第17話「言葉の意味」01
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「――は」
 理真里の紙パックジュースが、啓司の炭酸飲料のペットボトルが落ちて、屋上の床に水滴と飲み物の墨流しを実演していた。
 初夏どころか梅雨の時期ももう少し先だというのに、打ち水にもならないそれらを名残惜しそうに見るのは啓司だけで。理真里は自分の弁当箱の中のサンドイッチに手をつける前に、だらんと手が下がった。彩歌は目をぱちくりさせる。
 こんな理真里、見た事ない。
「あんた、何言ったか分かってるの……?」
「うん。あ、ちゃんとお年玉あるよ?」
「そっ……そういう話じゃないわよっ、わたしの家に来るのとは訳が違うのよ!?」
「それは分かってるよ? だって福岡って遠いし」
「わっ――かってねえ!!」
 ついに啓司が脱力して吠えた。理真里の頭を痛めたような顔はなおも続いている始末。彩歌は空の青さがやや曇ってきた事が気になりつつも、二人から目を逸らせず戸惑う。
「わ、分かってると思うんだけど……」
「考えなさい。まず彼、家は田舎だって言ってたのよね?」
「うん。電車は途中まであるけど、下りたらバスが無いからタクシー使わないとって」
「つまり、ホテルが近くにある確立は低めなのよ。少なくとも観光用のホテルは少ないはずよね。交通機関が少ないなら地元民ぐらいしか行かない観光地ぐらいしかないでしょうから。っていうか、福岡は都会とは聞いているけれど、大坂や愛知とは違うから――平たく言うなら都市部はほんの少しだけよね」
「そんな事ないよ、ここより都会だよきっと!」
「都会に住んでるなら彼だって田舎って言わないわよ! っていうか、まずバスか電車ぐらいは通ってるわよ!! タクシー使わないといけない場所まで行くんでしょ、どれだけ公共交通機関から離れた場所に住んでるか分かってるの!?」
 畳み掛けられた。確かにそこまで考えていなかった彩歌は呻いてしまう。
 言われてみれば、お年玉足りるだろうか……というか。
「じゃあビジネスホテルもないのかな」
「ないでしょうね。そんなに彼が田舎宣言するなら、取引が頻繁な中小企業が立ち並ぶ一角が周辺にあるとは思えないわ。それ以前にあんたが調べなくてどうするの」
 頬を突かれ、彩歌は苦笑い。
 ホテルを調べるやり方が分からなかったとは言えないし、それを聞きたかったのに袈裟切りにされてしまったとも言いづらい。どう言えば怒られず伝えられるだろう。
「あのね、りんちゃん」
「だめ」
「まだ何も言ってないよ!?」
「最終的にあんた、泊まる場所間違えそうだもの。ついて行くなんて絶対だめ!」
「で、でも、一人より二人のほうが怖くないよ、楽しいよ!?」
「楽しく帰りたいから彼が行くわけじゃないでしょ! ちょっとは考えなさい!!」
 あ。
 呼吸が、止まりそうだった。
 それ見ろと言いたげに、理真里は額に手をやっている。
「あんた、分かってなくてどうするの……あんたが分かってなくちゃいけない事なのよ」
 言葉が出なかった。俯いてしまいそうになって、口だけが開いたり閉じたりするだけで、それ以上もそれ以下も、何もできない。
 理真里の目が伏せられた。
「行っちゃだめよ。そんなんじゃ、あや。今のあんたじゃ彼を傷つけるだけになるから」
「で、でも」
「行かせられない理由はほかにもあるから。それ全部をクリアできるあんたじゃないのよ」
 どうして?
 理真里を見つめるも、彼女の気迫に負けそうになる。見た目大和撫子の理真里は、溜息をこぼした。
「あんたの行動全部子供すぎるのよ。ちっとも周りの事考えられてない」
 喉が、きゅっと狭くなった。
「そんなんで彼の傍にいても、彼も、あの人達にとっても迷惑よ。本人達は口に出さなくても、あんたがやってる事って邪魔な事ばかりなの。司子がどういう運命背負ってるか読んだでしょう。それなのにあんたがあの人達に会って、やってる事って何? 相手の感情を上辺しか汲み取らないで行動して、一緒にいるつもりだなんて、そんなのただの同情よ」
「山野」
「あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの」
「りん!」
 鋭い声。理真里がはっとして口を噤んだ。
 彩歌はただ、理真里を見つめるのが精いっぱいで。
「……う、ん……」
 声が出ない。啓司が手を動かしかけたのが見えるかどうか、彩歌は立ち上がって――教室に帰るしかできなかった。


 昼休みが終わってから、理真里や啓司と話す気力はなかった。携帯も見る気が起きなかった。
 学校が終わって、荷物を纏める事すら上の空気味にしかできない。理真里と啓司が声をかけてこようとしたかもしれないけれど、彩歌は分からなかった。
 気がつけば生徒用玄関にいて。気がつけば、自転車を押して歩いていた。
 のどかな山の麓の道を、子供達が無邪気に笑いながらすれ違っていく。

 今日はかくれんぼだー!

 ま、まってえ、あやちゃーん!

 りんちゃん、はやく! けーじはやいよ、すぐ来ちゃうよ!

 えー、ぼくが鬼ー? じゃあ三十数えたら探すー!

 足が、止まってしまった。じわりと景色がぼやけ、また鮮明になる。
 走り去った子供達は、もうどこにもいなかった。
 あんなに、仲がよかったのに――。

 何しとるん、こんなとこで

 なしてお前ここさおるん、夜の山は危ないっち言ったろうが!


 しょうがないでしょ、この子が関わりたいって言ったんだもの。ならバックアップぐらいはするわよ。どんな手段使ってもね

 りんちゃん……!

 正直さっさとこの件忘れてくれたほうがわたしとしては嬉しかったんだけど

 え、りんちゃん!?

 そりゃオレも同感


 弘輝さんも……迷惑、だったのかなあ……
 地面しか見えない。視界がぼやける。日差しの熱が遠のく。
 思い出したように、引きずるように。足を動かして、家に帰るのがやっとだった。
 誰もいない家の鍵を開けて、二階の自分の部屋で、開きっぱなしのノートを見やって。彩歌はぼんやりと、ベッドに腰掛けながらノートを見つめる。
 ――ここ数週間、何も書かれていなかった。
 日記のノートが目に留まり、俯いてしまう。
 最近、理真里や啓司との事を、書けていなかった気がする。
 ――違う。弘輝と会うもっとずっと前から、書けていなかった気がする。

 あんたの行動全部子供すぎるのよ。ちっとも周りの事考えられてない

 あんたが今やってるのは、相手の優しさにつけこんで一緒にいるだけの、偽善者なの

 ずっと、そう思ってたのかなあ……
 あたし、りんちゃんみたいにできてないから……だから……
 けーじも、思ってたのかな……
 ぽた、ぽた
 制服に、雫が落ちた。紺色のスカートに、白の上着に、水滴が濃い色を差す。
 顔がくしゃりと歪んだ。
 何度も何度も目を拭っても、雫は止まってくれなかった。


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