第18話「自分の言葉」01
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「――Ah, sorry. やっぱり俺は、こういうのは性に合わないようだ」
 アメリカ人の青年は失笑し、喫茶店『トマトごった煮』がもうすぐ見えてくる曲がり角で首を振った。彩歌は不安そうに振り返る。弘輝の目が鋭くなった。
「……やっぱり、戦うんですか?」
「Ladyは優しいな。残念だが俺はそれを望むよ。やっと手にした力だぜ。君もそうだろ?」
「きさんと一緒にすんな」
 きっぱりと言い放つ弘輝。青年は蒼い瞳を見開いている。
「オレはどんだけ戦いたいっち思いがあっても、戦う気はなか。この力が人の役に立てるようになるまで抑える方法ば探す」
「……お、おいおい……正気じゃないぜ。本能が告げるだろ? 戦いは俺達の」
「そげんもんで自分ば見失う気はなか」
 彩歌の手を握る手に、少しだけ力が入った。雷の司子の男の子が、怯えた様子で弘輝を、アメリカ青年を見上げている。その男の子の頭も、そっと撫でてやった。
「やけん、オレが切れんうちに行きい。こいつがまた怯えて力制御できんかったら、辛いのこいつっちゃけん」
 青年が閉口し、彩歌と男の子にひらひらと手を振って去っていった。男の子が、彩歌が不安そうに弘輝を見やると、彼は困り顔で笑ってくる。
「――なんであいつ分からんっちゃろうなあ」
「……えっと……よかった、の?」
「よか。どげん言うたっちゃ聞かんやろ。で、お前名前は?」
「……え?」
 一言だけ。男の子が怯えたように彩歌の後ろに隠れる中、弘輝は少しだけ複雑になる。
「……そげんオレ怖いか」
「……」
 無言という、肯定。
 彩歌が男の子の頭を撫でながら苦笑する。
「弘輝さん、目が吊り上ってるもんね」
「生まれつきばそげん言われたっちゃ直せんぞ。今から垂れ目とかおかしかろうもん」
 きょとんとする彩歌。次の瞬間小さく噴き出して笑う彼女に、弘輝の目が据わった。
「あはははっ、あはっ、あはははははっ! 垂れ目の弘輝さん想像できないーっ!」
「悪かったな悪人面で」
「ぜっ、全然悪人じゃないよ、むしろ弘輝さんかっこいいもん! でもあくっ、たれっ、あははははははははっ!」
 顔が火照ったのも一瞬の話。目が本当に据わっていく青年が彩歌の頬をつまんで引っ張っても、彩歌の笑いが治まらない。
「笑うなっち言わんと分からんか!」
「ご、ごめんなさい無理ーっ! あはははははははっ!」
「……はは」
 小さくこぼれた声。彩歌と弘輝が目を丸くすると、男の子が緩んだ口元をすぐさま手で覆って隠してしまった。彩歌の目が輝く。
「今、笑ったよね?」
「――っ!」
 顔が青ざめていく男の子。彩歌が飛びついたと同時、目を白黒させている。
「あはははっ、よかったあ、弘輝さん面白かったって! よかった、笑えたね!」
「……複雑っちゃけど。なあ」
 それでも、男の子が遠慮がちに笑みをこぼしたのを見て、弘輝もつられて笑ってしまっていた。
 笑いながら到着すれば、喫茶店の入口が、すっと開けられる。店主の呆れたような顔を見て、弘輝は今さらながらにはっとした。彩歌がぱっと笑顔になる。
「おじちゃんこんばんは!」
「こんばんは。どこまで行ってたのかと思ったら、あやちゃんの所かい?」
「す、すまん……色々あったっちゃん。やけん……その、今日の皿洗い残っとう?」
「もう終わってるさ。いいから早く入れ――お!?」
 驚いた声に身を竦める男の子に、彩歌が慌てて振り返った。すぐに城条を見上げ、「あ、あのね」と口を動かして――弘輝が彩歌の頭を撫でて落ち着かせてきた。
「さっき道端で会ったっちゃん。でな、ちょっと落ち着いたっぽいけん、連れてきた」
「連れてって、そんな犬猫を拾うような事はだな……」
「ほっとけんやん。こいつも怖かったとに」
 苦笑する弘輝を、驚いて見上げる彩歌と、見下ろす城条。
 男の子は彩歌の後ろに隠れたまま、恐る恐る弘輝を見上げている。そんな彼に優しく手を伸ばして頭を撫でてやる弘輝は、複雑そうに笑った。
「オレも怖くて逃げてきたとに、人の事は言われんやん」
 城条が閉口し、しばらくして溜息を溢したではないか。
「さすがにな……おっちゃんも限界があるんだが」
「じゃあ相談してもよか? オレ一度福岡ば帰ろうっち思っとうと」
 今度こそ、城条の口があんぐりと開いてしまった。弘輝が困った顔で笑っている。
「その間だけでよかけん、こいつ置いとっちゃらんかいな」
「い、いやだがな、旅費は? お前さん本当に考えて言ってるのかい?」
「まだお年玉が残っとう。それにすぐ戻ってくるけん。無理やろか」
 その無理はきっと、自分の事ではなく、彩歌にしがみつく男の子の事だろう。彩歌は男の子の頭を撫でながら、城条を見上げた。
 城条は途方に暮れた顔で言葉を探しているようで。
「――悪いが、それは筋も計画性も何もないとしか、おっちゃんは取れんな」
「……やっぱだめか」
「ああ。どれをとっても頷けんよ。気持ちは分からなくはないんだが……な」
「Excuse me. I take you idea, so very easy. Can you listen now? (ねえ、とても簡単な方法を持ってきたよ。聞いてくれる?)」
 トルストが城条の脇をすり抜けて手を振ってきた。あやかも手を振り返して笑うも、彼女にしがみつく男の子は固まっている。
 途端に上空で雷が鳴り、トルストは渋面。
「Hey, you? Can’t saving your power, is it now? You and we are an inconvenience that public people looking. Cannot you understanding? (ねえ、君。力抑える事できないの? 君も僕らも、公に見られたら困るだろ。それも分からないの?)」
 男の子の顔が引きつり、彩歌の服をぎゅっと握りしめている。弘輝がトルストをたしなめる目で見下ろしているではないか。
「おいルト、そげん言うな」
「Boo boo(ぶーぶー)」
「トー坊。頼むからおっちゃんにも分かるように喋っちゃくれんか?」
「Oh, sorry. You are can’t…Sorry. きちんと、日本語、話します」
 ついに城条がしょげたのがとどめになったのだろう。哀れんだ目で中年男性を見上げるトルストが気を遣えば、城条は落ち込んでいる。
「すまんな。英語はさっぱりだ。日本から出る気がなかったもんでなあ」
「日本人の、English、とても、とても下手です。皆一緒です。気にしない、です」
 弘輝の微妙そうな顔が見えていないのだろうか。彩歌は困った顔で笑う。
「えっと……ルト君、どうしたの?」
「なんかいい案があるっち言いよったとは分かったっちゃけど……」
「Yes. ――とっても簡単、です。コウキ達、一緒に、彼連れて行く、です」
「トー坊、それは――」
「But, Master? コウキのお願い、これが一番近道、です。Master、彼、匿えません。なら、コウキのお願い、そうしないと、叶えられません。違う、ですか?」
 ついに城条が閉口した。唸る口元を怯えながら見上げる男の子を、ついに弱った顔で撫でている。電撃が走っても、城条はまったく気にした様子がない。
「……お前さん達には敵わんよ。分かった」
 弘輝が目を見開く。彩歌の顔が晴れる。
 ただしと、城条は二人に厳しい目を向けた。
「まずはうちで預かってからだ。こー坊、福岡への出発は三週間後でいいな」
「え!? よ、よかばってん……なんで?」
「このまんま飛行機でも新幹線でも、乗らせるとパニックになるだろう」
 苦笑いする城条の言葉に、彩歌が弱った顔で笑った。
「ここでまず荒療治してからな。おじちゃんもそのぐらいまでなら面倒を見れる。まあ荒療治というからには、ビシバシしごくぞー」
「お、おう……ありがと、おっちゃん。よかったな――」
 男の子が目を丸くして固まっている。城条を見上げて放心している。弘輝がぽかんとして目の前で手を振ると、はっとした顔で弘輝に引きつった目を向けているではないか。
「ど、どげんしたん? あ、そうやん。お前名前ば教えちゃらんね。名前なんていうと?」
 小さく俯く男の子。恐々開かれた口からはかすれたような音しか漏れず、弘輝が耳を近づけて聞き取ろうとすれば、彼はびくりと怯えていて。
 彩歌が肩に手を置き、大丈夫と笑って、やっと口を大きく開いた。
「……レ、ル、ム」
「レルムか……ん? って事は外人か。名前かっこいいやん」
 目を瞬かせる男の子に、トルストが不機嫌顔だ。
「僕、名前、かっこいい、言ってもらった事ない、です」
「お前はいたずらばっかりやん、褒めるとこなか」
「僕の名前、意味、いたずら、違います!」
「あははっ、いたずら直ったら褒めてくれるんだって」
「Boo……」
 頬を膨らませるトルストに、レルムが怯えている。テュシアが溜息をついた。
「最初の課題は、これかしらね」
「だなあ……ほーらトー坊、威嚇するなー」
「してない、です!」
 頬を膨らませてそっぽを向く姿に、彩歌も弘輝も笑っていた。


 その三週間が過ぎた。
 レルムは城条から平常心を保てるようつきっきりで指導が入り、なんとか昼間、店に客がいても声をかけられても、雷が出る事はなくなった。知らない人に触られて怯える事はあるが、客が感電する事もない。頭を撫でられて硬直し、城条や弘輝の後ろに隠れては客達からもかわいいと笑ってもらえるようになっていた。
 その様子を毎日登下校の際立ち寄っていた彩歌は、若干寝不足気味な目を擦りつつも笑顔で喜んでいて。トルストが心配そうに彩歌を見上げてきた。
「アヤカ、寝不足、です」
「あ、大丈夫だよ。日曜日にたっぷり寝たもん」
「But……今日木曜日、です」
 レルムが彩歌の傍に駆け寄り、手を遠慮がちに握ってきた。笑顔で頭を撫でる彩歌に、トルストがむっとして背中にしがみついてくる。
 レルムが困惑し、彩歌も困り顔で笑う。
「ルト君甘えんぼだね」
「アヤカ取られる、嫌です! コウキも取る、これ以上取られる、嫌です!」
「は? 取るっち、なんが?」
 洗剤の泡が残るフライパンを手に尋ねる弘輝に、トルストが無言で首を振った。怪訝な顔で食器洗いに戻る彼を見ながら、頭を静かに擦るトルストに、彩歌は苦笑いだ。
「怒られたんだね、また」
「痛い、かった、です……ちょっとからかった、だけです」
 ちょっとで、フライパンを使って殴られる事はないと思うのに。レルムがテュシアのほうを恐る恐る盗み見ていた。
 コーヒーのいい香りがする。淹れ立てのレギュラーの湯気は彩歌の前に差し出され、彩歌は笑顔でテュシアに礼を言った。隣では、レルムとトルストに紅茶が二つ。
 レルムがテュシアにおずおずと笑顔を向けたのを見て、彩歌は顔が綻んだ。テュシアは一度手を止めるも、視線を彷徨わせて調理場に戻ってしまったけれど。
 レルムの不安そうな顔を撫でてなだめつつ、彩歌はふと、弘輝に目をやる。
 弘輝も今まで以上に接客をやっているし、厨房の手伝いもしている。
 自分がここで根を上げてしまったら、城条が福岡行きをダメだと言ったら。その瞬間、弘輝の頑張りまで消えてしまう。それだけは嫌なのだ。
 人の波も随分と過ぎた夕方の店内は、いつもの光景だった。うわさ好きの主婦達も帰り、勉強をしに来た大学生もいなくなった。閑散とした店内を見渡して、彩歌は改めて、汗を拭う弘輝や城条に感嘆の声を上げる。
「お客さん随分と増えてたんだねぇ……」
「はは、この一ヵ月、二ヶ月でかなりな。こー坊達がよく働いてくれてるおかげだよ。おっちゃん接客できんからなあ」
「さっきの大学の兄ちゃんも言っとったばい、『マスター怖くて最初近寄れんかった』っち」
「……おっちゃんそんなに怖い顔かあ?」
 レルムがくすくすと笑う隣、トルストは堂々と笑い転げている。彩歌も笑ってしまう中、広げていた勉強道具を片付ける彼女の目の前には、小さなピザが置かれる。城条へと目を輝かせて礼を言えば、おかしそうに笑う男性が頷いてくれた。
「また火傷するなよ」
「あはは、はーいっ。ルト君、レルム君も一緒に食べよう?」
「Yes! Thanks, Ayaka」
「……い、ただき、ます……」


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