明らかな敵意




豪華なシャンデリアが点々と並び、床には上品な彩度の赤い絨毯。只の通路でしかないはずの廊下は、趣向を凝らしめた贅沢品であふれていた。

「どいつもこいつも…糞みてぇな頭してやがる」
「そう怒るな、リヴァイ。我々に資金が必要なのは揺るぎない事実なんだ」

今日の会談で最高に機嫌を損ねたリヴァイは、深い眉間の皺をより濃くしている。斜め後ろを悠然と歩くエルヴィンの言葉が耳に入ってくることは無いようだ。

"お前達豚の餌代を払っている訳ではないのだぞ!"――
――"我々はお前達に見返りを求めている…"
――"このままろくに成果も上げられないようなら、支援の辞退も文句は言えんだろう"
"税金の無駄遣いめ…"――

「…チッ」

考えるだけで虫唾が走る。壁の中の誰かではなく、自分の庭だけ守れればいいという貴族の考えはどうしても気に入らなかった。何より時間の無駄だ。
黙らせるために机を下から蹴り上げようとしたところで、エルヴィンが見計らったのかと疑うほど素早くリヴァイの肩を抑え、その場を饒舌に丸め込んだのだが。

「しかしリヴァイ、お前の無愛想は相変わらずだな。せめて愛想笑いぐらい覚えたら私の取引もやりやすいだろうに」
「馬鹿言うな。お前の歯が浮くような営業文句は頑張っても笑えねぇ」
「頑張ってはみるのか」

軽口をたたきながら玄関へ向かう。途中壁に飾られた大きな額縁が目に入った。油絵のようなタッチで描かれているのは、会議室を設けたこの家の令嬢だろうか。
慎ましく赤のドレスを着飾って、口元だけきゅっと吊り上げている。

「…どうした。その女性と知り合いか」
「いや」

立ち止まっていたリヴァイに、エルヴィンが声をかける。
表情を戻したリヴァイは、何もなかったように歩きを再開した。あの令嬢に面識はない。けれど、それ越しに浮かんだ顔に足が止まったのだ。

あの金髪の絵とは対照的な、漆のように黒く光沢のあるそれに、陽に触れると目が眩む白い肌。普通の令嬢と比べて華やかである訳ではないのに、人の胸に爪痕を残す存在感。

その名は、サヤ・アンドレアという。
父親は歴代の有名貴族で、母親は東洋人の美しい女性だ。元々は一般民であったらしい。言わずもがなアンドレア家は誰もが知る名門貴族で、商業や貿易を主な営業として行っている。
…しかし彼女の両親は社交界の夜 道で人買いに襲われ、目の前でこの世を去った。まだ若い長男のハンス、そしてサヤの二人だけを残して――。
翌年、サヤは貴族の令嬢では異例の兵団志願をした。その噂は耳にしていたが、まさかその少女が調査兵団に来るとは、エルヴィンでさえも予想していなかっただろう。

彼らの歓迎会の晩。
ハンジが知り合ったばかりの新兵の肩を掴み豪快に騒ぐ中、彼女はたしか物珍しさに視線を送ってくる兵士たちを無視して食事を続けていた。エイデルの言葉に笑い、ノーラに話を振っている。貴族だからと高貴ぶっているようには見えなかった。あどけない笑顔が霞んでいく。――それは急に大人びて、舞踏会の夜の怯えきった表情に変わった。

無意識に眉が寄る。
あまり思い出したいものではなかった。馬車の中で自分に震える彼女は、一体なにを怖がっていたのだろうか。

「…あの日、あいつに何をしたんだ。お前に怯えているように見えたが」
「…」

唐突に質問すると、エルヴィンは瞳だけを向けてリヴァイをじっと見下ろす。何の話かを説明しなくても理解したあたり、エルヴィンもサヤのことを考えていたのだろうか。

しばらく黙って見合った後、エルヴィンは首元を手で緩めながら静かに首を降った。

「何も…と、言っても納得しないかな」
「言えないならいい」
「…前に、お前に彼女について尋ねたことがあっただろう」

…前。それはエイデル達が初めての壁外調査に挑む前の日のことだ。明日に迫る壁外調査の内容をエルヴィンに確認された晩、なんの前触れも無く尋ねられたのだ。
サヤ・アンドレアについて何か知っているか、と。

もちろん今でもその真意は分からない。なぜそんな事を訊くのかと言っても、依頼された故答えられないと言われたのだ。あれからその件はどうなったのだろうか。誰が依頼者で、何の目的があってサヤをあそこまで追い詰めたのだろう。

「…私は…少し彼女に深入りしすぎた。不明な点があるにしろ、彼女は大切な兵士に過ぎない」
「何も分からなかったってことか」
「そうだな。そういうことだ…」

そう言うエルヴィンの横顔はどこか胡散臭い。

「はっ……」

知る権利は無いということだ。

もう決着が付いた話なのだろう。或いはその逆なのかもしれない。どっちにしろ問い詰める権利も理由もリヴァイにはない。
それが妙に気に障った。

端から見れば無表情なその顔でも、エルヴィンはリヴァイの感情の変化を目敏く察知し、ゆるく微笑む。

「無知は恐怖であり、知ることには欲が出る。私もそうだった。あの人の依頼を受けたのは暴きたかったからだ…彼女を」
「…」
「しかしどうだろう。お前も見た筈だ。私達に怯える彼女をな」

社交界の夜。帰り際にエルヴィンへ見せた引き攣った表情、そして自分に向けられた明らかな敵意を思い出す。

知ろうとすること。それはサヤを恐怖に晒す事になると言いたいのだろうか。黙って考えたまま歩き続ければ、いつの間にか出口は大きく佇んでいた。

「……」

光がまぶしい。すぐ先の小道に馬車が停まっている筈だ。しかしその視界には息を切らせた調査兵が飛び込み、二人の進行を食い止める。

肩を上下に揺らして、それは乾いた声で伝達を告げた。


「…ッは、ウォール・ローゼ南端、トロスト区ッ!超大型巨人がっ、南門を破壊し、無数の巨人が攻めてきます…!!!」



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