第17話 03
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「なんかあったか」
「――っ」
声が、出なかった。
どう言えばいいか分からなくて、目を丸くしてしまって。
すぐにへにゃりと笑う彩歌は、「えへへ」と照れ笑いをしてしまった。
「ううん、そういうわけじゃないの。大丈夫」
「……本当か?」
「うん! 明日までにはまた元気にするから!」
一瞬、弘輝の顔が固まった。彩歌はきょとんとして――その頬をむにっと引っ張られ、目を丸くする。
「ふぁひ!?」
「どこが大丈夫なんか言ってみいアホたれ!」
体が硬直した。
悔しそうに見下ろしてくる弘輝の目が、さらに下を向いていく。彩歌に触れる手が、震えている。
「元気にするっちどんだけ変な日本語か分かっとうとか……自分がどれだけ溜め込んどるんか分からんとか、そげん言葉が出とるんぞ」
腕に残っていた力が、抜けていく。
どんな顔をすればいいか分からなくて、笑顔でいたいのに、顔が強張ってしまって。
彩歌は瞳を揺らしながら、笑顔になるよう気をつけながら、言葉を探しているのに、探せない。
「あ、えと……でも大丈夫だよ? 迷惑かかっちゃうような事しな」
「何が迷惑になるん」
目を見開いた。
「それ……は……」
あんたの行動全部子供すぎるのよ。ちっとも周りの事考えられてない
「えっと……」
あや、絶対りんちゃんの事守るよ。だから泣かないで。ずっと一緒だよ。大丈夫だよ。辛い事あったらいつだって一緒にいるよ
だから、ね? 泣かなくっていいんだよ。りんちゃん、安心して
なんで……お兄さっ、悪くないのに……っ
だっ、て、あたし山っ、入らなかった、ら……お兄さっ、ここいっ、れたんでしょ……?
「……迷惑……かけちゃいたく、ない……」
やだ
どうして
なんで勝手に
いつもどうやって話してたかな
なんで声出ないの
なんで――
「あや」
視線が逃げてしまっている彩歌に、呼びかける声は不安そうで。
目を合わせようとしても俯きかけてしまう視線に、赤い服がめいいっぱい広がった。
「誰も迷惑なんて思っとらんとぞ」
温かさが、優しく、赤い服の中で頭を撫でてくる。
あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの
目がぼやけて、赤い服に暗いしみを溢していく。
「辛い時は辛かっち言ってよかっちゃけん。溜め込まんでいいんぞ」
もうあや泣かないもん、こ、怖くないもん!
りんちゃんをいじめちゃだめ! りんちゃ、りんちゃんが――りんちゃんよりも先に泣いちゃったりしないもん! りんちゃんをいじめないで!!
桜井さんって馬鹿だね。なんにも感じてなさそうっていうか、小学校の頃から頭にネジなさそうだよね
あー桜井? あいつ見た目だけだろ。実際中身本当馬鹿だから。昔さ、あいつ自分がいじめられてるって気づいてなくて山野って女子庇ってたんだ
桜井がいじめられてて、そいつとつるんでたのが山野。山野は飛び火食らっただけなのにな
本当に分かってないわねあんたは
ぐちゃぐちゃだった。
勝手に頭の中で繰り返される言葉と、誰のものかももう覚えていない声と。
なのに自分を守るように、温かさはあって――
あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの
――ダメだ
「……ご、め……」
自分は、優しさにつけこんじゃうんだ
りんちゃんも、けーじも、弘輝さんも、おじちゃんも、テュシアさんもルト君も
みんな優しくて、あたしつけこんじゃって、我侭言って――
「ごめんな……さ……!」
「――あや」
「あたし、偽善」
ぎゅっと。腕に力が込められて、声が出なくなった。
「言わんでよか」
唇が、震える。
「一番あやに関係ない言葉やん、言わんでよか」
肩が、震える。
「誰に言われたんかは知らんし聞かん。あやはドジでガキな所あるばってん、素直なだけやん。偽善とかそげん馬鹿らしい単語使わんでよか」
「で、も」
「相手のためになんとかしたいっち、考えたっちゃろうもん」
目を見開いた。弘輝の手が彩歌の頭に触れて、少しして服がほんの少し離れる。
しょうがないと言いたそうな、小さい子を見るような笑みが、覗いてくる。
「それは偽善じゃなか。その考えもなしに動いとう奴が、見せかけだけで本心では相手を嗤う奴が、本当の偽善っちゃん」
あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの
でも、りんちゃんは……間違えないよ
「辞書引いてみい? あやが言っとう意味と全然違う事ば載っとるんぞ。やけん、気にせんでよか」
りんちゃんは、あたしの事、知ってるよ
きっと今日のだって……
「あや、聞いちゃらん?」
ぼんやりと顔を上げた。弘輝は苦笑している。
「一緒来てくれん? 福岡」
「――え?」
「なんか、な。決心はしたばってん……一人で行こう思いよったっちゃけど、準備しよったらどうにも手止まるっちゃん。近くにビジネスホテルとかもあるけん、あやはそっち……あ、一人は危ないか」
「い、って……いいの?」
目を丸くするのは弘輝のほうだ。あやはぼやけた視界のまま、弘輝を見上げる。
「いいって……なんで今さら確認するん。オレがいかんっち言うと思ったん?」
「え?」
瞬き。言葉の意味を消化できず、彩歌は弘輝を見上げたまま首を傾げる。
少しだけ、恥ずかしそうにそっぽを向いた弘輝は苦笑してまた見下ろしてきた。
「かっこつかんばってん、一緒来ちゃらん? 福岡見せたいっちゃん」
顔が、くしゃりと歪む。
思わず泣き笑いしてしまう彩歌にぎょっとする弘輝へと、彼女は確かに頷いた。
「うん! 行く――」
悲鳴。
目を丸くする彩歌の目の前で、弘輝が背中を押えて呻いている。悔しげに後ろを見やる彼の姿が、暗闇に一瞬溶け込んだ気がして目を丸くした。
「こ、こうきさ――!」
「きさんあやになんばしようとや!!」
え――
耳を疑う。声は確かに、彩歌の前方から聞こえるのに、目の前の青年から聞こえてこなかったのだ。
揺れた影に目を見張ってしまうともう、後ずさりしかできない。
「あ……あ、あ……っ」
影が、明らかに違う。
弘輝のシルエットと、全く合っていない。
ぶれた青年の輪郭が、瞬時に金髪を軽くまとめただけの男の姿に変わったではないか。失笑する顔に、見覚えすらある。
「fooey…(ちっ……) まさか本物が来るなんて――な」
「きさんあやから離れろや!!」
火が、力強く燃え上がる。
きれいだと思うよりも、ただその熱さを感じられずに立ち尽くして。
あんたの行動全部子供すぎるのよ。ちっとも周りの事考えられてない
あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの
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