイ兵長は…思いの他小柄だし神経質で、粗暴で近寄りがたい」

まだ調査兵団に入団したばかりの頃の自分の感想と見事に交わり、サヤは無意識に頷く。
それにしても、出るタイミングを逃してしまったようだ。

「いえ…オレが意外だと思ったのは…上の取り決めに対する従順な姿勢にです」
「強力な実力者だから序列や型にははまらないような人だと?」
「はい…誰の指図も意に介さない人だと…」
「私も詳しくは知らないけど……以前はそのイメージに近い人だったのかもね。リヴァイ兵長は都の地下街で有名なゴロツキだったって聞いたわ」

その話は何度か同僚から聞いたことがある。
どれくらい前なのかは分からないが、調査兵団に入る前、ウォール・シーナの地下に設けられた棄てられた街で窃盗団を組んでいたらしい、と。そこで一体何があったのか、どうして出会ったのか、エルヴィンの元に下る形で調査兵団に連れてこられたらしい。
その噂を耳にした時は、リヴァイのあまりの眼付きの悪さにゴロツキを彷彿とさせるものがあったせいではないかと疑っていたのだが、確認する術もない。

「ま、本当かどうか分からないけどね」
「オイ…エレン」
「!!」

突然現れたリヴァイに慌ててサヤも部屋に隠れた。隣の部屋から誤魔化すように床を掃く箒の音。恐らく話を聞かれていたら気不味いペトラだろう。

「全然なってない。すべてやり直せ」

(だから言ったのに…。)

人知れず項垂れるサヤの部屋の前を返事よく駆け上がっていくエレンの姿が過ぎていった。



―――漸く一日をかけて大掃除を終わらせた一行は、夕餉の為に集まった。
長い木製のテーブルは埃一つ無く磨かれている。さすがリヴァイが総監督しただけあって抜かりがない。

正直落ち着かないのだが、サヤは三人席を挟むようにリヴァイと向かい合わせになって座っている。補佐とはいえ誰がこんな配置にしたのだろう。叶うのならペトラの隣が良かった。
と、心の中で不服を抱きながらお茶を呑み込んでいる間にエルドが口を開いた。

「我々への待機命令はあと数日は続くだろうが…30日後には大規模な壁外遠征を考えていると聞いた。それも今期卒業の新兵を交えると」
「エルド…そりゃ本当か?」

確かに随分急な話だ。ましてや今回の巨人の襲撃で初めてそれを見た新兵達には、相当堪えるものがあった筈だ。
怪訝そうに顔を顰めるグンタに同意するようにサヤも静かに頷いた。

「作戦立案は俺の担当じゃない。ヤツのことだ…俺達よりずっと多くのことを考えてるだろう」

そういったリヴァイの背後には強い眼差しで兵士たちの指揮を取る団長の姿が揺らいでいた。

もし彼が何かを企んでいるとして。
目的は一体、何なのであろうか。大きな犠牲を踏み潰して進めてきたマリア奪還ルートが一瞬で白紙になり、人類の希望であるエレン・イェーガーの保護に成功した。そしてあの日の惨劇から日も立たないうちに新たに"外"へと犠牲を駆り出すのだ。
エルヴィンの目的が分からない。リヴァイでさえまだ知らされていない。それが逆に、彼がすでに確固たる真実を握っていそうで不気味なのだ。

「…サヤ班長?大丈夫ですか」

知らぬ間に難しい顔をしていたのだろう、斜め前のペトラが心配そうな声を掛けてきた。ぼんやりと我に返って強く握っていたズボンの皺を均す。

「ごめん、少し……眠たくて」

明るく取り繕ってスープに手を伸ばした。
雀の涙ほどの具が唇を通り抜ける。目を逸らし味わおうと試みるが大した風味も無い。

「…未だに信じられないんだが…"巨人になる"っていうのはどういうことなんだ エレン?」

そこに、今まで詰まっていたものを吐き出すような声色でエルドが身を乗り出した。

「…その時の記憶は定かではないんですが……とにかく無我夢中で…。でもきっかけになるのは自傷行為です。こうやって手を……」

その、エレンの一瞬の言葉の濁りを、サヤは見逃さなかった。

「お前らも知ってるだろ…報告書以上の話は聞き出せねぇよ…」
「そう、ですよね…」
「すまない、エレン」

何かに取り憑かれたように変化の際に噛み千切る親指の付根を見つめるエレン。サヤも息を止めてカップ越しにそれを眺めた。
きっと、エレンとサヤが考えている事は同じなのだろう。

「まぁ あいつは黙ってないだろうが。ヘタに弄くり回されて死ぬかもなお前…エレンよ」
「え…?あいつとは…?」
「こんばんはーリヴァイ班の皆さん!お城の住み心地はどうかな?」
「あいつだ」

荒々しく扉を開けて入ってきたのはやはりハンジだった。皆に挨拶するや否や掃除で疲れたサヤの顔を悪意なく指摘する。
そして一瞬の彼女の眼鏡がエレンを見て煌めいた。

「私は今 街で捕らえた2体の巨人の生体調査を担当しているんだけど、明日の実験にはエレンにも協力してもらいたい」

その許可を取りに来た、と今日一日みんなが掃除している間に研究室へ閉じ込もっていたハンジはリヴァイを振り返った。エレンの総ての権限を持っているのはリヴァイだ。

「リヴァイ?明日のエレンの予定は?」
「……庭の掃除だ」
「ならよかった、決定!!エレン!明日はよろしく」
「あ…はい……」

二人が握手を交わす間で怖い顔をするリヴァイにハラハラしながら、サヤ達は事を見守る。そろそろ自室に戻って明日の訓練の支度をしよう、そう思い至り席を立とうとしたところで、エレンが純粋で、しかし恐ろしい質問をした。

「しかし巨人の実験とはどういうものですか?」
「!!」

刹那オルオが青筋を立ててエレンを小突く。リヴァイは無表情で椅子から立ち上がり、続くようにサヤ以外の全員が腰を上げた。何かに障らないようにゆっくりな動作でありながら、誰よりも早くその場を去ろうという焦りがひしひしと伝わってくる。

「あぁ……やっぱり。聞きたそうな顔してると思った…」

何事かと眉を吊り上げて上司等を見上げるエレン。

「そんなに聞きたかったのか…しょうがないな。聞かせてあげないとね。今回捕まえたあの子達について…」

バッ!と立ち上がったサヤに蛇のようにハンジの腕が巻き付いた。



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