第12話 02
[ 24/39 ]

 理真里が顔を真っ青にさせて立ち止まったではないか。自転車を降りた彩歌だが、既に二十メートルほど空いている。啓司はと言えば、またかと言いたげに道の先の安全確認に頭を向けたようだ。
「お化けじゃないと思うんだけどね、玄関に行ったら誰もいなくなってて」
「見間違いでしょそんなの!!」
「親父は茶髪だもんな。弘輝は今プリン頭だけど根元だけが黒だし……男か女か見えなかったのかよ」
 そんな時間に来るような二人ではないと思うけれど。首を振ると、啓司は怪訝そうな顔だ。理真里を急かしつつ、彩歌に追いついて三人で学校に向かう。
「その訪問してきた人、見覚えないの?」
「うーん……分かんないけど……おかーさんに用事だったのかな……」
「あんなに雷が鳴ってた日に? 凄い根性ね」
 肩を竦めて首を振る理真里はほとほと疲れ切っているようだ。授業はこれからなのに。
 彩歌は腑に落ちないまま、見えてきた学校に遠い顔になった。
 定期テストが近い事を、また忘れていた。

「一応生物はそこそこ出来てるわね。じゃあ数学行くわよ。(a+b)(a^2(aの二乗)-ab+b^2)。これは解ける?」
「あ、それは覚えてるよ。aとbが、三乗になる問題だよね?」
「……昨日の雷あんたの仕業だったの? 大正解よ」
「雷は違うよ? でも覚えれてたの」
 頭を撫でられて思わず笑顔になる。一応紙に書いてみなさいと言われて、素直にa^3-b^3と書き込んで――脱力された。
「あれ?」
「符号を間違えて覚えてどうするのよ! -b^3じゃなくて+b^3! マイナスになるのは(a+b)が(a-b)になって、(a^2-ab+b^2)の真ん中が+abにならなきゃいけないの! 惜しいけどこれじゃもらうのはバツよ、丸じゃなくて。よくて三角ね」
 ただでさえ数学は解く問題数が少ない分、計算に時間がかかるし配点も高い。分かる問題ほどミスを少なくさせておかねばと一生懸命教える理真里の気苦労に申し訳なくなってくる。
「ご、ごめんなさい……」
「――いいわよ、とにかく三角がもらえるぐらいには覚えていてくれたもの。進歩してるわ、十分」
 ぐったりとしつつも応えてくれる理真里の頬にコーラの缶が当てられ、驚いた彼女はすぐに受け取って「ありがとう」と啓司に礼を言っている。既に開けられた缶を普通に飲んで――はっとした顔でまじまじと中身を見やったではないか。
「ちょっ、あんた飲みかけじゃないのこれ」
「しょうがねーだろ、俺も喉渇いてたんだぜ」
「……はいはい」
 ほとほと仕方がないと言いたげな顔をする理真里。それでも頬が僅かに赤くなっているのを見ると、綾歌はほんの少しだけ笑顔になれた。
 理真里は少し変わった気がする。いい方向へと。

 学校の授業が、少し面白くなってきた。
 そう思えてきたと同時、昼休みが終わって次が数学となっても、弘輝が毎日八時以降まで付き合ってくれているおかげで、分からないだけの退屈な授業ではなくなった。
 特に歴史に関しては城条と弘輝が掘り下げた範囲まで話してくれ、図解を用いて面白く聞かせてくれたために、今では世界史に関してのみ授業中に手を上げられるようになった。それでも正解するのは三回に一回ではあるけれど。
 クラスメイトからは驚かれ、女子からは輝く顔で「あの喫茶店のお兄さんなんだけど!」と全く違う話を振られる事が増えた。話を聞けば他のクラスにこの間のラブレターを渡した本人がいるそうで、弘輝は既に、彩歌達の学年で半分以上の生徒が知っていたのだ。
 そのせいか、よく彩歌が言われる事は。
「桜井さんいいなー、あんなかっこいい彼氏さんいるんだから」
「え、ええっ!? 違うよ、弘輝さん彼氏じゃないよ!? 勉強見てもらってるの、それだけだよっ!?」
 崖から落ちた所を助けられたとはとても言えない彩歌である。
 今では休み時間のほうが緊張しすぎて疲れてしまうようになっていて、女子達からの視線や、男子のちらちらと見ては笑ってくるその顔にむっとしてしまう事もしばしばだ。
 弘輝さん優しいけど、付き合ってるわけじゃないもん……。
 むしろ、子供扱いを受けているというか、純粋に妹にしか見られていないというか。
 彩歌も兄ができた気持ちで接している所もあるし、恋人といわれるのは何かが違う。
 というより、弘輝が一線を引こうとしているのが分かっているからこそ、それ以上踏み込むなど考えてはいけない気がするのだ。
 どれだけ秘密を共有していても、司子という事実が、弘輝の何かを拘束している気がする。それは彩歌だけでなく、理真里も啓司も気づいていた。
 けれどクラスメイトは、同級生は、それを知らない。
 理真里は塾に、啓司は久方ぶりの部活に向かって別れた帰り道、自転車を扱ぎながら思わず沸き出た妙な気持ちに顔が項垂れる。
 ……弘輝さんの事、かっこいいだけで見てほしくないよ……。
 確かに格好いい。最初は怖いかもしれない鋭い目も、何度か話すうちに子供らしさが抜けない豊かな感情で様々な形に変わるのだ。彩歌と話している時は特に、鋭い所か優しい顔で笑う事だってある。
 それでも彩歌が手を繋ごうとすると、必ず怯えたように体が硬直していて。
 優しくて、臆病で、どことなく内気で。
 それでも「男はこうあるべき」という感じで自分をしっかりさせようとして、でもふとした時は恥ずかしがって、真っ赤になって。
 人の危険を見過ごせなくて、敵に背を向けてまで助けに来てくれて。飛び火しないように守ろうとして、身を退こうとして、退けなくて。
 そんな弘輝の姿を、同級生達は知らないのだ。
「……ずるいよ」
 それなのに「かっこいい」だけで終わらせるなんて、なんだかずるい。
「アヤカ!」
 男の子の声に、彩歌ははっとして自転車を止めた。辺りを見渡して思わず笑顔になる。
 トルストが笑顔で走ってきたのだ。
「アヤカ、お帰り、です」
「ただいま。どうしたの? 今日は外出て平気?」
「Yes. この後雨、降る風が、あります。お迎えに、来ました。Ignisは、水の気配、苦手です。代わりに来ました」
 弘輝が雨を苦手としているのはなんとなく分かってしまうかもしれない。微笑ましく笑いながら、トルストに「ありがとう」と礼を言う。
 近所の駄菓子屋を不思議そうに眺めるトルストに、自転車を止めて駄菓子を買ってやると、目を輝かせて封を開けて食べ始めた。
 子供らしい嬉しそうな顔に、彩歌も自然顔が綻ぶ。
「美味しい?」
「Yes! 日本の、お菓子、very delicious、です! これ、なんといいますか?」
「煎餅だよ。これはね、海老が入ってて、みりんっていう調味料で味付けしてあるの。日本の調味料だよ」
 顔を輝かせて海老煎餅を食べるトルストの口の周りは、既に煎餅の欠片だらけだ。ハンカチを出して拭ってやると、トルストはまた嬉しそうな笑顔。
「Thanks」

[*prev] [next#]
[表紙目次]
back to top
しおりを挟む
しおりを見る
Copyright (c) 2020 *そらふで書店。* all right reserved.

  
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -