第9話 03 
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 隼の腕が強張った。丁度真隣だった隻も苦い顔になる。
 千理がジャージのポケットに手を突っ込み、何も描いていない無地の短冊をいくつか取り出した。万年筆を出して、床と同じ紋様を計七枚、丹念に描いている。それぞれを全員に渡して、千理は自分の分の短冊を指で摘んで見せてくる。
「これ、各自素肌に貼り付けてくださいね。オレ達も弱体化しますけど、使わないよりはマシなんで。連中が寄り付けなくなる効果がある陣を直接貼って、しばらくは凌ぎますよ」
「えっ」
 悟子がぎょっとしている。翅が病的なまでに憔悴した顔で、「弱体化って?」と聞いてきた。千理は真顔で左腕を指している。
「簡単に言うとね、オレだったら腕消えちゃう」
 ……。
「で、体質的に幻生生物に近い人は、体に負荷がかかっちゃうんで気持ち悪くなったりとか、体が重くなったりはしますね。代表オレと悟子」
 …………。
「いや止めて!? お前が弱くなったら洒落にならないよ!?」
「ぼくは!?」
「悟子は安全になるんだったらいいそれでいい!! けど千理は戦いのほうが重要っ、俺達の命どこに預けるの!? ライフバンク!!」
「しゃあないでしょーよ。そうしないと鏡に取り込まれたり怪談に肩叩かれて『こんにちは』で顔だの首だの持ってかれちまいますよ。オレでも不意突かれたらアウトなんすから」
「ライフバンク――――――――――――!!」
 叫ぶ翅にですら突っ込む余力をなくしている響基。いつきが悟子の頭を撫でてやりつつ、溜息をついた。
「そういえば忘れてたな。悟子は体質的に」
「いや、その説明は後でいい。とりあえず後でいい想像つくから」
「……そうか」
 きっとその想像も間違えている自身はあるけれど、もうそれどころではない。とにかく今教えてもらったとしても、隻は右から左に情報という名の音を全部流してしまいそうだ。
 ひとまず首に押し当てた千理に倣い、符となった短冊を首筋に当ててみる隻。手をそっと放しても、まるでシールで貼り付けたかのように符は動かない。
 貼れたという事なのだろうか。隼達も恐る恐る腕なり首なりに貼り付け、早速悟子は顔が真っ青だ。
「気持ちわる……」
「うんほんとー。うえーう」
 千理の一本調子と来たら。もう円陣の外に出ても平気だと教えられ、やっと全員、床に腰を落ち着かせた。
 それでも辺りでは、ひたひたという不気味な音が響いてばかりだけれど。響基に至っては体操座りの状態で耳を押さえているけれど。泣いて。
「俺、なんで耳がいいんだろうね……」
「そう言ってもお前、その耳がなかったら余計死んでたろ。目がいいほうがよっぽど泣くだろうが」
「本当だよ。お前ら気づいてなかっただろ散々あいつら¢魔チてったの!!」
 隼が涙声で叫んでいる。響基が間も置かずに「うん!」と叫んで、隼はと言えばちくしょうと泣いている。
 霊能力者と幻術使いでも、見える世界は違うようだ。
「お前いつから気づいてた?」
「結界に入った途端に見えた、あと月明かりが消えた時とか! さっきのバチバチ、あいつらが俺達捕まえようって、結界に触れた瞬間になったんだよ!!」
 顔が引きつる隻と悟子。響基が震えて泣きながら「そいつら悔しがってる……俺達喰う気だよ……!」と怯えている。千理は弱ったようにいつきを見やり、彼は最早無表情だ。
「どうしましょっか……さすがに鏡の近くを今の時間通りたくないんすよね」
「生徒用の玄関から出れないのか?」
「どっちにしろ、門をくぐるんじゃ正面玄関のガラスに映っちまいますよ。門のところも怪談ありますし、塀をよじ登ろうとしても、多分今この敷地そのものが神隠しに近い効果があって出られなくなってると思うんすよね。土地の法則。その土地に入ったら絶対に従わなきゃいけないルールに、オレ達みんな今縛られてると思いますよ」
 ってか、自分達からその法則に乗り込んじまいましたし。怪談の内容沢山言って呼んじゃいましたし。
 千理の嫌な一言に、翅が響基の隣に蹲って同じように泣き始めた。
「専門家……なんで未來来なかったんだっけ……」
「盆の準備で忙しいから、だろ」
「華淋さんは……?」
「俺達がこっち来るって言ったら拗ねて、青慈(せいじ)引っ張って山に行ったんじゃなかったっけ……」
 隻と隼は知らない誰かが被害を被っていたようだ。南無。
 千理がぼそりと、「兄がいたらなぁ」と呟いている。対アンデッドの部隊に所属してはいても、まだ新米扱いされているという彼にもお手上げなほど厄介な現状になってしまったようだ。
「隼さん、多分今なら怪談の内容言っても問題ないと思うんで。何見えました?」
「……レイコさん……光ってたパソコン画面……でも消えてたんだろ?」
 全員が頷いた。隼が膝を抱えて盛大な溜息。
「あとは……さっき千理が言ってた女の子だろ。天井を足だけが歩いてただろ。てけてけさんっぽい赤い足跡があっただろ。給食室からはキラッて、何か光ってただろ多分あれ包丁。それからそこの正面玄関には生首がこっち見てた……!」
 全部目を合わせないようにしていたようだ。鏡のほうには目を向けていなかった隼に、千理が「偉いっすね」と心から褒めている始末。
「それだけ見えてて鏡のほう直視してたら、多分隼さん姿見じゃなくても引きずり込まれてましたよ。上半身だけ」
「もういいよ慰めてない……!」
 本当だ。慰めにもなっていない。序盤から「お迎えに上がりました」と言わんばかりの総出に、隻もついに蹲りたくなった。千理が苦い顔をして唸っている。
「夜明けまで踏ん張ります?」
「夜が明けたら大丈夫なんだよな?」
「それは保障しますよ。ただ、じっとできないでしょ。あと六時間強」
 時計を探す。見当たらない。
 職員室の方を向こうとして――隻だけでなく翅も響基もばっと視線を逸らした。
 時計ではなく、大きな山のような陰が見えたのだ。しかも視線を逸らした途端、職員室の扉がガタンと激しく揺れる。
 悲鳴を上げかけた翅と隻の口に勢いよく飴玉を突っ込んだ千理のおかげで、口の中の糖分に多少冷静になれはしたものの。千理の言う通り、こんな状況で六時間以上耐え抜けなどまず無理だ。頭がおかしくなる。
 ブツッ、スー……。
 放送のスイッチを入れたような音が響いて、全員が固まった。千理が「耳栓」と合図すれば全員装着。鮮やかなスピードで、千理だけは一人耳栓せずに音を確かめ、何事か呟いた。
 次の瞬間、辺りに満ちていた気配がびしりと変わった気がする。響基が身を竦めたのが分かった。口で何か呟いている。多分あれは……「呪言で締め落とす気!?」。
 ……え。
 音は、聞こえなかった。
 聞こえなかったけれど、代わりに窓ガラスの向こう側から、千理の虚像を狙っていた不定形な何かから人型の何かまで、一斉に蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。
 しばらくして、千理が青い顔で口元を押さえ、耳栓を取っていいと紙に描いて伝えてくれた。耳栓を取るなり、響基が背中をさすってやっている。
 ひたひた、ひた
 ひた、ひた、ひたパタ、パタタ、ひたひた……
 上の階で、足音が響いている。
「……なあ。武器出したほうがいいか?」
「まあ準備はしておくべきっすよね。無月――っぷ」
 吐きそうになった千理の右手に、闇色の刀が現れた。光を跳ね返さないというだけだけれど、逆に形が見えてしまう。
 翅も神木でできた木刀を想像して呼び出し、響基は役に立てないといじけている。いつきはいつでも符を出せるよう、着物の懐に手を入れて周囲を見渡した。
 隻はといえば――バスケットボールを出そうとして、止めた。先ほど言われた体育館のボールが頭を過ぎって、なんだか自分でも全自動で動かす事が怖くなってきたのだ。
 悟子は相変わらず顔が青く、千理でこれだけ符の効力に応えているのだからまず無理はできないだろう。符に描いた陣は製作者が込めた陣の意味によって、威力から必要な幻術のエネルギーから違うものだ。現に、生粋の人間側な隻は痛くも痒くもないぐらいに動きに支障がないし、いつきに至ってはいつもより顔色がよすぎる。病気の原因は幻生絡みだと確信してしまえるほどに。
 沈黙が走る。周囲に目をやり、泣きたくなる。
 カタカタと動く音が不気味で、千理が下駄箱に勢いよく手を突っ込んだのを思い出し、どこに出口があると叫びたくなった。
 代わりに女性の悲鳴が上がり、全員がびくりと勢いよく立ち上がる。響基だけは遅れ、目を丸く見開いた。
「え、な、え!?」
「さ――、ら――!」
「なになになに今の声何いいいいいっ!!」
「翅シャラップ!!」
 響基の滑らか過ぎる発音に、ぴたりと微動だにしなくなる翅。隻は廊下の端から端まで目をやり、目を見開く。
 ぱた、ぱたぱた
 ひたひた、ひた
 階段から……前方の階段から、音。
 正面玄関と校長室をさらに過ぎた向こう側、着物姿の子供の姿が見え、全員が固唾を飲んだ。
 市松……人形……!?
 いやだ、足が……草鞋(わらじ)を履いた足が、右往左往している。
 上履きを履いた男の子の足が、隣に立った。
 翅と響基が、思わず抱き締め合う。悟子は青い顔で悔しそうに顔を歪めた。
 いつきと千理がそれぞれ獲物を構え、視線を鋭くしている。千理に至っては札を剥がしてジャージに貼り付け、左腕を作っていた幻術を復活させた。
 草鞋を履いた足が、こちらへと――
 向いた
 ぴたりと止まる静寂は一寸だけ。闇の中から走ってくる足音に、先に動いたのは千理で。
 瞬時に駆け、横薙ぎに切り払おうとした次の瞬間、職員室の扉が勢いよく開いて千理目がけて何かが飛び出した。
 ぞっとする一同の前、千理は素早く標的を変えて切り伏せようとして――
 影の腕が、無月を掴んだ。
 ぐっと腕に力を込めた千理の目が、見開かれる。
 ピシッ
 ピキキッ、ピシッ
「なづ――!」
 パンッ
 闇色の刃が、割れた。

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