第5話「響基、嘆く」01 
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「じゃあ行ってくる」
「いってらー。よしいつき遊ぶか花札で」
「どこで見つけた!」
 ……行こう。振り返るまい。
 一緒についてきてくれる事になった響基が遠い顔で笑っている。昨日の寝不足のせいか、見事に欠伸を連発している姿には隻も苦笑いが精一杯だ。
「まさか枕投げ、本当にやるとは思わなかったな」
「うんごめん。俺もまさか翅があそこまでコントロール悪くするなんて思わなかった。多分あれわざと」
「だろうな。千理の時まではだろ?」
「さすがだなあ隻さん……うんだめだ眠すぎて三半規管が」
「またそれかよお前……それで自転車扱げるか?」
 元々祖父の家にあった自転車を引っ張り出し、それに跨った隻は、響基を見て苦い顔。ふらふらしていて危なっかしい上に、隼の自転車に跨ろうとして耳を押さえる響基は、どうにも乗り方がぎこちないような。
「い、いやその前に……俺自転車久し振りすぎて、ね?」
「ね? ってお前……自転車乗った事ないとか言うなよ」
「いやあるよ!? あるけど……目隠しして音の修行してた期間が長くて、覚えてない……」
 ……ああ。
 てっきり車でばかり移動して自転車に乗った事がないのかとばかり……。
「……そっか。じゃあ後ろ乗れ。そっちの自転車の方で行くか」
「……あ……あー、うん……二人乗り……」
「見つからなかったら怒られないだろ。車親父が持ってってるし」
 ぼそりと呟きつつ、響基に一度隼の自転車から退いてもらい、隻がサドルに乗って、響基は後ろに。マウンテンバイクでも荷台付きであった事が幸運だったが、響基は深い溜息だ。
「男と、かぁ」
「残念だよなー俺も悲しいよ。落とすぞ」
「ごめんなさい!」
 さっさと扱ぎ出した。
 翅が笑いこけている声が、響基曰く聞こえていたそうで、響基はずんと落ち込んで隻の肩にしがみついていた。
 隻、思う。
 どう転んでも響基と女の子で二人乗りをしても、響基が格好良く前に乗る事はないどころか、男気の強い女の子が元気よくペダルを踏んでいそうだと。


「耳がぁぁぁ……キンって、痛い……!」
「……帰りは歩いて帰るか? 五十分は確実にかかるけど」
「い、いや頑張る……いってぇ……!」
 市立、原崎(はらさき)中学校。
 門を潜って懐かしさに顔が綻ぶ隻とは対象的に、耳を押さえて中に入る響基。早速響く部活動生のかけ声が木霊し、右手に校庭が、左手に見える校舎が、隻にとってはとても懐かしい。そのままだ。
 強いて言うなら、教室側の窓の前に大きなV字型の耐震補強工事がされている程度で、見た感じ特に変わった様子はない。
「ファイトー」
「ファイトー」
 女子テニス部の大きな声が、よく響いた。
 野球部もバッティングと球拾いの練習で、随分と頑張っているようだ。今年は区大会がまだ始まっていないのか、それとも勝ち進んだのか。練習に熱が入っているように見える。木陰で休憩を取る男子テニス部や、公園での練習が終わって戻ってきたのだろうサッカー部が汗を拭いている。
 不思議そうに見る響基に、隻はぽかんとして笑った。
「そっか、お前も中学校そんなにいけなかったんだよな」
「うんまあ……行けたのはどのぐらいだったかなあ……」
「そっか。やっぱり雰囲気違うか?」
「……多分違う。翅が言った通りだな」
 翅も同じ東京の出だから、学校の雰囲気も似ているのだろうか。
 翅の出身中学も聞いておけば、こっそり響基を連れて行けただろうにと心の中で舌打ちする隻。自転車を駐輪場に停め、校舎の玄関口から中に入った。スリッパに履き替えて、事務室前の来訪者で名前を書いておく。
 響基に関して名前をどう書くか悩んだが――連名という事で自分の名前だけ書いておこう。来校者の札さえもらっておけばいいだけだ。
 響基にも札を渡し、職員室に向かって歩いていくそば。後ろから「沙谷見!?」と声をかけられ、驚いて振り返った。
 見つけたその姿は白髪の初老近い男性だ。隻は目を丸くし、姿勢を正して頭を下げる。
「お久しぶりです先生! まだここでコーチしてくれてたんですね」
「おお、元気そうだな! ……ん? もしかしてお前、隻の方か! こりゃあ見違えたな、あれだけ荒れ坊主だったのに」
 言われ、ぎこちなく笑う。「兄貴は元気か」と笑って問われ、頷いた。
「今祖父の家に帰省してます。俺と、俺の友人――あ、こいつと他にもいるんですけど、みんなで泊まってるんですよ」
「こんにちは」
「こんにちは。そうか。お前達がなぁ。昔じゃあ考えられなかったな。そういえばいくつになった?」
「二十三です」
「にっ……道理でオレもじじいになったわけだよ」
「コーチ……」
 思わず苦笑いが出てきた。安心したように笑う男性は、「進路は就職になったのか?」と尋ねてきて頷いた。
「はい、今京都に行ってます。知り合いの家業手伝ってて」
「ああ、お前体力だけはあるもんなぁ」
 響基が吹き出し、思わず肘で突いて黙らせた。先生が大きな声で笑う。
「ははっ、まあ冗談だ冗談。心配してたけど元気そうでよかったよ。で? 今日はオレに会いに来たわけじゃあなさそうだな。淋しいだろうが、え?」
「いや、伊原から聞いてたらコーチにも挨拶にって思ってましたよ。糸先――糸川先生、帰ってきてるんでしょ?」
「ああ、伊原か。この間来たからな。糸川先生なら職員室だろ。顔見せてやれ、きっと喜ぶ」
「はい。ありがとうございます。それじゃ失礼します――あ、コーチ!」
 立ち去ろうとする恩師の一人に、思わず呼び止める隻。振り返ってきた男性ににっと笑った。
「バスケ、高校でちゃんと全国行きましたよ。今度成人式の写真持ってきます」
「さすが! 楽しみに待ってるぜ」
「はい。ありがとうございました」
 手をひらひらと、笑顔のまま去っていく男性を見送り。響基を見やると、微笑ましそうに見てくる。
「うん、いいなぁ。先生と生徒って」
「……昔は最悪な場所って思ってたけどな」
 響基にまた微笑ましそうに笑われた。吹奏楽の練習の音に耳を傾ける響基は、音がほんの少し狂ったらしい楽器の名前を呟いて指をぴくりと曲げている。
 ……叫ぶな。抑えてやれ、中学生なんだから。
 音はまだ悪いけどとか、才能ありそうな音がとか、それこそ隣で呪文のように小さく呟く響基から少しずつ距離をとれば、気づいたのだろう響基がショックを受けたような顔。職員室に顔を出すと、響基が項垂れて隣の壁に頭をつけている。
「失礼します、卒業生の者です。糸川先生はいらっしゃいますか?」
「あ、少し待ってね――糸川先生!」
 女性の教師が呼びかけてくれた。思わず覗き込む隻の左奥、棚に隠れて見えない場所から驚いたように椅子を揺らす音が響く。
「ぁっ、はい!? なんです!?」
「先生……卒業生の生徒さん、来てらっしゃいますよ!」
「あー、はいはい。ありがとうございま――」
 ひょいひょいとやってくるやつれた男性教員が、隻を目にした途端固まっている。
 隻も思わず目を丸くし、その後笑顔で頭を下げた。
「お久しぶりです。在学中はお世話になりました」
「隻! よく来たなあ、元気か!」
 やつれた顔で顔を綻ばせる男性教員は、隻が覚えている年齢よりも明らかに増えすぎの白髪頭で走ってくる。くたくたの服は毎度の如くクリーニングにもアイロンにもかかっていなさそうな、ダメな独身男性を体現したままだ。隻は笑いながら頷き、「後輩が教えてくれたんで来ました」と返す。響基がそそくさと移動しにかかろうとしたのを捕まえ、糸川がやって来て驚いて響基を見ている。

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