第7話「凛、現る」01 
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「――ノートの記憶、か……その時は何か書いてあったのは覚えてるんだろ?」
「だから書かれてないのが引っかかってるんだろ」
 響基に問われ、苦い顔で言い返す隻。千理は床に広げた方陣を睨みつけながら、話に耳を傾けているようで。悟子も複雑そうな顔で、隻からも隼からも視線を外していた。
 当然だろう。いくら認知症を持っていたとしても、血の繋がりの深い相手から名前も出されず、双子の片割れの名前だけで呼ばれていただけなんて。言い返すよりも恐怖が先に出た隻の勘やその気持ちが、悟子は経験があるかのように、顔を歪めていた。
 隼が懐かしそうに苦笑し、けれど首を振っている。
「……まあ、確かにおれのほうが沢山ここに上げてもらったけど……な。おれは逆に、ここに来る度に説教食らってたよ。さっきも言ったけど。『ほかの人には見えないものがいるって言うのは、言っちゃだめだ、じいちゃんと二人だけの約束だぞ』って。そればっかだよ。一日一回毎回繰り返しだぜ。ボケが来てる程度にしか感じなかったけど、なんかじいさんと一緒にいると安心したんだよ。ってか、この家にくれば鴉と話せたし……ここなら追いかけられたりしないからな」
 そうでしょうねと、千理が頷いている。
「ここ、相当強い結界張ってありますよ。こないだ見た土地神連中、あいつら全部路頭に迷ってた感じはありましたけど、全部平常運転でしたから。早い話疫病神とかあんまりにも厄介な方面に狂ったりしてない神しか入ってこれない土地になってるんすよ、ここだけ≠ヒ」
 よく分からないけれど、とりあえずふうんと流しておく。千理が脱力し、いつきが方陣を睨んだ。
「二人ともこの方陣については覚えがないのか?」
「あー……あったら多分、親父にでも聞いてたとは思うけど」
 隼が微妙そうな顔で頭を掻いている。隻も同感だと肩を竦めた。
「俺だったら一撃で、じじいと一切合財喋らなかったぞ」
「だよな」
 不気味な方陣だというのは、いくら知識がない隻でも分かるのだ。そんなものをいきなり見せられて、純粋無垢な(と当時の隻が呼べるのかはともかくとして)子供が怯えないはずがない。大学時代にほんの少し聞いた話だけれど、子供は不可思議なものに対しての好奇心は旺盛でも、自分の害になりそうなものは直感的に読み取れる事が多いのだ。ぬいぐるみや日本人形を見て泣く子供がいるのも、そういった影響があるとかどうとか。
 千理達も納得と言いたげに頷いてきて、隻と隼はもう一度考え始める。
「――あと……じじい、どっかその辺に桜の花をいっぱい入れてたの置いてなかったっけ……」
「桜の花? あったかそんなの」
 隼が目を丸くして聞いてきた。隻は戸惑いつつも頷き、「なんでお前が知らないんだよ」と苦い顔になる。
 数回だけ来た時は、こんな布あったようには思わなかった。むしろあったのはあの花弁だったり、ノートに書かれていた変なメモだったり。
 なんであるはずのものが――。
「……くっそ、本気でタイ姉来ないかな……なんで夏いつも東北か北海道なんすかねーあの人」
 千理がぐったりして呟いている。暑さにやられる事のない屋根裏部屋で、翅が「ヨシ子さんこういう時だけ必要なんだもんなぁ」と、言ってはならない一言をほざいている。
 ふと、いつきが布に描かれた方陣を見やって目を細めた。
「……隻。それと千理。この方陣の説明、誰からか受けたか?」
「そりゃあ受けましたよ。おじさんと正造じーちゃんから。確かどこかにエネルギーを送る役割と、もう一つ……集める役割?」
「じゃあ次だ。隻はこの方陣、覚えてる限り伏見稲荷で見たものと違いがあると思う場所はあるか?」
「……いや……あの時がむしゃらだったし覚えて――」
 軽く眺めて、はたと動きが止まった。
 円陣の禍々しさというか、不気味さは変わらない。特に伏見稲荷神社で見た円陣との違いは見当たらない。
 見当たらないのに――
「……同じ……だよな……? あれ? ……ちょっと待った……」
 同じだと思う。だと思うのに、なんだろう。引っかかるというのとはまた違うし、違和感でもない。ただなんとなく、同じなのに……。
 暫く沈黙していると、隼が戸惑うように部屋を見渡している。
「……じいさん、いったい何を遺して逝きやがったよ……」
「隼さんはこの布、覚えあるんすか?」
「ああ。むしろ桜の花だとか、ノートの走り書きだとか、そっちのほうが覚えがない」
 耳を疑う隻。いつきはだろうなとばかりに頷いている。響基も納得したような顔をした。
「隻さ――えっとごめん、隻、念のため聞くけど、小さい頃はなんにも視えてなかった≠だよね?」
「見えてたら隼と同じように言われてただろ。『なんとかの秘密云々』――あっ!」
 目を丸くした瞬間、隼もいつきも遠い顔になった。
「うん、まあ……隻が見えない範囲はそれで納得行くんだけどな。ただ、おれは見えないのに隻には見えるって」
「そういうのもあるんすよ。一方だけって見たら、釣り餌(え)に引っかかっちまいますよ」
 隼が目を丸くして千理を見下ろした。真剣な顔で布の方陣を睨みつけていた千理は、するすると布を巻いて片付け始めている。
「特定のものしか見えない目を持ってるのが霊視能力者だけって言うのは先入観なんですよ。霊視能力者のほとんどは、生きてる人と生きてない人の区別がつかない経験あるでしょ。けど、一般人は生きてる人だけが見えてる=B確信できるものが違うんすよ。
 一般人は自分の目に見えてるものが生きてるものだけが動いてて、理屈は分からなくてもこの世とあの世の境界線に立ってるような連中は見えないって知ってるんです。けど霊視能力者はその境界線の連中も見えるから、この世の連中だけを数えるのは難しい。まあ言葉の文(あや)っぽい話なんすけど、見えてる世界が違うって事は、片方だけにしか見えない世界だってあるんです。一般人にしか見えないものがあったっておかしくないんすよ。そういう意味ではオレら能力者側はかなり厄介なんすけどね」
 長い。長いけれど、頭半分で納得はできた。
 千理は弱ったように翅を見やり、ふっと諦めたようなため息をついて、それを見て苛立った翅に殴られている。文句が飛ぶより先に、響基と悟子からも遠い顔をされ、翅が本気でしょげたではないか。そしてその後、ふと気づいたようにいつきを見上げている。
「なんで俺こんな顔されなきゃいけないの?」
「てめえ分かってから嘆け。お前習ってないんだろうが、拒絶≠フ仕方」
「拒絶?」
 翅と声が被り、隻は驚いて彼を見下ろした。翅も訳が分からなさそうに見上げてきて、隼に至っては外野ポジションだと上の空で嘆いている。
 悟子が隼にすみませんと謝った後、隻と翅に向き直ってきた。
「元一般人の二人はあまり知りませんよね。僕ら幻術使いの中でも、きちんと血を継いでいるはずなのに、力が発揮されない人がたまにいるんです。そういう人達からヒントを得て、幻生生物を見ないで住む世界を意識的に作り出す、拒絶≠ニいう技法があるんです」
「それ使えば、一時的にでも一般人とある程度近い世界の見え方するんすよ。けどこれ、一般人の出の人ならともかく、オレらみたいに家そのものの規模がでかくて、生まれつき術師としての修行三昧だった連中じゃあ習得が難しくって。だから翅が覚えてないっていうのものすっごく不利なんすよね、今現在」
 「俺特!」と目を輝かせて叫んでいた翅を見事袈裟切りに叩き落した千理。隻も苦い顔になり、頷いた。
「要するに、中二病の塊じゃない奴に有利な技ってわけだ」
「うんそうなる。技って言ってる辺り、隻も随分と中二だって思うけど」
「殴るぞ響基」
「ごめんなさい!!」
 片手にボール、片手に拳でどちらか選べの状態を作れば、見事にびしっと背を伸ばして謝られた。瞬時にバスケットボールを消す隻に、千理が残念そうな目をしてくる。
「ある意味この中では、一般人の時間が長い隻さんのほうが習得しやすそうなんすけど……隼さんは生まれつき霊視があるんでしょ? 翅は想像力豊かすぎて、昔の世界の見方しようとしても無理だろうし」
 想像力がない事が逆にいいと言われるなんて思ってもみなかったが、それにしたっていい思いはできない。玄関のインターホンを押され、仕方なしに下りる隻。ノートの文字といい、桜の花といい、本当に厄介だ。
 どうやったら見れるのだろう。ついでにどうやって――
「まだ学校の怪談の件も終わってねえのに……はい、どちら様ですか――」
 白と、黒。
 玄関を開けて目に飛び込んできたのは、たったその二つだけで構成された曲線美の彫像だった。
 この夏の中に映える陶器のような白と、漆黒なはずなのに豊かに波打ち、輝きを落とす、黒いはずなのに透明な水を連想させる艶やかな髪。目の中に見えるその吸い込まれるような輝きは、ただモノトーンのはずの女性の姿を、さらに鮮やかに引き立たせている。
 思わず目を奪われ、はっとすると同時に顔が火照ってしどろもどろになる隻に、女性はふと母のような優しい笑みを見せてきた。

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