「エイデル…?」

部屋へ戻る途中、二階から厩舎の向かいで夜空を眺める人影を見つけた。窓の縁に手をついて上から声をかけようとしたが、躊躇してしまう。今が夜だということもあった。しかし大きな理由は…エイデルが、物憂げに座り込んで、夜空を眺めていたからだ。

サヤはエイデルのもとへ行った。気付いたそれがビク、と肩を震わせる。同時に目が見開かれた。

「……っ。どうしたんだ、サヤ」
「上から貴方を見かけたから…」

エイデルと話すのは凡そ一週間ぶり。ノーラの件以来だ。あれから練習も厳しく会話できるような休憩時間がろくに無かった為、気付けばこんなに日が経っていた。
少し大袈裟に反応されて内心困惑するサヤだが、平然を装って笑いかける。

「何してるの?こんなところで」
「あー、その、考え事だ。ほら、明日ついに壁外調査だろ?色々と胸に詰まるもんがあるっていうか」
「そうだね……」

以前エイデルは、外の世界を見てみたいと言っていた。だがその反面外の世界の脅威に不安を覚えているのだろう。きっとそれはエイデルだけではない。明日壁外へ出る者すべてが、時間が流れることに焦燥感をもっている。
サヤが優しく頷けば、エイデルは眉を下げて笑った。

「サヤはなんだか落ち着いてるな」
「…そう?」
「ああ、いつも通りのサヤだ……なんか安心する。顔が見れてよかったよ」
「やめてよ、最後みたいな言い方――」

ふと、ノーラの姿が頭を過る。サヤは冗談かと思ったその言葉に笑顔が作れないままエイデルを見つめた。
…ノーラは言っていた。傍に居たい、彼が全てだと。そう真剣に言葉を紡いでいた彼女の横顔を思い出して、胸が痛む。だから無意識に口走ってしまった。

「死なないで」

強い切願を孕んだサヤの言葉に、エイデルが目の前に立つサヤを見上げる。

「……サヤ?」
「ごめん、大袈裟なこと…いって。でも、やっぱり不安になるの」

俯いて、声を絞り出すのがやっとだった。
――訓練兵だった頃に経験した巨人との実戦でも、サヤ達は多くの仲間を失った。確かにエイデル達は生き残ったが、次はどうなるか分からない。いつも隣にいた者達がずっと笑い合えるとは言い切れない。…ノーラの願いが叶う保障など、どこにもない。

(くるしい…)

サヤは奥歯を噛み締めた。

どうして人は、この世界は、求める先に幸せが約束されないのだろう。己や他人の死に怯えて生きなければならないのだろう。

「生きてよ…」
「サヤ……」

俯くサヤに我慢し切れなくなったように、エイデルは手を伸ばす。その表情は切なさでこれ以上ないくらい歪んでいた。

「なぁ…」
「…?」

エイデルが少し緊張してサヤの頭を撫でる。

「それは、誰の為にいってるの…?」

その問いかけに、サヤの視線は下を彷徨った。
……言えない。ノーラが大切にしてきたエイデルへの気持ちを明かすなんて真似はしたくない、とサヤは固く口を結ぶ。
その姿をじっと見つめていたエイデルは、泣きそうな顔で笑った。

「……サヤは、残酷だ」
「え…?」

思わず顔を上げたサヤの頬に、エイデルの震える指先が伸ばされる。…しかし、それはだらりと垂れ下がって、寂しげに宙を舞った。

「分かってはいるんだけどな。お前は、……優しいから――」
「どういう…」
「もう戻るよ、俺。消灯時間とっくに過ぎてるし、今日は休まないと」
「……」

これ以上踏み込めないような雰囲気に、サヤは押し黙る。
…どうしたというのだろう。緩い拒絶に戸惑いながらも覗き込んだ瞳は、ふい、と逸らされた。

「エイデル…」
「ごめん、俺らしくないな。……明日、頑張ろうぜ」

無理に笑っているのが見え見えなそれにサヤは頷くことしか出来ず、何度も首を縦に振る。


「…おやすみ、サヤ」

ダイヤの破片が散り散りになったような夜空。それに縁取られて小さくなっていく彼の背中がやけに霞んで見えた。

サヤは上を見上げて、息を吐き出す。
ついに明日…外の世界に出られる。風の香りに土や海、森の自然美を想像し、焦がれた自分の願いに一歩近付ける。けれどその思い以上に、明日が来てしまうことを怖く感じた。サヤも抱いてしまったのだ、仲間を失うことへの恐怖を。それ程までにエイデルやノーラが大切なのだとサヤは実感した。……この鳥籠のような世界に、自分が生きていることを思い知らされた。

もう、記憶の中の自分ではいられないらしい。
けれどそれじゃ悲しすぎる。あの平和で平凡な世界にある両親の笑顔も、綺麗な景色も全部…過去ではなく、サヤにとって生きる糧となる今なのに。

「かえして……」

白い星が、サヤの瞳の中でしゃんと煌めく。まるで空が泣くかのように、流れ星が瞬いた。

戻りたい。
こんなに苦しむことのない、平和な世界に。けれど――。



立ち去るには愛し過ぎた

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