ぬるくなった紅茶を見下ろす男…リヴァイは、先程サヤ達と入れ違いに入室してきたエルヴィンの話を静かに聞いていた。
内容は明日に迫る壁外調査の主な目的や陣形の説明、その他非常事態時の対処の確認など、例年となんら変わりない。

「ところでリヴァイ、彼女…サヤ・アンドレアという人物について何か知っているか?」

だから、突然訊かれたその質問に口を開いたまま黙ってしまった。
なんだ、その質問は。

「俺よりお前の方がよく知ってる筈だろう……あいつの両親とも面識があるんじゃねぇのか。何故聞く」
「……不明な点がある。今はまだ極秘だ。お前にも言えない」
「極秘…?俺に言うと不味いのか」
「ある人に依頼されて調べているんだ。それに確信がない以上他言できなくてね」

エルヴィンの曖昧な態度に眉を寄せたリヴァイは、さっきまでハンジと信憑性の無い話を繰り広げていた女の姿を思い浮かべる。

「いや……お前が期待する答えなら持ち合わせてねぇな。あいつは只の変人だ」
「そうか、ありがとう」

微笑を湛え、エルヴィンは切り上げるように席を立った。その風が燭の火を揺らし辺りで明暗を繰り返したとき、エルヴィンがまた此方を振り向く。
なんだ、と尋ねるかわりに腕を組んだまま視線だけ合わせる。重そうに開く口を静かに見つめた。

「…彼女の両親は、数年前に彼女の目の前で殺された」
「…」
「母親の方が東洋人だったことから、憲兵団は人買いの犯行だとみて捜査を続けている」
「……やけに手がぬるいな、憲兵の奴らは。もう尻尾を捕まえたっていい頃だろうに」
「ああ、その通りだ」

断定的な物言いに顔を上げる。
強い意思を持ったエルヴィンの青い瞳。それが自分に何かを訴えるように、炎に反射して光っていた。

リヴァイは黙ってエルヴィンの言葉を呑み込んでいく。憲兵団の不信な動き―――それが何を意味しているのか。

「リヴァイ、お前はこの事件の正体を何だと思う?」
「…極秘とやらと関係があるのか」
「いや、無い。ただ私は…この事件には憲兵団側に裏があると踏んでいる」
「奴らと人買いが手を組んで…あいつの親を殺したと?」
「そうだ、十分あり得る」
「根拠は」
「……彼女の父親も、私の父と同じように真実に近付こうとした」

ふと、初めてエルヴィンの目がリヴァイから逸らされる。

「根拠は無い。だがそれは憲兵団が何か重要な秘密に固く蓋をしているからだ。私は、子どもの頃からずっと考えている……彼らにどんな正義があって、父を殺せたのか」

低く、感情を読み取れない声でエルヴィンが呟いた。すっかり冷めただろう紅茶をなんと無しに飲み干したリヴァイは、不味さに顔を顰める。…苦い。

エルヴィンは視線を足元から上げて、僅かに眉を下げた。

「……突然話を切り出して悪かったな。とにかく私は…今の王政に疑いしか抱いていない。そしてそれは確信に変わりつつある。彼女の両親のように悖った死で真実を葬られるのは、もう終わりにしたいんだ」

部屋を出ていくために向けられた背中の自由の翼が、蝋燭の炎で照らされる。心許なげで、不確かな翼。しかしそれにちらつく狂気的な意志は、誰にも掻き消されることは無いのだろうとリヴァイは思った。


::::


「……あ?」

エルヴィンが退出して、ひとり紅茶のカップを片付けようとしたところでそんな声を出した。
立ち上がり見下ろしていたのは、テーブルの下に隠れるようにして落ちている白いタオル……恐らくサヤのものだ。

リヴァイは舌打ちした。そういえばハンジに状況が理解出来ないまま腕を引っ張られてきたサヤの片手には、白い何かが握られていなかったか。
夢中でハンジと語る間に忘れ去られたのだろうそれを、リヴァイはゆっくりと拾う。他人の私物が部屋にあるのは気に入らない性分だった。…それにこのタオルを取っておくにしても、もし明日あの女が帰らぬ人となったら―――。

「面倒くせぇな……」

リヴァイはさっさと返そうと部屋を出ていった。


廊下を歩いていれば直ぐにサヤの姿は見付かった。
厩舎の側で男と話すそれに、部屋に戻っていないだけましだと下の階段を降りていく。夜風は調度いい冷たさでリヴァイの髪を揺らした。もう二人の会話が聞こえるところまで来ている。

…男が此方へ向かってきた。それはリヴァイの姿を認めるなり大きく目を見開く。

「リヴァイ兵長…」

エイデルの視線はリヴァイの手に微妙な…摘まむような持ち方で持たれているタオルへと動いた。

「盗み聞き……ではないですね、サヤの忘れ物ですか」
「フラれたか」

傷付いたような表情の鬱陶しさから無関心のまま訊ねたら、益々男が苦い顔をつくった。
嘲笑気味にエイデルが肩を竦める。

「もっと優しく言ってくださいよ」
「気持ち悪ぃ。なんでそんな気を使わなくちゃならねえんだ…。勝手にやってろ」
「ははっ…――そうします。じゃあ、お休みなさい」

慰めた訳ではないのに、エイデルはどこか晴れやかな表情になって去っていく。何なんだ、と府に落ちぬ気持ちで見送っていたら前からサヤの声がした。何故ここにいるのだろう、という疑問が顔に書いてある。
リヴァイは手に摘まんでいたタオルを無造作に投げつけた。

「……っ?あ、これ」
「忘れ物だ。俺の部屋に落ちていた」
「ごめんなさい…手間を取らせて」
「全くだ」

黙ってしまったサヤをじ、と見る。微量の風にはらりと靡くリヴァイとよく似た黒髪。目が離せなくなった。

――不明な点がある?
エルヴィンの言葉を思い出して、目の前の女を計るような瞳で見てしまう。確かにこの女の言うことは法螺としか捉えられない。下手をしたら信用を無くしそうな人格だ。
…だが、それが全て事実だとしたらどうなる?人類の知り得ない真実を知っているとしたら、一体こいつは何者になる?……第一エルヴィンが言っていた"不明な点"がこれなのかも解らない。

「……明日に備えて寝ておけ。寝不足で巨人の腹に突っ込みたくないならな」

考えるのを放棄したリヴァイは投げやりにそう言い捨てて踵を返した。

…白い月がサヤの肌を光らせるように耀く。満月の夜だった。



水面下の真実と疑心

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