第7話 03 
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 目を丸くした。
 それはいつきも、響基も。そして悟子も。
 本当に頭を上げないまま、千理は続ける。
「オレのけじめです。他に意味なんてないんすよ。ただの我儘。師匠にも言われましたけど、ね。けど――最初にあんさんに無月を向けてから疑問だったんです。本当にあんさんは魔の母神って言われる人なのか。人じゃないけど――そういう存在にはオレには見えなかったんすよ。
 オレ、お袋とはそんなに会った事ないんすけど、それでも分かったんです。三年間――六年間、その前からずっと、ひび兄やいつき兄や、翅に隻さんに悟子に、万理に海兄に天兄に、おじさんにじーちゃんに、正造じーちゃんに……みんなのいる場所に戻ってきて、守られてたって今さら気づいて、すっごく遅くなっちまいましたけど――」
 やっと顔を上げる千理は、どんな言葉にも動じる気はないかのように、真っ直ぐ凛を見据えた。
「あんさんの行動は善とか悪とかじゃない。あんさんのは、母親だからやれた行動なんでしょ。オレのものさしじゃ、あんさんの行動をどっちかに定義しろなんて言われても、できなかったんです。そういう母親の愛情(もの)、よく分かりませんけど――あんさんはあの時守りたかったんでしょ。どんな結果だろうと経過だろうと、オレにとってはあんさんは、悪役じゃありません」
 作られたような笑みが、剥がれ落ちていた。
 凛は少しして、本当に、母のような笑みで千理を見下ろし――そっと頭を撫でている。
「――真っ直ぐに、育ったわね。その、愚直なまでの素直さには完敗よ……ふふっ、なんだかこの時代が好きになりそうね」
「ぐちょ……なんなんすかそれ! オレなりの考えそんな単直!? ひっでー!!」
 むかっ腹を立てて背筋を戻す千理に、翅といつきが背中を勢いよく叩いた。
 悶絶。悶絶しているその少年の後ろ、すっきりしたように凛と頭を撫でる権利を交代した翅は、千理の涙目を見て満面の笑顔。
「うんそっかー馬鹿だよなーお前」
「……翅嫌い……!」
「えーうっそー超傷つかなーい」
「白々しい」
 いつきと悟子、見事に被る。その千理の左腕へと手を当て、凛が眉をしかめている。
 ……どうして一挙動一挙動、全部綺麗なんだろう、この人。
「あなた、左腕を切り飛ばされた後、彼女に傷を塞いでもらったのよね?」
「そうですけど……あー。もしかしてもうそういう時期……?」
 一応背中の痛みは諦めたのか、顔を上げた千理はほんの少し苦い顔。凛が頷き、隻は困惑する。
「そういう時期って、何が?」
「……うんと……オレの傷、完全に塞がってるかは知らない≠すよ」
 しばし、一同が沈黙した。いつきは分かっていたように溜息をついている。
「だろうな。止術はただ傷口をごまかすだけのもの。実際それがはがれたら生傷は大抵そのままだ。かさぶた程度の役割で、ほとんどは自然治癒に任せてるものだからな」
「うんいつき兄の言う通り。だけどオレの場合、切り飛ばされた後病院にも行ってないんすよ。で、止術で傷を誤魔化されて、あと――霊薬で肉体年齢ほとんど止められてるでしょ」
「あ……」
 やっと分かり、顔が青くなった。
 つまり、その傷を塞いで、かつ体の年齢をほぼ止めた張本人が死んだ今、いつその術が消えて傷口が開いても不思議ではないという事なのだろう。
 しかも肉体年齢が止まっている――加齢が二分の一にまで遅れているだけとはいえ、傷口の治りは確実に遅い。そんな中千理が一切無茶をせずに過ごしていたなんてまずありえない。というか隻の前だけで散々生傷の絶えない行動しかしていない。
 傷なんて、治っているわけがないのだ。翅が千理に目を据わらせているほどに。
「だから俺言ったよなぁ」
「でも今回のはオレも予想外なんすけど。師匠、ずっと生きてるって考えしかなかったんすから。あと……年齢半分になってるなんて知らなかったんすもん」
 それは事実だろうけれど、無茶したお前が悪い。
 全員一致した顔で、頷きあう隻達。千理は不安そうに左手を見やり、凛へと目を向けた。
「後どのぐらいなら持ちます?」
「さあ。私は施術していないもの」
「ですよね……あざっす。まあ覚悟はできてますし、いざって時はなんとかしますよ――たんま! ちょい翅たんまっ、変な意味じゃないんすからね!? 生きるよちゃんと生きるよ!?」
 翅の笑顔の拳を必死で交わそうと、隻の真後ろまで逃げてくる千理。すかさず殴った隻に、翅が笑顔でサムズアップ。
 隻もサムズアップ。
 笑ってみていた凛は、「大丈夫そうね」と零して湯のみを手に茶を飲む。
「さて、それじゃあそろそろ帰りましょうか」
「つぅ……! ひどい……あ、いや待ってくださいよちょっと。助言一応聞こえてましたけど色々と待ってくださいってちょっと――うんさーせん、オレも魅了効かない性質なんでそんな目で見たって無駄ですから」
 というか、恋愛云々から疎かった千理なら効かなくて不思議ではないような。
 凛の残念そうな顔はともかく、千理はおもむろにジャージの中からコピー用紙を一枚取り出すと、それの上に幻術で円陣を書き出した。凛がほんの少しだけ眉を持ち上げている。
「この陣、それから隻さんのお祖父さんの相次郎さん。この繋がり、なんなんすか。師匠も隻さんのお祖父さんの事知ったような口ぶりでしたし、それ絡みでまた一騒動起こるんだったら早めに手打ちたいんすけど」
「……それは、私が語る範囲ではないわ」
「……どうしてもダメなのか?」
 思わず聞き返す隻に、凛はほんの少しだけ目を向けた。隼へも僅かに視線を向けて、首を振っている。
「私が語るべきはもう過ぎているもの。ただし一つ。黄魔が時(おうまがとき)には気をつけなさい。真実を知りたいのであれば、油断しないことよ」
 茶を飲み干し、凛はコトリと茶托に湯飲みを置き、「ご馳走様」と玄関へと出て行った。はっとして隻は慌てて立ち上がり、玄関を飛び出して凛を見つけ、目を丸くする。
「桐原さん!」
 黒が振り返った。すぐに駆け寄った隻は頭を下げ、苦い顔のまま家へと振り返って――すぐに凛へと視線を向ける。
 凛が驚いたような顔をしたが、先に言うだけ言ってしまおう。
「ありがとうございました。あと……じじいが俺にって遺したもの、もう俺には見えないんですけど……探しようがないんです。そこだけ教えてもらえませんか」
「……探しようがない? それは本当に?」
「はい。俺、もう一般人の見る世界≠カゃありませんから。じじいの――祖父の霊視能力は、本当は隼だけが遺伝してて、俺は全く見えた試しがなかったんです。三年前の事故まで」
「事故……そう、そうなのね」
 ぽかんとすると同時、はっとした。
 ずっと、視線が絡み合ったまま。
 段々と頭に血が上り始めて、隻はそろそろと視線を逸らそうとして――失礼に気がついて戻そうとして、どこに目をやっていいか分からなくなり、結局俯いた。
 忘れてた―――――――――!
 凛が少し笑い、その笑みも引っ込んだのは声で分かったけれど、本当に恥ずかしい。恥ずかしいを通り越して、初心と言われた言葉が延々と釘を深く打ち付けてくる。
「彼を知る者は、私や彼女だけではないわ。あなたの身近に、そしてきっといつか出会った縁(ゆかり)の中に、彼を知る者はいる。そしてあなたの身近な人を知る者も、あなたを知る者も、近くにいる」
 戸惑い、顔を上げる。
 凛は微笑むわけでもなく、無表情にこちらを見てきていた。
「思い出したいなら止めないわ。知りたいと思う事も止めはしない。けれど覚悟しなさい、それはあなたがあなたでなくなる時。あなたがあなたを忘れなければ、知ったその後も後悔せずに歩けるはずよ」
「――は、はい……」
「――覚悟はないのに、無謀なのね」
 ……なんだか、あの右武僧とかいう天狗に言われた言葉そのままを語られたような。
「いいわ。一度だけ、手を貸してあげる」
 黒い服の中に手を入れ、小さな小瓶を渡してくる。
 ビーズが数粒入るかどうかの、本当に小さな、その口に指を押し当てても入らないだろう、コルク栓で閉められた小瓶の中に、小さな碧色の石が一つ転がっているではないか。
「一時的に、私達が見えなくなるとは思うけれど、保障はしないわ。一瞬かもしれないし、永遠かもしれない。あなたは最近体に負荷をかけすぎている。覚悟して使いなさい」
「――ありがとうございます」
 小瓶を握り締め、頭を下げる。凛がまたおかしそうに笑い、「それじゃ、ごきげんよう」と去っていったのを見送って。
 家の塀に手を突いた隻は、全力で息を吐き出して挫折した。盛大に挫折した。
 顔が赤くならないようにするのすら、もう全身全霊だったのに。
「……俺甲斐性ねぇ……!」
 気づきたくない、自分の一面であった。

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