【847年】




―――調査兵団。
そこは、変人の巣窟と言っても過言ではない。変わり者が集う、変革を求める人間の集団である。


「サヤ!そろそろ戻りましょう?辺りが暗くなってるわ」
「…本当だ。夢中になって気づかなかった…」

灰色に染まった視界に驚いて、サヤは白熱していた立体機動の練習を中断し地面に着地した。
ノーラが額の汗を拭っている。

「サヤ、随分と上達したわね。あまり得意じゃない私から見ても、ここに来て動きが格段に速くなったわ…」
「それをいうならノーラもよ。ナナバさんに教えてもらったからかな」
「ふふっ、きっとそう!さすが調査兵団ね。実践を積み重ねた人達から教えられる技術は本物だもの」

嬉しそうに笑うノーラは、サヤを引っ張って食堂へ向かった。よほどお腹が減ったらしい、ぐう、という音が練習場に響く。サヤは思わず苦笑いをして、大人しくノーラに従った。

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調査兵団の食堂は訓練兵の頃のそれより一回り小さく、質素な雰囲気を醸し出している。しかしそこは数々の死線を越えてきた者達が賑やかに食事をする場所であり、まだ壁外調査にも出たことがないノーラ達には気を張ってしまう空間でもあった。
向こうの方から聞きなれた声が聞こえる。そして最近知り合ったばかりの上司の声も。

「やあサヤ、ノーラ!訓練は順調かい?」
「こんばんは、ハンジさんにミケさん。お陰さまで」
「サヤ!今日俺ミケさんに立体機動褒めてもらったんだぜ」

嬉しそうに前の席へと座るエイデルの隣にハンジが腰を下ろす。彼女はゴーグルを頭にずり上げて、ボサボサの髪でにっと笑った。横にいたミケは挨拶だけして自室へと向かう。ハンジ曰く今日の訓練でお疲れらしい。
ノーラとサヤはナナバに指導を受けているが、エイデルはミケに指導を受けているので心底彼を尊敬している。そのためミケが立ち去るまでずっと頭を下げていた。

「今日で一ヶ月になるけど…どう?調査兵団には慣れた?」

ミケを見送り向き直ったハンジが、頬杖をついてサヤに尋ねてくる。

「はい。練習は過酷ですけど…先輩方が細かく指導してくれるし、やりがいがあります」
「そう、ならよかった。ナナバが君の立体機動の技術を褒めていたよ。身のこなしに非の打ち所がないって」
「…そ、そんなこと」

ハンジの言葉に思わず首を降ったサヤは、奥の入り口から入ってきた人影に動きを止める。そんな様子を不思議に思ったのだろう、ハンジやエイデル達がサヤの視線を辿る。目に入った先にいたのは、人類最強とうたわれる男――リヴァイであった。

「おかえり、リヴァイー!!エルヴィンも一緒?」

不機嫌そうな顔で眉を付き合わせる男に、ハンジが大声で食堂の隅から声をかける。ちらりと此方に視線をやったそれは、緊張感をもった団員達の間を通って目の前にやってきた。

「エルヴィンは部屋に戻った。今日の取引の契約書を片すらしい…」

エルヴィンやリヴァイなどの幹部は、調査兵団の資金を手に入れるため度々こうやって内地へ出向いている。疲れているのか一段と眉間に皺を作るリヴァイに、ハンジはおつかれと声をかけた。

「……」

ふいに、リヴァイと目が合う。
サヤは挨拶をするべきかと思ったが、体が固まって変な間を作ってしまった。
リヴァイとは、滅多に話す機会がない。それは入団したての新兵には当たり前の事だ。むしろ目の前にいるハンジのようにサヤ達を見かけては声を掛けて、親しくしてくれる方がおかしい。それにリヴァイは少し変わっていて、立場的にも性格的にもサヤが近付けるような人物ではなかった。

その瞳が今、サヤを見下ろしている。

「ちょっとちょっとリヴァイ!新兵ビビらせちゃ駄目でしょうが。あんたの目、人殺せるんだよ」
「ハンジさん…」

ハンジの失言に思わず声を漏らした。リヴァイが怒るのではないかとざわつく周りに構わず、ハンジはからかうようにリヴァイを見上げる。無視を決め込むつもりなのかふい、とサヤから視線を外したそれは隣に座るノーラ、続いてエイデルへと順に目をやって、考えるような表情をした。
目敏くハンジが身を乗り出す。

「まさかとは思うけど、名前が分からないとか言わないよね?ちゃんと歓迎会したでしょ?」
「……い、いいですよ名前なんて!まだ入ったばっかりですし…」

今まで恐縮して黙っていたノーラが必死に手を振った。エイデルもこくこくと頷いている。

「……俺は疲れた。寝る。ハンジ、明日一週間後に行う壁外調査の班分けを報告する。お前が召集をかけろ」
「えー。他の隊長に任せれば良いじゃないか」
「うるせぇ、黙ってやれ」

吐き捨てるように言ったリヴァイはサヤ達には目もくれずに食堂を出ていった。張り詰めていた空気が徐々に無くなっていく。サヤ達は脱力したように肩を落とした。

―――リヴァイ。
"人類最強の兵士"と言われているのは訓練兵になる前から知っていた。一人で一個旅団並みの戦力を持っているとの噂も聞いていたし、一体どんな人物なのだろうと想像したこともある。
しかし…、調査兵団の入団歓迎会で初めて見たときは、正直理想とは似ても似つかなかった。長身で、包容力のあるものだと思っていたそれは、思いのほか小柄で、常に不機嫌。その上極度の潔癖症ときた。勝手に失望するのも失礼なのだが、サヤはその時確かにがっかりとした。


「……おいサヤ。大丈夫か?」
「へ」

物思いに耽っていたサヤの肩を、エイデルが机を挟んで叩いた。
はっとして顔を上げるサヤに、ハンジが見当違いなことを言い出す。

「名前を覚えられてないのがそんなにショックだった?」
「いえ、別に…」
「だいじょーぶ!次の壁外調査で生き残れたら、きっと名前覚えてくれるから。他の兵士にもそんな感じだったもの」

その言葉に、エイデルとノーラがゴクリと息を呑んだのが分かった。
緊張感を感じるのも無理はない。人生で初めての壁外なのだ。どんな危険があるのかも、どんな世界が広がっているのかも、エイデル達には分からない。生き残れない確率だってある。そんな未知が一週間後に迫っているのだと思うと、二人の表情は晴れやかではなくなった。
…しかし、サヤの心は妙に落ち着いている。その理由が何なのかは本人にも分からなかった。ただ、緊張感こそありはするが恐怖は感じられない。巨人の恐怖をすでに目の当たりにした筈なのに――。

「よしっ!今夜は座学が得意なサヤもいることだし、巨人の謎についてたっぷり議論しよう!!」

本当の目的はこれだったのだろう。ハンジが仕切り直しと手を叩いた瞬間、サヤ意外の全員が食堂から流れ出た。



そうして夜が明けるまで

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