第11話 02
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「す、すまん、ほんっとうすまん……!」
「いきなり扉、開けられて、さらに布団、取られました! 酷い人です!」
 閉店してもなお怒る男の子。今日の勉強の成果の一環で、テュシアと軽く英語で話す練習をしていた彩歌は、あははと困り顔で笑うしかできない。
 トー坊ことトルストはどうやら、弘輝がいきなり凄まじい勢いで部屋に入った事でまだ怒っているのだろう。弘輝も随分と年下の男の子相手にかなりの弱腰だ。
「トー坊、その辺にしておいてやれ。今日のこー坊は人生の佳境を一つ乗り越えたんだから大目にだな」
「おっ、おっちゃん!!」
 今度は顔を真っ赤にする弘輝は本当に忙しい。好物の豚骨ラーメンを持ち上げた箸が一瞬で止まっているではないか。
 「大丈夫?」と心配して声をかければ、ぼそぼそとした返事しか返ってこない。振った女の子への罪悪感で相当落ち込んでいるのだろう。顔が赤いのはきっとラーメンが熱いからだと悟る彩歌は、テュシアに疲れたような溜息を投げられて困惑した。
 ……何かいけなかったのだろうか。テュシアには特に何もしていないと思うけれど。
「近くにわたし達以外の司子の気配があるわ。そう感じる」
「えっ!?」
 驚いたと同時、スプーンを握る手が止まってしまった。今日の手伝い分の夕食でもらったものの、城条は平然と頷いている。
「やっぱりか。いい加減次が来てもおかしくない。お客さんに紛れて入って来かねんと警戒していたんだがなぁ。嬢ちゃんも今日はやたらと外を気にしてくれてたみたいだしな」
「……みんな気づいとったん?」
 気まずそうな弘輝へと頷く、テュシアとトルスト。無理もないと笑うのは、トルストのほうだけれど。
「そうですね。あれだけ、Desperatelyでしたから、気づかなかった、ですね」
「……風唄……なしてそう棘立てるん……ずっと謝っとろうが……!」
「でぃ、でぃす?」
「必死という意味よ。綴りはこう」
 水道の水が独りでに動き出し、中空に綴りを掲げてくれた。納得して覚えようと凝視する彩歌の隣、弘輝が脱力する。
「もうよか……ラーメン延びる……」
「ははっ、お疲れさん。けー坊達遅いなぁ」
「けーじはバイトだって言ってたよ。お父さんの所、また仕事が入って忙しくなったんだって」
「何か、しているのですか?」
 そういえば彼らには話していなかっただろうか。思い出し、「大工さんだよ」と伝えれば、意外そうな顔。
「日本は今、力仕事より、Desk Workが多い、と聞きました」
「うん、そうみたい。うちのお父さんも会社のサラリーマンだから。啓司の家ね、この辺じゃ昔はいっぱいあった大工の仕事を引き継いでるの。啓司、小さい頃から家の手伝いをやってて、延長線上で今はバイトになってるんだって」
「家業を手伝うのは、当然です。それをバイト、ですか?」
 やや不服そうなトルストに、城条は意外そうな顔だ。
「そうか、外国じゃあ家業を継ぐ所は多いんだよなぁ。日本の不況じゃあ、大手企業のように力があって、不況の波を越えられる会社に入りたがるもんなんだ。そういえば最近柔道のほうはかなり休んでいるんじゃないのかい?」
「いいって言ってたよ? 柔道やるのって、大工仕事で必要な筋肉落とさないようにするためって言ってたし。あと、けーじって柔道部じゃ弱いほうなんだって」
「……そうと? 手合わせばしてみたかったとばってん……怪我せんやろか」
 渋面を作る弘輝。テュシアがハーブティーを淹れにカウンターへと立ちつつ、無表情の中でも呆れているように見えた。
「あなた、焼き殺す気なの」
「誰が人様に火ば向けるか! オレも武道やっとったっちゃん。昔の話ばってんな。姉貴に負けてばっかりで諦めたっちゃけど……」
「そうなの!?」
「道理で、コウキの戦い方、慣れている、でした」
 感心するような声音のトルスト。弘輝は気まずそうだ。
「……まあ……家がそげんとをずっと習ってきとったけん……それよか、風唄も水想もどこで日本語習ったん? 教えてくれる人ばおったと?」
「わたしは独学。観光旅行用のパンフレット、日本語も英語も書いてあるでしょう。外国にいた時にそれを集めて、少し日本語を覚えただけよ」
「ぼくも、同じです。日本に来てからは、親切な日本人が、英語で話しながら、日本語を教えてくれました。同じ意味でも、日本語は、沢山の言い方があって、面白いです。一人称も、英語では『I』だけ、ですが、日本は『ぼく』、『おれ』、『わたし』、『わたくし』、『あたし』、『自分』……いろいろ、あります。地方の言葉も、聞いていて面白い、です。でも、福岡弁、覚えたいとは思えません」
 弘輝が気まずそうに息を詰まらせている。そろそろと視線を逸らしつつ、思い出したように「話戻すばってん」と、結果的に九州の方言をごり押ししている。
「どういう感じなん? オレ、お前らはなんとなく司子とは分かったばってん、近く来るまであんまり気づかんかったっちゃけど」
「あなたは鈍い、ですからね」
「風唄! いい加減」
「まあまあ、落ち着けこー坊。ラーメン延びるぞ」
 そちらのほうが一大事だと慌てて食に戻る弘輝に、テュシアの冷ややかな目。むかっ腹でも立ったのだろうか。ラーメンの湯気の量が増えたように見えたその時、麺をすすり上げた弘輝が熱いと慌てている。
 「First」と、トルストはひとさし指を立てた。
「最近、雪が降った、聞きました」
「おう、お前がここに来た日に、彩歌達から聞いたな。……水想がやったとやなかとか?」
「わたしが操れるのは水。勝手に勘違いしないで」
 またもむかっ腹は立てたようだが、それでもラーメンは食べるらしい。結局熱かったのか、弱った顔をしている弘輝に、彩歌はくすりと笑う。
「Who could control snow and ice. That is Alcorce of Glacies. Isn’t it? I think so, cause of recently snowy days may be he or she」
 途端に顔を背ける彩歌に、ラーメンを啜りながら呆れた目をする弘輝。口の中を空にしてもなお生温かい顔をする彼は、「分からん所そげん多かったか」と諦め気味だ。うっと目を逸らす彩歌。
「だ、だってトルスト君の英語、滑らかで……」
「要は、雪降った原因が雪や氷の司子のせいかもしれんって話っちゃん。ばってんそれは早計すぎん? 天気予報でも必ず当たるとは限らんっちゃけん」
「あ、でもね、暖かくなるはずなのに寒い日だったのは確かだよ?」
 慌てて伝えれば、城条も唸っている。
「まあ確かに、今年は春の三寒四温はどこ吹く風だからなぁ――おお、そうか。トー坊は知らないんだな。日本の四季のうち、春は三日寒くて四日暖かいっていう経験則を熟語にしたのが、三寒四温だ。温暖化でそうそうこの通りにはいかんがな。しかし、氷と雪か……こー坊はその辺も調べたのかい?」
「見かけた覚えはあるな。けどそげん特別に扱われとう感じもなかった。最近……か? 割と新しいっち書いてあった気はするばってん……詳細は覚えとらんなぁ」
「氷と雪の力は、水の延長線上」
 テュシアが珍しく口を挟んだ。トルストも頷き、「派生した力、ですね」と返している。
「Alcorce of Glaciesは、氷を操れます。だから、Alcorce of Aquaが生んだ、Alcorceと、言われています。同じように、Alcorce of Tonitrus――雷のAlcorceは、僕、Alcorce of Ventusの派生、と言われています」
「アルカース――司子に、派生か……火の派生はおるん?」
「いないわね」
 ほんの少し肩を落とす弘輝は、ふと外を見てすっと目を細めている。
 鋭くなった瞳に驚いた彩歌は、同じくガラスの向こうを見やって目を丸くした。
 結露ができている。暖房はそれほど入っていないはずなのに。
 遠くで雷鳴が聞こえ、彩歌は思わず苦い顔になった。
「氷……冷気、か……。あっ、彩歌帰る時間平気なんか!? もう八時近いとに!」
「あ、うん。テスト勉強で遅くなるかもって伝えてるから、大丈夫だよ」
 ほっとする弘輝は、それでもすぐに顔を引き締めて「それでも女の子がこげん時間まではいかんやろ」と、取ってつけたような注意をしてくる。彩歌はぽかんとし、城条とトルストが肩を竦め合っているのに気づいて首を傾げた。
「素直じゃないなぁ」
「So it is. He isn’t obedient」
「はへ?」
「誰が素直やなかとかっちゃ、二人揃ってからに……!」
 憮然とする弘輝はラーメンを食べ上げ、こってりしているはずの豚骨スープを飲み上げている。城条が生温かい顔で「丈夫な胃だなぁ」とぼやき、トルストが不思議そうにラーメンを見やっている姿を見て、今度食べるかと尋ねている。
 彩歌は思わず笑って、テュシアに意味が分からないとざっぱり切られたのだった。


「今日は冷えるねぇ……」
「そうやんなぁ……風邪引かんとぞ、皆心配するけん」
 うんと頷き、思わず顔から笑みが零れる。帰りの道でも、弘輝がほんのり顔を赤らめさせたのが分かってなおさら笑みがとろける。
「弘輝さんが一番心配してくれてるもんね」
「……お前、なしてそげん恥ずかしか事……あーもうちゃんと前見てあるかんね! ほら!!」
 顔を前に固定され、彩歌はまたくすくすと笑いが漏れた。手の平まで熱いと感じるほど赤くなっている弘輝には不思議に感じるも、それでも、頬も耳も温かい。
「弘輝さん、ラーメン大好物なの?」
「あ? ……あー、そりゃあ福岡はラーメン好き多いばい。とんこつ好きが大体で、たまに醤油とか塩が好きな奴もおるばってん、ラーメン嫌いっち言う奴はほとんどおらんな。オレもとんこつ――地元のラーメン、月一は食うし。香川のうどん好きと近い所あるっちゃなかろうか」
 ふと地元のラーメンの種類――というより、地域に分かれた主なラーメンを数えている弘輝。彩歌は不思議に思いつつ、顔を固定された上に視界が狭まったままの状態で、ふと弘輝の手がほんの少し冷えてきはじめた気がした。
 弘輝の手に、自分の手を重ねてみる。
 途端に声がぱったりと止み、ぽかんとして振り向こうとして、できた。力が緩んでいるまま、弘輝は赤みの引いた顔でぽかんとしている。
「どげんしたん?」
「弘輝さんの手、ちょっと冷えてきたのかなって思って。あ、でもあたしより温かいね」
 困って笑うと、弘輝がまた赤面している。首を傾げる彩歌から目を背けるようにそっぽを向く彼は、気のせいかもの凄くしどろもどろになるのを堪えているような。
「……あ、のな……オレ元々体温高いとぞ……火錬になってからまた上がったばってん……彩歌?」
「え? 何?」
「……あ、あんな。大丈夫やけん手放しちゃらん……?」
 ふと周囲の目を気にするような弘輝のそわそわとした動きに、彩歌は首を傾げた。
 この時間は人通りが少ないのに、どうしたのだろう。
「温かいよ?」
「人の話ば聞いとらんとか!? ……あーもう、やったらこうしちゃるけん!」
 いきなり手を引き抜かれたかと思うと、弘輝の左手がそのまま、彩歌の右手を握って引っ張ってくれる。
 驚いた彩歌はそのまま笑顔が広がり、くすぐったくなって笑った。
 弘輝の真っ赤な顔の意味は上手く掴めなかったけれど、それでも。
「弘輝さんあったかいね」
「……頼むけんそれ以上言わんといてくれ……」
 手は、とても温かかった。

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