第12話 03
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「あはは、Your welcome?」
「Good. アヤカ、今の発音とても綺麗、です」
「本当!? えへへ、ルト君のおかげだよ、いつも生の発音聞けてたから」
 トルストの嬉しそうな顔は、いつにも増して満面だ。何かいい事でもあったのだろうか。
 海老煎餅を食べ上げて、トルストはぎこちなく合掌した。
「ご馳走様、です」
「わあ、偉いね! お粗末様でした」
「おそ、まつ?」
「あ、えっとね、ご馳走様って、言ってもらったら、作ったり、ものをあげたりした人は、食べてくれてありがとうって意味で『お粗末様』って言うの。本当は、『渡したもの、大したものじゃないですけど』って意味がなんだけど。でも、やっぱり美味しいって食べてもらえたら嬉しいから、あたしは食べてくれてありがとうって意味で言ってるの」
「アヤカ辞書、ですね」
「どこで覚えたの、その言葉!?」
「コウキと、Master、言っていました。アヤカだけ、意味の、単語があると」
 彩歌にしか通じない意味の単語。
 そう言いたかったのだろうが、逆にそれはそれで心に刺さるものがある。
 自転車を押しながら、不意に吹き下りてくる山からの風に困り顔になった。
 本当に雨が降りそうだ。
「急いで戻ろっか。……あたしだけじゃないよ、りんちゃんも分かってくれるもん……」
「Ah… however, your words are that couldn’t understand for me. … But it doesn't happen every time. So… often」
 最初ははっきりとしていた声も、徐々に尻すぼみになって消えてしまった。途中の単語をちらほらと聞き取れた彩歌は落ち込みかけてしまった。
 私には分からないとか、いつも起こるとか……しばしばとか……。
「身も心も寒いよぉ……っくしゅっ」
「アヤカ、風邪、ですか?」
「ううん、そういうわけじゃないけど……なんだろ、さっきより冷えてきたかな。もう夕方だから――あれ?」
 首を傾げてしまう。今日の最高気温は確か、十六度ぐらいだったはずだ。
 なんでだろう。冬頃の夕方を想像させる冷え方というか。
 トルストが警戒するような目で周囲を見渡している。彩歌に止まるよう手を上げて示し、じっと黙り込んだではないか。
「どうしたの?」
「……Yes. Understanding, But I don’t wont she a wound. …O.K. Please help me, thanks」
 何を言っているのだろう。理解する? ええっと……でも私は、ええと……。
 しばらく頭を悩ませているうち、雷鳴が鳴った気がして身が竦んだ。
 と同時、雨が降り始めて――
 地面の上で幾重にも跳ねる白が、柔らかく溶けていったではないか。
 息を呑んだ彩歌に、トルストが風を呼び起こして周囲にバリアを創り上げる。
「Come out. Did you mean playing hide-and-seek?」
 からかうような声音で語りかける少年。柔らかく辺りを包む風が霰を弾き、前方から白い服の女性が見えて彩歌は目を丸くした。
 テュシア――ではない。
 黒髪を団子に結い上げ、痩せほつれた目はやや窪んでいる。二十代後半だろう女性は、白い肌があまりにも柔らかく陶器のようなのに、心も体も、今にもひび割れそうに見える。
「もしかして、司子……!?」
「Yes. 雪は、Alcorce of Glacies. 氷も使う、Alcorceですね」
「……風の子ね。そちらは司子じゃないみたいなのに。味方なの……」
 ハスキーな声に尋ねられ、彩歌は戸惑った。頷いた途端、女性の手に氷の弓が形作られて目を見開く。トルストが素早く手を上げ、風を強化した。
「Sorry. 彼女には、触れさせ、られません。Masterと、コウキ、And lady、怖いですから」
 暗に啓司だけが怖くないと言われていたが、彩歌が気づけるはずもなく。
 ただ、一つだけ分かったのは。
 目を見開いて顔を綻ばせる彩歌へと、トルストは「勘違いはなしです」と囁いてくる。
「僕の、他に、Alcorceがいる、知られると、困ります。Groupに、見られるのは、嫌です」
「ルト君……」
 認めてくれたから、弘輝の名前を呼んでくれたのではなかったのか?
 思わず目を伏せてしまう彩歌だがしかし、すぐに顔を上げて二人の間に立った。司子の女性が、ガラスのような蒼い目を鋭くさせてくる。
 生気がない。疲れ果てていて、目の色は疑心に満ちていて。
 テュシアのような諦めにまで達していなくても、トルストのように割り切っていなくても。
「戦う気なんですよね? 止めませんか?」
 肝を抜かれたように目を丸くする女性。トルストも頭を抱えるように、後ろで「Oh……」と溢している。
「あなた、何言ってるか分かってるの? その子敵よ、あなただって殺されてもおかしくないのよ?」
「もうルト君と会って、二週間は経ちましたよ? でもあたし、死んでません」
 女性が絶句している。正気を疑う目を向けられ、彩歌は笑った。
「あたし、ルト君の事も、お姉さんの事も、信じてます。だから争うの、止めましょ? ここ人通り少ないけど、家沢山あるから、騒ぎが起こったら見つかっちゃいますよ?」
 ぐっと黙る女性は、トルストへと問うように目を向けて――トルストが肩を竦めた事で、ようやっと女性も肩の力を抜いた。
「……そうね。日本のマスコミのしつこさには懲り懲りだわ……でも、少しでも変な動きを見せたら、あなたを盾にされても、私はその子を討つから」
 簡単には、割り切ってもらえない。それでも争いは少しだけ待つと言ってくれた女性にほっとして、彩歌の顔が綻んだ。
 分かってもらえる。女性が氷の弓を消してくれた事が、何よりの証拠だ。
 きっとおじちゃんのシチュードリアを食べてくれれば、分かってもらえる。
「あたし、桜井彩歌って言います。よろしくお願いします」
「少しは疑心を持ってちょうだい……もう。美紀(みき)よ」
「……I’m Trust Timmelio」
 観念して、トルストも自己紹介をしてくれたようだ。

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