第1話 02 
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 頷いた。近くで浄香(じょうか)が、結局猫の姿に戻ったままぴくりと耳を動かしている。
「一応印籠に関係するような資料があったら、それも見てこようかと思って。あの時俺だけ火の中にいても平気だったの、変だろ。あと留華蘇陽が言ってた桜って、じいさんの印籠の桜の紋様じゃないのかと思って。それも東京で聞けたらなってさ」
「……へえ。なる。じゃあついて行くかな。なんかまた一騒動ありそうだし」
「そんな小説だの漫画だのの展開期待してどうするんだよ。じゃあ千理と翅お借りします」
「構わんぞい、夏休み楽しんできなさい。ひびっちゃんはどうするね?」
「当主……俺は翅が行くなら行きます。てなわけで隻さんよろしくお願いします」
「いいぞ。寝れる場所あったかな……」
 いいとは思う。自分と隼が床で寝ればなんとかなるとは思う。
 あとソファを使えば、いけるだろう。
 結李羽はまだ決め切れていないのか、また後で正造らに伝える事にしたようだ。
 ひとまず、今回の昼食が比較的穏やかに食べられたのはラッキーだった。


「――え、マジ!? ああ、それぐらいはする。ありがとな、母さん。それじゃ……げっ、忘れろって……はーい持って行くよ。じゃあまたな」
「どうだった?」
 部屋に遊びに来ていた響基に尋ねられ、隻は苦笑いした。
「じじいの家に泊まっていいってさ。布団とかは俺の家に引き上げてあったから、それ持って行けって。ガスも水も電気も通ってるままらしいし、条件は自炊と掃除って話だから、もう少し人数連れてきていいってさ」
「高待遇だなー」
 同じく遊びに来ていた翅が目を丸くしている。ただと、隻は苦い顔。
「隼も一緒に来る……じじいの仏壇参りと、仏壇周りの掃除は毎年あいつ担当だったから当然だけどな」
「うんとりあえず酒は用意しない方向で頑張るか」
「まだ引きずってるのかよ」
 永咲が引き起こしたという事件の後、隻の家族を念のためにしばらく預かっていた時。翅の師匠の一人である華淋から酒パーティーに誘われた隻と隼は見事酔って、翅達曰く散々な事になったとかどうとか。
 もうあれから二ヶ月経つのかと考えて、うっかり電話を忘れたにしては長すぎたかと今さら罪悪感が頭をよぎる。
 千理は自分の部屋で何やら引っ越し業者に頼んだりなんたりを、一人前にやっているようだ。結李羽が襖を叩いてきて、普通に部屋に入れる。困ったように笑う彼女は、「お盆の件なんだけど」と伝えてきた。
「あたしまだ阿苑の養子だし、先にご当主にお伺い立てなきゃいけなくって。もしかしたら阿苑のほうに戻るだけになっちゃうかも。お母さん達によろしくお伝えしてもらって言い?」
「そういえばそうだったな……分かった。お前も無理するなよ」
「阿苑……よし響基、行くか」
「おー……え?」
 急に提案され、響基だけでなく隻も固まる。阿苑当主のいつきと翅が悪友だという話は二ヶ月前聞きはしたが(ついでにいつきからは「リア充爆発」的な勢いで見られたが)、そんなにあっさり会いに行っていいのだろうか。
「行くなら、あたし明後日辺りにお伺いしようと思ってるんだけど――」
「あー、違うタイミングで行かないとまずいだろ。いつきはともかくなぁ」
 結李羽が苦笑いしている。「ここ、いいお家なのにね」と返し、隻も頷いた。
 千理の上の兄弟と、彼の父を惨殺された事件のあとから、ほかの家はレーデンに対し畏怖の目を向けていたのだ。その後の千理の心の歪み方といい、先々月の事件といい、自分達の子供を教育させたくないという思いがさらに募ったのだろう。元々家同士の交流が盛んな家や、地位や立場的にレーデンに守られ続けていた家、千理の事情に詳しい家以外は、ほとんど交流を障り程度にしかしてこなくなっているという噂が、隻の耳にも届いていた。
 もちろんその噂に対して否定的な態度をとっても、レーデンに対する風当たりはどうせ変わらない。それぐらいならと開き直って気にせず交流に努める正造と多生の気丈さと懐の広さは、今でも脱帽ものだ。それと同じぐらい、千理の事も知って阿苑とレーデンの仲を回復させようと奔走する(?)いつきには尊敬する。
「そういえば、当主何歳なんだ? 随分若かったけど」
「二十四」
「若っ!? えっ、歳近っ!」
「まあそう見えないよなぁ……」
「天兄と同い年っすよ。昔はよく咳き込みながら発熱しながら喧嘩してましたから、海兄や天兄と」
 犯人はお前らか。
 道理で阿苑側からいい顔をされないわけだ。当時当主候補で嫡子、かつ今も病弱ないつきに無理をさせていたなら、当然いい顔などされるはずもないだろう。
 普通に障子を開けて入ってきた千理だが、見事人数が多すぎて溢れ返りかけている部屋では縁側にしか座れない。エアコンの冷気を垂れ流すなと、いつ入ってきたのか浄香が文句を言っている。
『しかしまた東京か……面倒くさい』
「またついてくる気かよ、あんた……そういえばあんたも俺のじじい知ってるのか?」
 ぴくりと、浄香は耳を不機嫌に寝かせた。ふいと背ける顔は『知らんわ戯け』と、言葉と行動が一致していない。
 猫に戻っている浄香は、体を取り戻したという霊薬の効果が切れた後、再び霊薬を飲もうとしたら詰めていたボトルから一切消えていたと、先日嘆いていた結果だった。呪術展開に使う札の枚数を数える千理は、「いつ阿苑行きます?」と地雷を投下している。翅と響基が目を据わらせた。
「お前居残り」
「えーいいじゃないすか、いつき兄に久々に会ったって」
「お前が行く度にあそこの障子壊してるんだよいつきが」
 想像できた。二ヶ月前京都駅で千理を打ち上げた張本人なだけに。
「とりあえず明日にでも顔出すか。キャンプなくなったし」
「華淋さんには言わなくていいのか?」
「……明後日メールしとこーっと」
 そして忘れるフラグだと、隻も響基も生温かい顔になった。


「――久々だな……」
 思わず笑いが出てくる。虫の声も高らかな夜、寝付ける気がしない。
 楽しみと言うわけではないけれど、まともに母や隼と話せるだろうか。話せるとは信じたいけれど。
 こんな時間でも元気に修行に打ち込む千理と芳弘の少年(?)コンビが、この暑さの中でも逞しく思えた。ここまで聞こえてくる模擬試合の音の後、雷駆の嘶きが響いて息の揃ったかけ声は「ごめんなさい!!」。
 平穏とはまだまだほど遠いからこそ、翅の言うような一騒動は起こってほしくない。千理が天理を今回連れ出さないと言っていた事を考えても、まだ永咲の件や、天理の件にも整理がついていないはずだろうから。
 十年間独りで幽閉され、意志と体を切り離されていた天理は、感情がほとんどおぼつかないまま。二ヵ月経っても片言しか話せず、感情もずっと抱き続けていた後悔の念のほうが多く出ている。まだまだ笑って会話するにはほど遠い状態なのだから。
 ゆっくりしよう。それこそ、キャンプ代わりにどこか全員で遊びに行くのもいい。スカイツリーでも東京タワーでも、千理と翅が目を輝かせそうな原宿でも秋葉原でも。……そこまで行くならさすがに、響基も自分も遠慮しそうだけれど。
 こつこつと準備していこう。両親や隼への土産は……
 土産は……
 ……八橋……?
 ……餡は、何にしよう……。


 枝垂桜が、揺れていた。
 社の前、花弁を幾重にも風に乗せて散らしながら、その桜の木は雄々しく、儚げに色を魅せていく。
 社の前で茫然と立ち尽くす隻へと、誰かが歩いてきた。
 枝垂桜の向こう側、確かに立つ姿は――
 花弁が、煽られて散っていく。
 儚い色を地面に触れさせる前に、光と闇の糸が幻想的に花弁から解けていって、風に揺れながら木の中へと戻っていった。
 糸が、糸が
 見えるはずの人影を、幾重にも遠く感じさせていく。
「あんた――」
 人影が、笑んだ気がした。


 強くなりな

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