第7話 02
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「ごきげんよう」
「あ……ご……こ、こんにちは……何かご用ですか……」
なんでここまで戸惑ってんだよ俺!!
心の中で自分に激怒する反面、目の前の女性から目をそらすしかできない事が恥ずかしくてたまらない。冷や汗を通り越して顔が赤くなって、熱中症のレベルではない。見れない!!
「ふふ、結構初心(うぶ)なのね。はじめまして。桐原凛(きりはらりん)です。今日も翅はいらっしゃる?」
「え!? あ、はい翅なら――おい翅! お客さ――」
……
…………
……………………あれ?
え、ちょっと待って?
あいつに東京でお客で、まともにあいつが連絡してそれでえっと……え? 待って?
今日も? 今日もって、え?
ぎしぎしと首が軋みながら、家の奥に向けていた視界をゆっくりと、女性へと引き戻す。
妖艶なのに無邪気で、それなのに子供のそれとは違う美しさにまたも見惚れてしまいそうになるが、現実が足音となってやってくる音が、隻の先ほどの硬直を金槌で叩くように瓦解させていく。
「……はい。今日もいますよ……」
「そう。ありがとう」
「何ー隻さ――ぎゃあああああああああああああああああっ!?」
「てっめえ――――――――――――――――――――――!!」
ずどん。
バスケットボールが一個、隻の手から離れると同時に、スピードを保ったまま重量を大幅に増して翅の腹を抉り、吹っ飛ばした。壁に激突しても穴は開かないその様子に、隻は息を切らして肩を上下させて、翅を睨みつける。
「なんで言わなかったんだよ忘れてただろ!!」
「なんだ今のお……」
隼達が降りてきた。全力で肩を上下させている隻と、バスケットボールは消えていても壁にもたれて気絶している翅の二人を見れば、皆現状は分かるというものだ。
響基が顔を真っ青にさせ、悟子といつきは遠い顔。隼は生温かい顔で双子の弟を見てきた。
「お前すっごい理不尽な事しただろ?」
「るっせえ!!」
「あらあら、乱暴な子ね。勇者様、それからご一行。お久しぶりね」
隼が目を輝かせて「こんにちはお姉さま!!」と叫んだのを見てまたバスケットボールを飛ばした隻。さすがに隼は一緒にバスケをやってきていたから受け止める仕草をしようとして、咄嗟にボールが違う事に気づいたのか青い顔で避けた。いつきが呆れながら、翅が潰れているその壁際の紙を一枚、おもむろにはがして溜息をつく。
「くそっ、念のために張っておいた耐圧結界がえらいダメージ受けてる」
「心配そっち!?」
怒らせていた肩を震わせ、どっと音が出そうなほど溜息をついた悟子は、あまりにも冷めた目で桐原凛を名乗るエキドナを見やった。
その後、一応隻にも。
「いいですよね。お久しぶりです、どうぞ」
「鳥使いの坊やは相変わらず、ね。そんなに私が嫌い? 魅了が効かない子は、私から見て好きよ?」
「すみませんがお断りします。妖精側の人間として。それから鏡分家の人間として、慎みがない方は嫌いなので」
……。
魅了、やっぱりされてたんだ……俺……。
視線をそらして、隻はエキドナこと凛に目を合わさないまま、道を開けた。
「……どうぞ」
「ありがとう。ごめんなさいね」
「あ……まあいっか」
響基が苦笑いしているのを見上げ、疲れた顔をする隻。いつきもほとほと呆れた顔をしている。
「基本、大抵の妖の類は家の主が入っていいと了承しない限り入れないんだぞ。今この家の主代理はお前達双子だろ」
「――っ、知るかよそんな事!! くっそ腐れじじい地獄行ったらぶっ飛ばす!!」
「ぶっ飛ばされるの、どっちかって言うとおれらだと思うけどなぁ」
冷蔵庫から土産の一つのようかんを取り出す隼の苦笑いといったら。
腹立たしい事この上ないのに、あれだけ警戒していたエキドナに、一撃で魅了された事が頭の中で大きく鐘を鳴らしてきて泣きそうになる隻だった。
「面白そうだったから見てみたかったのよ。あなたを」
「面白がって俺に魅了使ったんですか。へー」
視線は絶対に合わせない。悟子を見て学んだ教訓を実践すれば、案の定、視界にさえ入らなければ割と耐えられた。上のほうでぎしぎしと千理がまだ動いているのは聞こえてくるも、降りてくる気がないのか、先ほどの騒動が聞こえなかったのか(そこまで鈍い奴とも思えないけれど)。やっと起き上がれるだけの体力を取り戻した翅は、怯えた様子で凛の近くに縮こまっていた。そんな彼にぴったりの表現はもう、このぐらいしか思いつかない。
虎の意を狩る狐。腰巾着。
隼が笑顔で茶を凛に勧め、一同に配っていく。隻ももらって心を落ち着けようと飲んで、噴いた。
「にっ、苦!!」
「あ、当たり? それ多分一番最後に淹れた奴な」
「何変な淹れ方してるんだよお前!! 適量を人数分、順番に注ぎ分けていかないと苦くて渋いのが最後に来るの当たり前だろ!! ロシアンルーレットかよ!!」
「隻さんなんでそういう主婦っぽい所詳しいんだろうなぁ……」
「お袋のせいだよ!!」
翅に叫べば、怯えるわけでもなく納得の顔で頷かれた。凛はおかしそうに笑っている。
「予想通り面白い子ね。少し見ないうちに、皆も雰囲気が変わってるから……あなたのおかげかしら?」
ぽかんとして凛へと目を向けて、また顔が赤くなってばっと逸らす羽目になった。悟子が呆れ果てた顔で隣に座って、手を握ってくれる。
「ぼく、体質的に魅了が効きませんから。これで隻さんも魅了されずに済みますよ」
「……悪い……」
「ぼくより結李羽さんに謝ったほうがいいんじゃないんですか」
……突っ伏(ぷ)。
すっと退けられた茶の存在も忘れ、見事に卓袱台に突っ伏す隻。生温かい空気が流れ、響基が気まずそうに「えーっと」と注意を逸らしてくれる。
逆に心が痛い。
「雰囲気変わったかな、俺達。そんなに変わってないと思ってたけど……」
「変わったわ。絶対。私と会った時より、少しだけね。……まあその話は今度じっくりするとして、お土産話でも聞かない?」
「土産話? え、何々? それってどういう感じですかおねえ」
「隼」
ドスの効いた低い声。すごすごと顔を引っ込める隼は、隻の真反対、凛の隣の翅の、さらに隣に座った。
こいつらっ。
「実は最近。この地域でね、愉快な、それでいて娯楽にもならない妙な怪談が広まってるの……既に気づいているかもしれないけど。負けた立場≠ニして助言しようと思って」
それは、翅達に対しての。
そしてこれは、自分達に対しての。
警告
「下手に首を突っ込むよりも、いつもより慎重に動きなさい。あの人がいなくなった今、秩序が乱れかけている。あなた達が大きく行動すれば。それは双方にとって、大きな痛手になりうるでしょう」
それは――
「やっぱりあんさんも師匠とは知り合いだったんすか」
はっとして階段の方を見上げて、絶句して冷蔵庫付近を見やった。
呆れたと言わんばかりに冷めた目で凛を見やる千理は、冷蔵庫に残しておいた彼の分のようかんを手に、こちらに溜息をついている。
いつの間に――あの階段も床も、あれだけ軋んだのに。
凛はほんの少しだけ、油断のない笑みを作った。
「あなたは相変わらず、可愛げがないわね」
「そりゃどーも。あんさんに気に入られたって面白くもなんともないし万々歳」
「……最近の身長の低い子はツンデレばかりね」
「身長低いのはオレのせいじゃないですー。ってか肉体年齢止まってたの、あんさん気づいてたんすね。くっそ三年前に教えやがれってーの」
チンピラ度、アップ。
苛立たしいとは違うけれど、三下口調がさらに強まった千理は隻の近くに腰かけた。声が聞こえていたというより、今しがた立ち聞きした感じの残る彼は、隻が大丈夫かと目を向けると肩を竦めて笑ってきた。
「いいんすよ。予想ついてましたから。オレも三年前、エキドナに会って突拍子もなく戦い挑んじまったんすよ、一回だけですけど」
「あの戦いは楽しかったわよ、さすが彼女のお気に入りね」
「その言われ方されるのはちょっと癪なんすけど。――師匠、あんさんにも話してたんすか。道理で食いつきよく戦いに応じてくれたわけっすね」
軽く笑って、その後千理は席を立つと凛の隣に立つ。そのまま睨む彼に、隻は腰を浮かせかけて――
千理が畳に膝を突き、そのまま土下座をしたのを見て、目を丸くした。
「すいませんでした。勝手に疑って濡れ衣着せて、ただの馬鹿共と同じ理由で傷つけて。申し訳ありませんでした」
「――謝罪する意味はないでしょう? 私はそういう存在であり、そういった者よ。傷つけられた覚えは微塵もないわ。あなたのその行為は悪役に頭を下げているのと同じよ。土下座なんていらない。止めなさい」
「上げる気はありません」
「千――」
「あんさんを悪か善か、そんなたった二極だけで判断するのはもうしたくないんすよ」
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