第11話「変わり始めた道」01
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 気がつけばあれから毎日通うようになっていて、さらに気がつけば、もうじきテストの時期で。
 彩歌は頭を抱えつつ喫茶店『トマトごった煮』に入り、目を丸くした。
「いらっしゃ――お、お帰りー」
「こんにちはー。凄いね、手伝おっか?」
 客が、増えている。
 当然かもしれない。城条だけではどうにも入り辛いと言っていた客候補も多くいたが、テュシアがコーヒーと紅茶を淹れる面でバイトに入り、弘輝も家賃代わりにと働き出したおかげで、客足が大幅に増えている。特に弘輝は元々、バイトを転々としながら日本を巡っていただけに手馴れた作業と接客で対応できている。城条自身も料理に集中できるからだろう。随分と店の中の手際がいい。
 料理を運び終えたらしい弘輝が戻ってきて、慌てて「よかよか」と首を振っている。ちらりと振り返るは城条のほう。
「丁度今学生がわんさか来とうっちゃん。彩歌顔見知りおるんやなかとか? 折角学校終わったっちゃけんのんびりしときい」
「あ、うん。ありがと――凄いね、人気……」
 素直に嬉しい。嬉しいのに、何故か顔に素直に出てこない。
 席をと周囲を見渡しかけた彩歌の頭に、優しく手が乗せられて思わず掴んだ。くすぐったそうに笑う弘輝の顔が、優しい。
 ただ、周囲の生温かそうな視線にはっと気づいた彼は、次の瞬間大赤面していたけれど。
「おーあつーい」
「お幸せにー!」
「えーこーちゃん先約いるの? うっそぉー」
「なっ、なんの話ばしよるとですか!?」
 首を傾げる彩歌の耳を素早く塞ぐ弘輝を見上げ、困ったような顔になる。何かを言い返そうとしてあたふたする青年は、どうにも口下手にしか映らない。
「弘輝さんどうしたの? みんな見てるよ?」
「……や、けん……! ああもう知らん! オレはなんも悪くなか!!」
「はっはー、こー坊大人気だなぁ」
「おっちゃんも見とらんでからバイト員庇うぐらいせんか!!」
 弾けたように笑い飛ばす客と城条。首を傾げたその傍、何をごまかしたいのか頭に手を押しつけるように撫でられた。咄嗟に手を掴むと同時、弘輝の顔がまた赤くなっている。
 すぐに城条が「ほい、次できたぞー」と声を大きくしてきて、慌てて弘輝が走っていく。また後でなと一度撫でられた頭が少し熱くて、少しだけ顔をむぅと膨れっ面にさせた。
 撫ですぎだ。撫でられるのは好きだけれど、頭皮がひりひりする。
「弘輝さんのいじわる……」
「照れ隠しだと思っていたけれど」
「あっ、こんにちはー。ねえねえテュシアさん、紅茶お願いっ」
 カウンターから声をかけられ、笑顔で注文しに近づく彩歌。もうこのやり取りにも諦めがついたのだろう。テュシアは溜息を一つ落とすと、すぐに湯を沸かしに行き、ティーポットを持ってきてくれる。
「来週からテストなんでしょう。いいの、入り浸って」
「ぅっ……え、えっとね? 頑張ってりんちゃんに教えてもらってるよ? ……でも追いつかないの……あたし才能ないのかなぁ……」
 カウンターにやや伸びかけ、がっくりと傾いだ頭。
 頑張ったのだ。国語は漢字を毎日やっているし、数学だって中学からの復習を休み時間のたびに繰り返している。理科もここが閉店するまでやっている。英語は家に帰れば単語を書き連ねて頑張ってきた。社会は弘輝が詳しいから、彼が面白いと進めてくれる話を聞いて、一生懸命覚えようとしているのに。
 世界と言うのは無情だ。中間テストがもうすぐだなんて。
「I think so. But, studying will very help to you. And you make effort, very well. Isn’t it」
「――え?」
 顔を上げた。同時にそっぽを向かれてしまう。
「二度は言う気はないわ」
 湯を見にカウンターの傍から離れるテュシアを見送る。弘輝がしょうがないと言いたげな笑いをしているではないか。
「『そう思う。けど勉強は必ずあなたを助けるだろう。あなたもよく頑張っている。違うか』って言いよったごた」
 途端に顔に光が満ちた。戻ってきたテュシアの不機嫌さと言ったら、最高潮だけれど。
「テュシアさんありがとう! よかった、ちゃんと合ってた!」
「……英語の勉強をきちんとしているなら、これぐらいすぐに理解しなさい。付き合っている身が持たないわ」
「えへ、ごめんなさぁい。わあっ、いい香り」
 紅茶の柔らかな香りが辺りに満ちる。テュシアが外国でもよく好いて飲んでいたダージリンティーが、この近くの市場で格安で手に入ったのだという。城条がご機嫌な様子で近づいてきた。
「嬢ちゃんの茶葉を選ぶ目は本物でな。おかげで毎日美味い紅茶もコーヒーも飲ませてもらってありがたい限りだよ」
「本当だね。美味しい……」
 勉強だらけで疲れていた心が一気にほぐれるようだ。レモンは平気かと聞かれ、笑顔で頷くと同時、鮮やかな手つきでレモンを絞り、数滴紅茶に落としてくれる。
「このぐらいだとそれほど酸味も苦味もないわ。疲れた体には酢が効くと聞いたから」
「ありがとうっ」
「いいなぁ。その優しさ、おっちゃんにも少しもらえんかなぁ」
「えー、城条さん若い子に囲まれてるんだから。それ以上望んじゃあねえ」
「くそうっ、四十三でも独り身だと優しさほしくもなるわいっ!」
 客に茶化されて乗る城条。笑い声が満ちた店内に、彩歌もくすくすと笑みが零れる。
 他のテーブルで声をかけられたのだろう。手紙をもらってきたらしい弘輝が戸惑った顔。
「ど、どげんしよう……」
「おっ、ラブレターか? 今時珍しいな」
「そっ、そげんとやなか!! ……ばってん、そうかも……」
「煮え切らないわね。断るなら断ればいいでしょう」
「人様が書いてくれんしゃった手紙も読まんと切り捨てるっち失礼やろうが……!」
「読んだらあなた、本意でなくてもOKを出しかねないわ。そのほうが相手にとっては侮辱のはずよ」
 途端に押し黙る弘輝。テラス側が賑やかになっているのを見ると、どうもあそこの席にいる女子高生の誰かが出したようで。
 それでも礼儀は礼儀だと、一度奥へと引っ込んだ弘輝は、数分も経たぬうちに戻ってくるとテラス席目指して歩いていったではないか。
 直後、「なんで!?」という声。
 聞き耳を立てるのも失礼だと慌てて紅茶を啜った彩歌の耳にすら届く勢いで、弘輝の声が聞こえてきて止まってしまった。
 皆考える事が同じだ。揃いも揃って修羅場を目の前にすると、見事にしんと静まり返る。
「悪いばってん、オレはそげん言ってもらえるほどの男でもなか。見ず知らずの女の子すら守り通せんかったんに、こげんありがたい評価もらうのは申し訳なかばい。オレ、守り通したい約束があるっちゃん。やけんごめんけど、断らせてくれな」
 慌ててティーカップから口を離し、振り返った彩歌の目に映るのは、ショックで棒立ちになっている女子高生へと頭を下げ、戻ってくる弘輝の姿。
 目が合った途端にぎょっとされ、慌てふためいた様子でカウンターへと戻られた。顔がやや赤くなっている。それなのに、申し訳なさそうな様子まで。
 テラス側で泣いている女の子は、友人含め今時の子なら振った相手を貶すはずだろうに、そんな様子は欠片も見せていなかった。逆に振ったはずの弘輝が申し訳なさでいっぱいなのか、項垂れ始めているではないか。城条が苦笑いしている。
「お前さんなぁ……真摯に受け止めすぎだぞ。守りたいものがあるなら胸張ってなんぼだ、シャキッとしておけ」
「きっ、聞こえとったん!?」
「ええ。あなたの声、通りがいいんですもの」
 はっとしてカウンター奥から、店内を茫然と見る弘輝。
 店の中の全員が一気に視線をそらしたのが分かった。
 ぐるりと大きく見渡そうとした彼の視線から逃れるかのごとく、すぐに食事に没頭する男性や、世間話を無理やり再開する奥さん方の姿もあって。
 最後には彩歌と目が合って、きょとんとした彼女を見るなり顔を一気に紅潮させた弘輝が、わなわなと震えている。
「こ、弘輝さ」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 絶叫。
 勢いよく走って奥へと逃げ去る彼を止める者が居ないどころか、逆に客のほとんどが、彼の心情とは別の理由で頬を赤らめているような。
 静まった店内で、誰かがぽつりと言った。
「今時偉い子ねぇ……うちの子のお婿さんじゃだめかしら」
「無理でしょ、もういらっしゃるじゃないの」
 いるって、何がだろう。
 しかも誰かが「真摯なる彼に拍手を」などと言い出した事がきっかけで、拍手が静かに始まって、盛大になって。
 彩歌は茫然と見上げた。
 聞こえてるよねぇ……ここ、天井の板薄いもん。
 想像できる。とにかく羞恥心に駆られて毛布の中で蹲り、ひたすら真っ赤になって震えている弘輝の姿が。耳を塞いで一生懸命堪えている弘輝の姿が。
「……テュシアさん」
「何」
「いつもあたし達の事守ってくれてるのに……守り通せなかった女の子って、誰なんだろ……」
 その一言にして。
 水を打ったように静まり返った客の目も店員のそれも、彩歌に釘付けになったではないか。
「あなたって、相当鈍いのね」
「ひっ、ひっどーい!!」
「前途多難だなぁこー坊……」
 城条は同情するように、天井を見上げたのだった。
 ついでに窓がガタガタと揺れた事で、トルストが寝ていた事を悟った彩歌であった。



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