第18話 02
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 ぽそぽそと、手を合わせながら声を出すレルム。マルゲリータのおいしさに目を細めて食べる二人の男の子に、彩歌も笑みが零れる。自分もと食べれば、頬が落ちそうな美味しさだ。
「おいしいいいいいいっ……この間とチーズ違う?」
「おっ、よく気付いたな。チェダーでずっと代用してたんだが、モッツァレラチーズもいいって話を、嬢ちゃんから聞いてな」
「ピザの本場では、チェダーやゴーダよりモッツァレラが主流よ。日本人のピザは、日本人の舌に合うようにチーズの種類を変えているようだから、チェダーやゴーダでもいいとは思うけれど」
「へええ、モッツァレラってサラダにつけるとおいしいのだよね? 作り方が違うの?」
「モッツァレラは水牛由来のミルクから作られるわ。チーズは牛乳だけでなくて、羊や山羊の乳からも作られるのよ」
 目を丸くする彩歌。城条が笑って頷いた。
「まあ、日本のチーズはそこまで幅広いわけじゃあないな。大体が輸入物だし、モッツァレラともなると、国内生産のものは値段も高いんだよ。だが、こだわって作っている所のチーズで作るピザやドリアは格別だぞ」
「おじちゃん、食べた事あるの?」
「ああ、小さい頃少しだけな。親戚が酪農家だったもんでな、よく牛なんかを、美術で絵の参考にしてたよ」
 首を傾げる彩歌へと、城条は笑ってピザが冷めきる前に食べるよう促した。ピザのおいしさに忘れそうになるも、首をひねった疑問は中々抜けない。
 城条の自室に、牛や牧場のような風景の絵も、砂絵も、見た事がなかった。
 レルムがピザの二切れ目を物干しそうに眺める中、トルストが三切れ目を食べようとして弘輝に怒られている。トルストが取ろうとしたその一切れをレルムに渡し、トルストが嘘泣きを始めてまた怒った彼は、彩歌におかしそうに笑っていた。
「なん、ルトに全部取られるばい」
「あ、うん」
 二切れ目をもらって、彩歌は少しだけ考え込んだ。
 ――なんだか、やっぱり気になる事がもう一つ。
「そういえばあやちゃん。けー坊達は最近忙しいのかい?」
「――えっと、どうなんだろ。この間ちょっと喧嘩しちゃったから」
 もう隠すわけにはいかなかった。弱った顔で笑うと、弘輝が面喰った顔をしている。
「喧嘩? お前らでもするん?」
「す、するよお……すっごく久しぶりだったけど……」
 一方的に、彩歌が理真里達と話せていない事は言いづらかった。今日も授業の内容は覚えている。けれど、真後ろの理真里から声をかけられたかどうか、何も覚えていない。
 コーヒーを少しずつ飲んでごまかすも、段々と気まずくなって溜息を溢した。案の定、弘輝の心配そうな顔と、城条の生暖かい顔を見るとやるせなさがこみあげてくる。
「……明日ちゃんとごめんなさいって言う……」
「お、おう」
「はは、まあ今回は長かったな。さくっと終わらせてこい」
 弘輝が耳を疑って城条を見ている。がらんどうの店内と、仕事をしなくていいとテーブルで寛ぐ城条は押さえ気味に笑っていた。
「まあ、あやちゃんもでかくなったな」
「なんで喧嘩でそげん実感できるん……」
「昔のあやちゃんは、自己主張した事に理屈で返されたら、そこで折れてたからなあ。喧嘩なんてそれこそ、けー坊以来だろう。でかくなったもんだよ。昔はりまっちやけー坊の言う事をよく聞いていたからな」
「だって、りんちゃんの言う事って全部正しいよ」
「ほう。こー坊、お前さんもそう思うかい?」
 いきなり話を振られた弘輝は、苦い顔で頬を掻いた。
「……まあ、大体は筋が通っとる気はする。ばってん……正しいとか筋が通る前に、りんは言葉きついな」
「まあ、そりゃお前さん相手だからな。男は辛いもんだなあ」
 くっくと笑う城条に、弘輝は生暖かい顔で笑っていた。納得できず、彩歌は城条へと口を尖らせた。
「おじちゃんだって男だよ?」
「いやまあ、そうなんだがな。おじちゃんはけー坊に威嚇された分でお免除だよ」
 いつ威嚇したのだろうか。平気でここの厨房でラーメンを作って食べ、城条と他愛ない会話をしているのに。
 本当の親子みたいに一緒にいるから、威嚇していたなんてとんと心当たりがない。
 弘輝と城条が何やら話していて、レルムに視線が向いていた。レルムはチーズとトマトが口の端についたまま、ぎこちなくも心から美味しそうにピザを食べていた。
 そっと、そっと。最後の一口まで、大切に。
「よし。じゃあレー坊の件だが、結果はまた、あやちゃんがりまっち達と仲直りしてからだ。いいな」
「うん」
 きっと城条は、自分が喧嘩した事を謝る機会もなく、福岡に行って後悔する事をしてほしくないのだろう。
 少しだけ、そうではないかと感じた。


 ――朝日がまだ、山の稜線の上でもたついている間に、今日は学校にいたかった。
 いつもはぎりぎりで自転車を走らせる彩歌だが、まさか四時半に目が覚めるなんて思いもしなかったのだ。そのまま眠れないし、母にこんな時間からご飯を作ってもらうのも申し訳なくて、彩歌は自分で朝食を作り、弁当も詰めた。
 さすがに父の弁当に何が入っていたかまでは分からなかったので、書置きだけ残し、朝食は作ってあると伝えて外に出た。
 毎日、五時半には朝食を作るために起きている母が凄いと感じた。いつも寝坊している自分では、自分が起きなくていい時間に起きて朝食を作るなんて、今日みたいな日でもない限り絶対できない。
 暗いうちから自転車を扱いでいると、夏となった今日この頃でも、風はとても涼しい。
 これが暑くなってくると堪らない。ちらほらと見える同じ学生服の少年少女が、彩歌と同じ方角に急いで自転車を走らせていた。
 部活の朝練だろうか。
 角を曲がる。川を越える。橋のために作られた小さな坂は、立ち扱ぎで乗り切った。
 後ろから自転車の音が聞こえ、彩歌の目の前を通り過ぎ、急ブレーキをかける。
 彩歌がぽかんとした先で、弱った顔で振り返ってくる幼馴染の姿。
「お前こんな早くから何してんだ、ドッペルか?」
「あ……お、おはよ、けーじ」
「けーじ言うな。徹夜したのかよ」
「し、してないよ!? たまたま目が覚めちゃって……けーじは?」
「朝練」
 帯で縛った柔道着を持ち上げ、啓司は事もなく言っていた。ぽかんとする彩歌に、啓司は呆れ顔。
「――山野が泣いてたぞ」
「え!? ど、どうしたの!?」
「知りたいなら自分から聞いてこい。今日はさすがに来るだろ、あいつも」
「き、昨日休んでたっけ!?」
「来てた。そっちじゃなくて、親父んとこ」
 言葉が出なかった。
 先に行くと言い残し、自転車を走らせる啓司を見送ったのは、たった数秒で。
「教えてくれてありがと、けーじ!」
「だっからけーじ言うな! さっさと会ってこい!」
 自転車を扱ぎながら聞こえた声は、あっという間に遠ざかった。
 彩歌の自転車が真反対を向く。いつもより乱暴にしたせいか、弁当箱を入れた手提げ袋が乱暴に揺れた。
 自転車に乗り直し、彩歌は目つきを変える。
「――よおし!」
 自転車は、自分が来た道を全力で扱いでいた。


「――本当……なのね」
 信じられなかった。パソコンのディスプレイを睨んでいた山野は、真っ赤になった目を細めて呻いた。
 こんなものが来るという事は、時期が近い。
 ――遠ざけたいけれど、もう無理だとも分かっている。ならば。
「徹底的に守ってみせるわよ」
「理真里! 学校に行く支度をなさい!」
「はい、分かりました、お母さん!」
 パソコンの履歴を全消去し、秘匿回線に切り替えていたパソコンのインターネット回線を通常に戻す。その際にパソコンの固有識別番号の偽装も直した。
 本当はこんな事をしたら、副社長である父に迷惑がかかるのは知っている。けれど私が守りたい世界は別だ。
 啓司から来ていたメールを読み、すぐに返信した。彩歌から毎日届いていたメールは、もう数週間来ていない。
 朝食もあまり喉を通らないけれど、今日からはそんな事を言っていられないのだ。
 彩歌がまだ、福岡に行っていない今ならなんとかなる。間に合わせる。
「あら、理真里。玄関にお友達よ」
「え? こんな時間からですか?」
 こんな時間に来る友達なんて、滅多にいないけれど――まさか啓司だろうか。
 朝練があるからと、毎日メールが来るのは未明頃だったはずだ。首を捻りつつ、玄関の戸を開けた理真里に、彩歌が勢いよく抱き着いてきて目を丸くする。
「りんちゃあん!」
「……あ、や……? えっ!? あんたなんでこんな時間に起きてるの!? まだ寝てるでしょ、ドッペル!?」
「ひ、ひっどーい! けーじもりんちゃんもおんなじ事言うー!」
 しまったと顔に出したのもつかの間、啓司からも同じ事を言われたと訴える彩歌に生暖かい顔を向けた。
「だってあんた、いつも遅刻すれすれじゃない……何回起こしに行ったか分からないわよ」
「そうだけど、今日は早起きしたんだもん! でね、りんちゃん」
 改まるような言葉に、理真里はあっと口を噤んだ。一度離れる彩歌の手をぎゅっと握り、理真里は照れくさそうに笑う。
 彩歌も、全く同じ顔だった。
「この間はごめんね」
 二人の声は、きれいに揃っていた。


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