「――巨人が壁を突破した…!?」

雲行きが怪しくなり始めたとある日の午後。騒がしく建物内を行き来する教官達に、訓練兵は急遽集合をかけられた。
何事かとそわそわする皆を静めた教官が、辛辣な面持ちで告げた衝撃の事実に、どこからか悲鳴のような声が響き渡る。隣にいるノーラが、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。

「お前達には酷かもしれんが、今は人手が欲しい!!今から101期訓練兵団は突破されたウォール・マリアの中衛部に向かってもらう!!駐屯兵団の指揮の下、住民の避難支援を担当せよ!!!」
「ハッ!!」

解散の言葉で皆が一斉に駆けていく。

「う、嘘よ…」

隣で真っ青な顔をしたノーラが呟いた。確かに、まだ一年しか特訓をしていないサヤ達にとっては重すぎる任務だ。
屈んで立体機動装置の点検をしていたサヤは、あまりの震えようにノーラの拳を手で包み込む。そんな動作にさえ、彼女の肩はビクリと揺れた。

「…大丈夫よ、ノーラ。今までずっと訓練してきたじゃない。こんな時こそ冷静にならなきゃいけないわ」
「……分かってる…けど、もしもを考えると身体に力が入らないの…」
「――サヤ訓練兵!」

ノーラを何とか勇気づけようと開いたサヤの唇は、その厳格な声に閉じられてしまう。
振り向けば訓練兵を指揮していた教官がサヤを見ていた。

「お前には中衛部の前線を任されてもらう!班の振り分けは演習の通りだ。大いなる活躍を期待する」
「…っは、い」

動揺して声が裏返った。
サヤの返事を確認した教官は、すぐに焦った様子で他の教官と連絡を取りに向かう。
ゆっくりしている暇はないのだ。サヤは自分の班に合流しようとした。しかし、それは後ろから凄い勢いで腕を引っ張ってきたノーラによって阻止される。

「そ、そんな!!無理よ、前線なんて…!巨人との接戦は避けようがないわ…」
「ノーラ…」

サヤを案じているのだろう、ノーラの瞳は憂いで満ちている。

「……大丈夫よ。私は生きて帰る」

自分でも驚くほど優しい声が出た。
不思議と、恐怖や不安は感じられない。それはまだサヤが巨人を知らないからなのかは分からないが、どうなるにしろ冷静さを欠くよりは数段良い。

ノーラの瞳に涙が溜まる。優しく微笑めば、腕を掴む力が消えた。


::::


「向かって右30m先に5m級二体接近中!!」
「エイデル!先に左の!!」
「おうっ!」

前方にある破損しかけの建造物にアンカーを噴射する。そのままブレーキをかけずに、ぶつかる寸前で高めの位置にある時計塔へとワイヤーを飛ばした。スピードを最大限に活かして右折する。そのまま滑り込むように巨人の項を削いで、民家の屋根に着地した。囮を担当したエイデルも並んで着地する。

「それにしても、変な顔だな」

巨人数が多すぎて手に負えないというのに、エイデルはなんとも呑気な発言をした。確かに初めてみる巨人の顔は人間のそれとそっくりで、項の肉を削ぎ落とす身としては気持ちが悪い。

「あともう一体…」
「今度は俺がやる。サヤは踵骨腱を狙って」

不気味な笑みを浮かべて近付いてくる巨人を見据えて、エイデルが言った。サヤは剣を構えて頷く。
そして再び時計塔へアンカーを発車した。同時にエイデルが並ぶ建造物に連続でアンカーを射して前進する。目の前に佇む巨人はエイデルへと手を伸ばした。

「ははっ、単純…」
「――エイデル危ない!!」

刹那、耳を塞ぎたくなるような爆音と共にエイデルの後ろにあった建物の破片が飛び散った。他の団員に討伐された巨人の頭が鉄槌のように振り下ろされたのだ。
サヤは蒸気を出すそこから必死でエイデルの姿を探す。瓦礫の中に埋もれて何も見えない…。

「……エイデルっ、」

見つけた。
にたりと笑う巨人が手を伸ばす先に――頭から血を流すそれは苦い顔で剣を構えている。しかし足元はおぼつかないでいた。

危険な行為だが、サヤは奥歯を噛んで巨人の項目掛けてトリガーを引いた。身体がぐわん、と引っ張られて、向かい風を精一杯切る。

(気付くな…)

風が目に突き刺さり生理的な涙が出る。それでも目標はしっかり見据えて――ザンッと肉を切り離した。

「サヤ…」

エイデルの弱々しい声が届く。
諦めたように光を失っていた瞳は、じわじわと精気を取り戻していた。

「大丈夫?頭を打ったみたい…」
「…あぁ、平気。それより……ありがとう。もうダメかと思った…」

額に手を当てて血を確認しながらエイデルは声を震わせる。
血が足りないせいか今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

「一旦、救護班に合流しましょう。顔色が悪いわ…」

サヤの言葉に返事はない。サヤは細心の注意を払ってエイデルの肩を支え、目的の場所へと急いだ。
その時だ。

カン――カン――カン――。

「……っ、撤退の…鐘」

まるで肌にその振動を感じるくらい、高らかな音色が響き渡った。

周りから死線を生き抜いた兵士達の歓喜の声が聞こえてくる。ぐらり、と支えていたエイデルがついに脱力した。つられて屈み込んだサヤの目には、エイデルの俯いた横顔が映る。
それは、安堵に歪み、震えていた。

「…ああ、もう、怖ぇ…っ」

身震いして率直な感情を吐き出したエイデルは、体に回されているサヤの手を強く握る。きっと、先程の恐怖が未だに沸いてくるのだろう。

サヤ達は初めて、自分の死に限らず仲間の死が近くに潜んでいることを自覚した。そして事実、失うものは大きかった。今まで同じ時を過ごした仲間が、一瞬で嘘のようになくなっていくのだ。例えそれが上司だろうと、自分を苛めていた男であろうと、死ぬということは皆同じ。

然れど。

サヤ達は生き残った。
死を間近にしてもなお、敵を前に逃げることはなかった。戦ったのだ。

サヤは、震えるエイデルの背を勇気付けるように強くさすった。――ここにいる。エイデルも自分も、ここにいる。

「…サヤ……俺達、生きてる…?」
「…ふふ、生きてるわ。大丈夫」

弱々しい言葉に優しく答えれば、綺麗なエイデルの笑顔が天を仰いだ。


――845年。
この事件で人類の活動領域は大きく後退し、そしてあまりにも多くの犠牲者を生む惨劇となった。



鳥籠の中で息の音をとめた

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