第10話「無月、散る」01 
[ 24/72 ]

 茫然と欠片達を目で追い、言葉を失う千理。闇色が廊下に散らばり、煌かないはずの色が月光をほんのわずかに跳ね返して、沈黙した。
「な……なづ、き……?」
「千理!」
 我を忘れたように欠片を見つめるだけの千理目がけ、影の腕が伸びていくではないか。草鞋(わらじ)を履いた着物の子供が走り、千理へと飛びついた。
 途端に、千理がびくりと震えて腰辺りを見やり、目を丸くしている。
「あ、あんさ――」
「千理避けろ!」
 影の腕目がけてバスケットボールを投げつける隻の合図に、千理は着物の子供を抱えて斜め後ろへと跳んだ。
 バスケットボールが影に触れた瞬間すり抜け、隻はぞっとする。
「嘘だろおい!」
「あ、悪霊退散――!」
 翅が勢いよく木刀を投げつけた。
 影に突き刺さった次の瞬間、影から闇色の糸が漏れ出て弾け飛んだ。
 子供を抱えたまま、千理は手の中に残された刀の柄を茫然と見下ろす。子供がそっとその手に手を重ねた事でやっと、うろたえつつも子供を下ろした。
 顔がやっと見えた隻は目を丸くする。
「あっ、お前――!」
 元情け童だった幼い女の子の、座敷童。千理の師匠が暗躍していたあの事件の後、結李羽が秋穗(あきほ)と名付けたその子は、名前のようなススキ色の髪を柔らかく揺らして、隻へと笑顔で駆けていく。
 驚きが抜けないまま頭を撫でようとして、触れた瞬間座敷童の秋穗はびくりと震えて千理の後ろへと逃げてしまった。ショックで固まる隻に、悟子が青い顔で符を指してくる。
「隻さん、それ……それがあるから、だと思います」
「あ……」
「みなさんご無事ですか!」
 上履きを履いた男の子がいた場所から聞こえてきた声に、悟子が表情を一変させた。生気が一気に甦った顔に、響基も隻も、千理も翅も目を丸くして男の子を見ている。秋穗が急いで男の子へと駆け、手を握って連れてきた。
「万理!?」
 姿を現した、兄よりも背の高い万理の姿にぽっかりと口が開く一同。いつきも驚いた顔で「どうした?」と声をかけている。万理が苦笑して頭を下げ、兄が茫然と持っている刀の柄を見て苦い顔になった。すぐにいつきへと向き直る。
「お久しぶりです、いつき兄さん。公式の場ではないので、いつもの挨拶でいいんですよね」
「ああ」
「ありがとうございます。その、阿苑家の当主代理の方からお許しを頂いた結李羽さんと、休暇をもらった未來さんと一緒に来たんです。兄の忘れ物を持ってこようと思って」
「へ……? 忘れ物ありましたっけ? わっ」
 ずいと無言で差し出された紙の束。いつきが生温かい顔になる。
「千理。お前まさか……自分が使う分の符、まっさらな分以外忘れてなかったか」
「え? ……あ」
 まさぐる。ポケットというポケットを、全部。
 今さらない事に気づいたのか、固まる千理はやはり、心ここにあらずといった様子で。
 万理が無言で無月の破片を拾い集め、千理へと渡した。
「兄さん、無月の設定≠ナ唯一決めていたのって、闇で固めた刀という所だけでしたよね。そのせいで夜のモンスターの中でも、ドッペルゲンガーなんかの存在には相性が悪いかもしれないって、昔自分で言っていたでしょう」
「そ、それは……そうなんすけど、でもさっきのは」
「正体がどうなのか分からないにせよ、自分で気づいてないんですか」
 溜息をつかれて困惑する千理に、隻も怪訝な顔になる。
「自分で考えた幻生生物には必ず、細かい設定や弱点をつけるのは必須じゃなかったのか?」
「そうですよ。けど無月は、兄が無意識に創り上げた幻生なんです。隻さんの立標(たひょう)と同じように、無意識に創られた幻生には自然な感情や、姿や性格に見合った設定が後からついてくるんですよ。早い話、後付け設定ですね」
 いつきが頷いている。無月ができた当初に詳しいのか、渋面を作っている。
「だからか」
「はい。無意識に作り出された幻生――特に武具系は、創造主の本来の性格や願望を現しやすい≠です。兄の無月は、僕ら兄弟の長男と父が殺され、二男が行方不明になって間もない頃に作り出されたもの。兄の、天理兄さんを見つけるまで死ねない≠ニいう無意識の張り詰めた思いを体現していたんでしょう」
 思い当たる節があるのか、千理は言葉に詰まっている。隻も納得してしまうと同時、言葉を探してしまった。
 砕けてしまった意味が、嫌というほどに分かった。
 闇でできたという言葉の響きまで、その裏の意味まで。
 無月は、千理が無意識に押し込めていた感情≠ニ、それを支える張り詰められた緊張の糸を創り出していたのだろう。
 けれど天理は帰ってきた。一番の緊張が解けたし、千理自身が抱えていた様々な感情のいくつかにも折がついた。もう千理が緊張に張り詰められる意味がなくなり、無月の形が壊れたのだろう。
 いつかどこかの漫画で読んだ覚えがある。
 武器は覚悟がなければ応えてくれないもの。意思が折れれば剣も折れる=Bそんな事を、確か――千理と隻が読んでいた、あの漫画で。
「――なあ、万理。それで未來達は?」
 途端に万理が苦い顔になった。どうしたのだろうと、いつの間にか千理に向いていた目を彼の弟に向け直す。
「喰われました。怪談に」
 ぞっとして、隻も翅も目を見開いた。
「ついさっきまで一緒にいたんです。想耀に隻さんの学校を教えてもらって、ここまで一緒に着たんですけど……二階に上がってうっかり姿見に映ってしまって。僕は秋穗と手を繋いでいたので無事だったんですけど、みなさんの絶叫を聞いて、結李羽さんと未來さんが走って――」
 沈黙が、どこからともなく聞こえる足音を、鮮明に響かせた。
 翅の拳が、床でぎりっと音を立てる。
「お二人とも、呪術に対する抵抗力は僕ら以上のはずですから、まだ鏡の中で抵抗できているとは思います。早く探し出せば命に別状なく助けられるかと」
「そっか……なら余計、これ以上はふざけてられないな」
 翅の静かな声に、響基も頷いている。別にふざけていたわけではないだろうし、翅自身まだ顔が青いままだ。それでもその青さをさらに白くさせるほど、根性を入れ替えさせられたようで。
 隻も震えていた手で無理やり拳を作り、力を抜いた。
「助け出す方法は誰か分かるか? ――千理」
「あっ、は、はい?」
 茫然としたままの千理に、さすがにいつきが困ったような顔になっている。
「お前がそれじゃ行動できないだろ」
「――そう、っすね。……すいません」
「謝るな馬鹿が。とにかく、刀が折れたなら隊列組み直すぞ」
 千理は一つ頷き、無月の柄を見て顔を歪める。
「ごめん……無月、あんがと。還れ」
 何も応えないまま、刀が消える。
 少しだけ虚しく手を下ろした千理は、すぐさま自分の頬を勢いよく叩いた。
「……符の効力長く保てないかな……うん、もう専門家呼びます」
「え、けどここいないだろ? 八占(やうら)達だって」
「なんであんな腐れた兄貴と顔合わせなきゃいけないんすかぜってー嫌」
 ……え、お前も切れてたの。
 愕然とする隻に、隼が苦笑いしている。
「ま、まあ……うん。ごめんなお前ら」
「隼さんが謝る話でもないっしょ、それこそ門違(かどちが)い」
 隼がぽかんとした。千理は真顔のまま、万理に自分が貼っていた符を渡して貼り付け(「うえっ、生温か!?」、「えっ、ひど!?」)、次の符を出すと新しい円陣を書き込む。
「――どうせ符の効果もすぐ薄れるでしょうし、未來ちゃんと結李羽さん探すならどっちにしろいてくれたほうが好都合」
「え、効果切れるの!?」
「符の陣はその場凌(しの)ぎなんすから当然でしょ。ってわけで呼びますけどびびんないでくださいよ」
 幻生生物にも専門家というのはあるのだろうか。目には目を、歯には歯をといった様子で符を手に、紙をピンと真っ直ぐに張る千理。
「来たれ。黒より逃れ、縁(ふち)を前に背きし者」
 千理の衣が、完全に真っ暗になって見えなくなった。
「その血ここに流れたり。その肉ここにあらずまま。その先潜(くぐ)るにあらず、戻るにあらず。汝が名をここに詠(よ)む」
 衣が広がる。
 広がり、足元に深く広く、闇を落とした。その衣の上に乗る何かが、姿を見せて笑う。
 少女から、血にまみれた少年まで。
 ぞっとする隻達の前、万理も困惑している。
「兄さん、それ……」
『馬鹿だよこいつは! 死霊なんぞがお前なんかに味方するか!』
「古き詠みより体とせよ」
『あなたは嫌い――』
 千理の首を絞めようと手を伸ばす少女の腕が、切り飛ばされて消えた。
 首を絞めようとした少女も闇の糸となって消え、隻は言葉を失う。
 千理が振り返ると同時、短髪の少年の霊が千理と似た目を鋭くさせて、手に刀を持つと鋭く一閃した。
 その型は、まるで。
 切り飛ばされ、怨みを吐きながら消えていく姿を見送り、少年が苛立たしげに『はっ』と鼻で笑った。
『相手にもなりゃしねえ。んで? 華淋姉、何つまらない用事で呼び出しやが――』
 千理へと振り返った少年が、ぎょっとして固まっている。
 むっと口を尖らせている千理をまじまじと凝視し、少年は茫然と、周囲を見渡して――
 唖然としている響基と、口をぽっかり開けているいつきと、なんとか平常心に戻った翅が「お久でーす」と手を上げたのを見て……
 千理に視線を戻し、指差した。
『は?』
「十年間ず―――――――――――――っと逃げてくださりやがってどーも、海兄(かいにい)」
 ……。

[*prev] [next#]
[表紙目次]
back to top
back to main
しおりを挟む
しおりを見る
Copyright (c) 2020 *そらふで書店。* all right reserved.

  
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -