「大丈夫か?」
走り続けて、もう大丈夫だろうという所で声をかけられた。見上げる先には涼しい顔をした男の顔があり、きょろりとした瞳で見下ろしてくる。
「…ええ、ありがとう」
繋がれた手をそっと放して頭を下げた。
動揺…している。いつも周りから遠回しに接され続けていて、こんなにもフレンドリーに話されるのには慣れていない。それに貴族生活をしている間は同年齢の友達など持ったことがなかった。
どうすればいいか分からないまま立ち尽くすサヤを、男はまじまじと、まるで好奇心の塊のような瞳で見つめてくる。無垢な子供のそれに似ていてあまり嫌な気持ちはしないのだが、やはり恥ずかしさは抑えきれなかった。
何者なんだ、この人は。足元を見つめながら何とかこの状況を打破すべく廻らせていた思考は、大人びた女の声に停止される。
「もう!何やってるのよ。気持ち悪いわよ」
男の頭を肘で叩いたのは、肩までの明るい金髪が印象的な女だった。
「…お前、気持ち悪いって何だよ」
「女の子をジロジロ見てるんですもの。言われて当然よ」
睨み合う二人を見て、親しい仲だということは容易に分かる。
じっと二人のやりとりを眺めていれば、女がふとサヤの方を向いた。その目には僅かに驚きと動揺が混じっている。サヤは反射的に目を逸らしてしまった。きっと彼女は、サヤが異端な存在だということを知っている人物なのだろう。…こういう視線を向ける人には、自分はあまり関わらない方がいい。
「あの…本当に、助けてくれてありがとう。でも、私、平気だから」
言い終わらない内に二人に背を向ける。しかし、慌てた声がサヤを呼んだ。
「えっ、ちょっと待って!」
前に回り込まれ、顔を覗かれた。男の澄んだ瞳が焦りで揺れている。
「さっきはガン見してごめん!嫌な思いをさせたかった訳じゃないんだ。ただ、東洋人なんて珍しいから……その、」
「あんた…やっぱり気持ち悪いわ」
どもる男に止めを刺した女の視線が、再びサヤとかち合う。びくり、としてまた目を逸らそうとすれば、申し訳なさそうに眉を下げて微笑まれた。
それにはもう、サヤが苦手とするものは含まれていない。
「さっきは、あんな態度をとってしまってごめんなさい…。ただ驚いただけよ?貴女に不信を抱いている訳じゃないわ」
「……ううん、いいの。気にしないで」
あまりにも切実に謝ってくるので、サヤはぶんぶんと頭を降る。
「よかった…。私達、貴女と話してみたかったのよ」
嬉しそうに告げられたその言葉に、思わず声が漏れた。
「私と?」
「ええ」
「最初こそ変人なのかと思ってたけど、座学の授業での質問は全て的を射抜いてた。この世界の矛盾を誰よりも理解していると思ったんだ」
「そのうち貴女に興味が湧いたのよ」
輝いた瞳で見つめられ狼狽える。自分はそんなに大層なことはしていない。
けれど、自分を受け入れてくれる人がこの世界にもいるのだと思うと、じわじわと心が熱くなった。
「そんなこと言ってくれたの、あなた達が初めて…」
「俺達だってサヤみたいなヤツ初めてだよ」
「…あれ、どうして私の名前」
「え?そりゃあ、有名だから」
「そう言えば自己紹介がまだだったわね」
思い出したように言った女は、にっこりと笑ってサヤへと手を差し出してくる。
「私は、ノーラ!ノーラ・グリフィスよ。こっちは幼馴染みのエイデル・バイドラー」
「……バイ、ドラー?」
その姓に、サヤの目は大きく見開いた。バイドラー訓練兵。その名は確か、101期訓練兵団の暫定トップではなかったか。
(どうりで…)
サヤを苛める男達が追い掛けてこなかった訳だ。
「よろしく、サヤ。えっと、貴族の挨拶はキスなんだっけ?」
「えっ」
「ははっ、冗談!」
おどけたエイデルの頭に、再びノーラの肘が埋まった。
その花園の一輪になれますように