地面が揺れるほどの咆哮


皆がエレンを守る為に巨人へ立ち向かっている。

「熱っ…」

そんなガスと刃のぶつかり合う音の中、サヤは蒸気の中でエレンの首筋に立ち熱による汗を拭った。
視界は風向きによりだんだんと開けてくる。…けれどおかしい。さっきから破損したエレンの体が修復されていないように思えた。

――トクン、トクン。

足の裏から響くようなエレンの鼓動を感じる。

(…どうやって引きずり出せば…)

足元を見つめて、サヤははっとしたように剣を抜いた。片手で剣先を下に向け、エレンの後頭部から伸びる首筋の横に先端を触れさせる。
真ん中さえ避ければ死なない筈だ。エレンがこの痛みに気付いて意識を保ってくれればいい。

「ちょっと、痛いだけ――!!」
「サヤさん!」

剣を振り上げた瞬間、建物の屋根から息を切らした声が聞こえた。ばっと顔を上げれば、金髪の青年が目を見開いてエレンとサヤの様子を見下ろしている。

「アルミン…!」
「作戦はどうなったんですか!?エレンはっ」
「失敗した!エレンは自我を保てずにミカサに攻撃して…!とにかくエレンを置いていけないから皆戦ってるの!」
「…!ッ」

アルミンは素早くアンカーを飛ばしてサヤのもとへ飛び立った。持ち方を変えているブレードを見て心得たように一人呟く。

「後頭部から項にかけて、縦1m…横10cm」
「アルミン…?」
「エレンをここから出そうとしていたんですよね…?僕もその選択は正しいと思います…エレンは巨人の弱点部分から出てきたんです。これは…巨人の本質的な謎と恐らく無関係じゃない…」
「っ、でも危険で――ッ!!!」

皆まで言わせずに、アルミンは全身の体重をかけて刃を突き刺す。慌ててサヤが体を固定する為にアンカーを巨人の肩に打った瞬間、血を振りまいてエレンが雄叫びを上げた。悶えて揺れる体から振り落とされないように必死に柄を握る。振動の度に悲鳴を上げる右腕は無視をした。

「エレン!!!起きて!!!」
「起きてくれよエレン!?ここにいるんだろう!?エレン!!!このまま此処にいたら巨人に殺される!ここで終わってしまう!!」

ドンドンと首筋を叩き、サヤ達はエレンに呼び掛ける。肩で息をするほど…絶え間なく、エレンの名前を呼び続けても、それはピクリともしなかった。

遠くで巨人と戦闘をするミカサ達が見える。兵士の一人が巨人の手に落ちる瞬間を見てしまい、サヤは反射的に下を向いた。
なんて怖い景色なんだろうか。急に現実味を帯びなくなった世界に思考が鈍っていく。掌に感じるざらざらとした巨人の肌の感触…。

こんな世界が、どんなに夢であったら幸せだろうか。

「エレン…海って知ってる…?」
「っ?」

根本まで刺されたブレードの柄をアルミンの手ごと握って、サヤは熱い肌に額を付けて呟いた。

「…すごく大きな水溜りみたいなものなんだけどね、飲んだら甘くてしょっぱいんだよ。私達生物はそこから生まれてきたらしいの…鳥とか魚とか人間とか、沢山枝分かれして」

眠たくなるような教室の景色が目の前に浮かぶ。ふわっと揺れたカーテン。それが窓へ引き戻るときには、景色は真っ青な海へと変わっていた。
漣(さざなみ)が立つ温い砂の上を裸足で歩いて、波の音に耳を澄ます。キラキラと水面で反射する太陽の光はどんなに綺麗だっただろう。

いつかのそんな記憶が鮮明に蘇って、自嘲したい気分になった。

「…忘れられたらどんなに楽だろうな。そうしたらこんな狭い壁の中でも満足に死ねるかもしれないのに。…期待しちゃうの。いつかもう一度海を見れるんじゃないかって。……だから…お願い、エレン、ここで終わらせないで…」

縋るように言葉を吐き、握る手に力を込める。隣で静かに話に聴き入っていたアルミンは、放心した顔を必死に引き締めてエレンに呼びかけた。

「…。エレン…、僕達はいつか、外の世界を探検するんだろ?この壁のずっと遠くには、炎の水や氷の大地…砂の雪原が広がっている」
「――」
「忘れたのかと思ってたけど、この話をしなくなったのは…僕を調査兵団に行かせたくなかったからだろ?」

困ったように空を仰ぐ横顔には、何処か夢に興奮したような瞳が揺れている。

(炎の、水……)

そうか…海は、夕日で真っ赤にも染まるんだった。

影が濃くなる雲が流れて、橙色の空は紫に、そして星空へと変わっていく。短いその刹那の景色が脳裏いっぱいに浮かんで、サヤは呆然とアルミンを見上げた。

つと、瞳から熱いものが伝う。

(忘れてしまうところだったんだ…私…)

アルミンは優しい表情で俯き、エレンがいるはずのそこへ囁いた。

「エレン…答えてくれ。壁から一歩出ればそこは地獄の世界なのに、どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?」

ポタリ。
涙がその肌へと零れた瞬間―エレンの体は大きく揺れる。

そして地面が揺れるほどの咆哮を放った。



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