第12話「氷の瞳」01
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 まただ
 また雷鳴が、響いた
 遠くで泣くような冷たい風が響いて
 ――冷たい風は、苦しそうに泣き叫んでいた

「……あんまり、日記続かないなぁ……」
 小さい頃から日記をつけるよう習慣づけてきたけれど、正直最近の出来事は書いていいものとは思えなかった。別の日記を新しく用意するべきだろうか。……こっちには、何を書こう。
 まだ続く雷鳴に、彩歌は困ったように空を見上げた。部屋から外を見上げて、弘輝が帰ったその姿に、雷が当たらない事を願うばかりだ。
 雨の気配が、しっとりと近づいてきている。そんな気もした。
 少しだけ視線を落として、すぐにぶんぶんと首を振る。振りすぎて首の筋が一瞬緊張したけれど、呻いただけで、後は別のノートに目を落とした。
 弘輝や理真里に教えてもらった勉強は、中学校分からの復習。褒められて伸びるタイプと言われたその言葉通り、理真里の怒りながらの勉強より、弘輝の一つできれば褒めてもらえる方式のほうが合いすぎて、見事に一次関数で止まっていた彩歌の数学の頭は、現在では見事面積・体積まで足を進めている。数学を教えてくれるのは主に理真里だが、弘輝のアドバイスを受けたり、理真里と二人でどう教えるか考えてくれるその会話が、とても楽しいのだ。
「扇形の面積は……あ、この公式だっけ。マーカー……あれ? あぅ、忘れちゃったかなぁ」
 蛍光色のマーカーペンを探して筆箱を漁るも、出てこなかった。
 机の上をきょろきょろと探すも、まともに見つからない。どうしたものかと唸った途端、雷鳴が響いてびくりと体が強張った。
 ――弘輝は、大丈夫なのだろうか。
 いつもの事になってしまったが、一緒に帰ってもらって、彼が店に戻ってから時間は経っている。けれど不安になる。確かめようにも彼は携帯を持ってないし、今店のほうに電話しても、仕込み中だろう城条の邪魔をしてしまいそうだ。
 ルルルルルル……
「ひゃああああああああああっ!?」
 驚いて悲鳴を上げてしまい、肘置きにしていたクッションを抱き締めてしまった。鳴り響く音が携帯のものと気づいて脱力する。雷は相変わらずだし、音が近づいてきている事を知らせてきて気が重い。
 電話に出て、「はい」と呟くのが関の山だ。
『おー出た出た。あやちゃん、大丈夫か? こー坊があやちゃん今一人だからって心配しててだな――いだっ!? ちょっ、箸は痛いだろう箸は!』
 ぽかんとした。
 ぽかんとして、ふにゃりと表情が崩れる。
「おじちゃぁぁん……雷近いよ、音が近づいてるって言ってるよ、えっとドップラー効果ぁ……!」
『すまん、それはおっちゃんも分からん効果だ。ドップラーって何』
『それサイレンの音が高くなる奴やろ!? あや、それ間違っとうばい!』
 弘輝の声が割り込んできた。はたと驚いて教科書を見下ろし、顔が赤くなる。
 本当だ。ドップラー効果は音や光の波長が伸び縮みするものだった。……多分。
 電話先から何か変な音が聞こえたかと思うと、弘輝が『もしもし?』と声をかけてきてくれた。彩歌はあははと笑いが漏れてしまう。
『あや、大丈夫か? ドップラー効果は確かに雷でも使えるばってん、音が近くなるのが分かるとはな、音と光の速度で差を求めたら分かるとぞ』
「そうでした……ひゃっ!」
 ピシャンッ
 光と音が、ほぼ一緒に鳴動したような。電話先で弘輝が『おー』と苦いものを飲んだような声。
『思ったより通り過ぎるの遅いな……家大丈夫と? 避雷針設置してあったか?』
「う、うん。確か……近所にあったと思うの。それの圏内だってりんちゃんが教えてくれたから」
 確か裏手の公民館だったような。また光って雷が上空で鳴り、稲光すら見えた気がした。
 ブツンッ
「っ、え?」
 明かりが一斉に消えた。顔が真っ青になり、受話器部分に耳を押し当てる。弘輝の声が聞こえない。
 ……落ちたの? どこに? えっと、雷って、光って十秒以内だったらかなり近い場所に落ちるんだよね……?
 パラパラと、窓に音が当たる。やがて固いものを打ち付けるような音に、彩歌は耳を疑い、携帯の明かりをそっと窓に向ける。
 氷の破片が、窓の桟に乗って煌いたではないか。
 霰……!?
「うそっ、今日温かいのに……ひゃっ!」
 雷。
 ブレーカーを探そうにも、降りる事から怖い。祖母と母が今日、羽伸ばしに旅行に行ってくると言っていた響きが羨ましくてたまらない。ついていくのを断ったのが自分でも。
 打ち付ける霰の音は増してくる一方で、雷の音は逆に遠ざかっていく。怖々毛布の中に入り、震える息を静かに吐いた、その時。
 チャイムが、鳴る。
 インターホンに指が触れた事を知らせる音に、彩歌はびくりと体を強張らせた。
 ――鍵、かけたよね……。
 そろりと、部屋を出て。廊下から外をそっと覗き見た。
 遠退いた稲光が一瞬だけ玄関前を照らし、黒髪が見える。
 りんちゃ――違う
 この天気の中傘も差さずに、ましてやこの時間に理真里が来るなんて事、ない。
 誰……
 もう一度、インターホンが押された。
 響く音に、彩歌はそろりと一階に下りていく。
 廊下の軋みをできるだけ押さえるようにゆっくり進み、そっとドアの向こうを除き見て――
「……えっ?」
 いなかった。


「あや、おはよ――ちょっ、どうしたのよその顔っ」
 後ろから声をかけられ、睡眠不足と残ってしまった昨日の疲れでぼんやりと振り返れば、途端に扱いでいた自転車がややバランスを崩した。理真里が頬を引きつらせ、一緒に来ていたらしい啓司が呆れ顔。
「お前の頭、容量小さいのな」
「違うよぉ、昨日の勉強はちゃんと分かったよぉ……」
「あら珍し。じゃあどうしたのよ」
「夜にぴんぽーんって、黒い髪の人がね……あ」

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