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フィクションのままで
※『この世界こそフィクションです』『残念ながらノンフィクション』『お祝いにきました』と同設定
※有知識トリップ主人公はトリップ特典で特殊な移動能力を持っている
※クザンさん少なめでコアラちゃん多め



 ナマエは、『泥棒』を生業としている。
 どれだけ厳重な警備をしようと問題なく忍び込めるし、囚われても逃げ出せる。
 『この世界』へ来てしまったときにどうしてだか身につけていた特殊能力が、それを可能としていた。
 壁に飛び込むだけで好きな場所へと移動できたその力は、使い続けるうちにいつの間にやら強化されて、発動条件はもはや壁には留まらない。
 首に掛けられた賞金のせいでほとんど真っ当な仕事にありつけず、悪に染まりきった街道を走ってみるには『普通』だったナマエの獲物は、大体は金銭か食糧だった。
 それでも時たま、自分の気が済むように『盗む』ものがある。

「泣かないで、大丈夫だから」

 声を掛けつつその手が触れたのは、ぼろぼろの服を着込んだ女性だった。
 年の頃は、ナマエより少し下と言ったところだろうか。
 わずかに涙をはらんだ息遣いを零す彼女を安心させるように、ナマエが相手へ微笑みを向ける。
 大きな屋敷の中、ナマエが入り込んだその部屋は、すえた匂いのする小さな場所だった。
 床も壁も汚れていて、調度品すら満足にない。
 堅い床に座り込み、鎖でその腕をつながれている彼女は、誰がどう見ても『奴隷』だった。
 部屋が薄暗くて顔はよく分からないが、昼間にナマエが見かけたのと同じ彼女だ。ここは『彼女』の部屋なのだから間違いない。
 頬をぶたれ、虐げられていたその姿を思い出して、大丈夫だから、ともう一度ナマエが囁く。

「……あなた、泥棒、さん?」

「うん、まあ、そんなところ」

 寄越された言葉にナマエが頷くと、どうしてこんなところにいるの、と彼女が呟いた。

「予告状の宝は、ここには無いのに」

「うん……そうなんだけど」

 問われた言葉は最もだ。この小さな部屋に、『大泥棒が狙った宝』が置かれているはずがない。
 広間に置かれたあの宝は、ずいぶんと屈強な連中に取り囲まれていた。
 予想通り警備のあらかたを振られたそれに頷いて、ナマエはさっさと目的地へとやってきたのだ。
 いつもならとりあえず盗みに挑戦もするのだが、ここしばらくは『宝』を見逃していた。
 つい先日、肩を銃で撃たれたのが恐ろしかったということもあるし、その時『盗んだ』相手が死にそうなほど泣きそうな顔をしたということや、そのあとで会いに行った誰かさんにしこたま怒られたという理由もある。
 能力が向上したこともあり、そろそろ予告なんてしなくても問題は無さそうだ。

「あのお宝は、まァ今日は見逃そうかなって。どうせついでだし」

「ついで……?」

「そう。俺が狙ったのは別のものだから」

 不思議そうな目の前の相手へ言葉を零して、ナマエはするりと手を滑らせ、鉄輪のはめられた彼女の手を掴まえた。
 荒れて堅く、そしてひんやりと冷え切った掌をしっかりと握りしめて、それから数回上下に振ると、まるで何かのマジックのようにすとんと鉄輪が彼女の手から落ちる。
 ちゃり、と鎖が音を立てるのを耳にして、彼女は落ちた鉄輪を見下ろした。

「……え?」

 どうして、と不思議そうな声を出す相手に笑って、ナマエは立ち上がった。
 軽くその手を引いて促せば、同じように彼女も立ち上がる。
 昨日ずいぶんとその足を打ち据えられていたようだったが、体が丈夫なのか、それとも治療くらいはしてもらえたのか、歩くのに支障はなさそうだった。
 彼女の手を引いたまま、ナマエのその手が壁に触れる。

「大丈夫だから、ついてきて」

 君が一番安心できる場所に行こう、と言葉を落としたナマエは、そのまま壁へ向けて足を踏み出した。
 驚いたように抵抗する彼女の力は案外強かったが、先に壁の中へと入りこんだナマエの後を、やがてそろりとついてくる。
 ほんの数秒、ずっと後ろを歩く『彼女』のことを考えながら足を動かしたナマエの目の前が、望む場所で急に開けた。

「よし、出た…………うわ」

 壁の中から抜け出たことに息を零しつつ前方を見やって、そこにあった光景に目を瞬かせる。
 荒野のごときその場所には、乾いた風が吹き、わずかに土埃が立っていた。
 いくつか白っぽい土壁でできた建造物が並んでいて、特に目を引くのはそこに彫り込んで作ったのかと考えさせるような大きな白い岩と、それに並ぶ大きな建物だ。
 太陽が昇っている空は青く、先ほどまでいた島が夜だったことを考えると、ここからずいぶんと離れていたのだな、ということを感じさせる。

「君の家って、どのへん……」

「バルティゴ!? どうして……!」

 とりあえず家までは送り届けようと、言葉を零しつつ振り向くと、ナマエが手を引いていた彼女が慌てたように声を上げた。
 そうして、明るい場所で見かけた彼女の姿に、あれ、とナマエも目を瞬かせる。
 いまだにナマエが手を掴んだままの彼女は、幾度かあの島で見かけた『奴隷』とは風貌が違っていた。
 背丈や格好はそのままだが、柔らかそうな髪色も、顔だちも違う。暗がりだから分からなかったが、『奴隷』だったあの女性はもっと死んだ目をしていた。

「……え? あれ、ごめん、人違いだったかも」

 彼女の手を逃がしながら、ナマエは少しばかり慌てた。
 一度失敗してから『相手』だけを指定して向かうのをやめていたのだが、それが裏目に出てしまったのか。
 そうだとしたらもう一度島へ戻らないと、とわずかな使命感に駆られて振り向いた先の平たい岩壁に手を伸ばそうとしたのを、伸びてきた手が掴まえる。

「人違いじゃないよ、大丈夫。でも、ちょっと待って」

 まさかこうなるとは思わなかった、なんて言いながら眉を寄せた彼女がごそごそと服をあさり、出てきた小さな電伝虫をつついてからため息を零した。

「さすがに圏外かァ……」

 大きい方から連絡しなきゃ、なんて言葉を零してから手元の小電伝虫をしまいこみ、改めて彼女の眼がナマエを見つめる。

「とりあえず、ナマエ自身には会えたんだし、いいよね」

「え? お、俺?」

 何故だかナマエの名前を口にした『奴隷』であったはずの彼女に目を瞬かせると、ナマエのそれを見上げて、彼女はにっこりと笑った。
 浮かんだ笑顔にはどことなく見覚えがあり、なぜだろうと考えて困惑したナマエの前で、彼女が言葉を口にする。

「ようこそナマエ、バルティゴへ。革命軍は、貴方を歓迎します!」

 かくめいぐん。
 思わずオウムのようにその単語を繰り返したところで、誰もナマエを笑いはしなかった。







 ナマエがときたま新聞に載るようになって、数年は経つ。
 宝を盗む裏で『奴隷』を盗んでは逃がしていると知るのは、盗まれた側以外ではナマエと被害者とあと一人くらいしかいない。
 ナマエはずっとそう思っていたのだが、どうやら、そのかぎりでは無かったらしい。

「うん、そういうわけだから。早く帰ってきてね!」

 電伝虫相手に言葉を零し、相手からの了承を得て受話器を置いた彼女は、すっかり綺麗な服に着替えていた。
 頭にかぶった帽子まで見て思い出した『名前』は、彼女がそのあとで名乗ったものと同じだ。
 コアラという名の彼女は、ナマエを待ち伏せするために、予告状を放り込まれた家の『奴隷』に成り代わっていたらしい。
 もともといた方の彼女は革命軍が保護しているという話だから、ナマエに異論はない。
 島の近くに待機していたらしい革命軍の人間がこの島へ向かっているという話だが、やってくるまでには時間がかかるだろう。

「それで、どうかな、ナマエ。考えてくれた?」

 ナマエへ茶をふるまいながら、言葉を零した相手に向けて、ナマエは曖昧な顔をした。

「……俺なんかを、革命軍が勧誘してくるなんて思わなかったけど」

 一体いつから目をつけられていたのか。コアラがナマエへもちかけてきたのはそれだった。
 ナマエの行いを知り、さらには今日ナマエの能力を知って、是非に、と笑顔を向けられた。
 あまりにも唐突すぎて目を白黒させている間に建物の中へと引き込まれて、今はお茶と、手作りだというクッキーをふるまわれている状況だ。
 どちらも口にしたことのない味わいだが、とてもおいしい。

「そうは言うけど、そのチカラだけでも十分理由になると思うよ。もちろん、私たちはそれだけが理由じゃないけど」

 言葉を放ってナマエを見つめるコアラの瞳に、嘘は無さそうだ。

「悪いことをしてる賞金首なのに?」

「賞金を掛けたのは海軍、世界政府でしょ。こっちには関係の無いことだし、それに、やっている『悪いこと』だって誰かの為じゃない」

「自分のための盗みだってするんだって」

「生きてくために?」

 それなら尚更革命軍に入ってよと、コアラがナマエへ向けて言う。

「ここでなら、そんなことはしなくたっていいんだよ」

 穏やかで諭すようなその声音に、そうだな、とナマエも頷いた。
 『盗み』が悪いことだということを、ナマエだって知っている。
 どうしようもなくて盗むときだって出来る限り負担の無さそうなところからにしているが、それでも相手が困ることはあるだろう。
 革命軍に入れば、きっとそんなことはしなくていい。
 代わりに能力を使って働くことになるだろうが、それはそれで仕方のないことだ。
 良いことばかりのように思えるが、しかしとても恐ろしい話だということも、ナマエには分かっていた。
 『この世界』には、様々な役割の人間がいる。
 海賊も海軍も世界貴族も革命軍も、それぞれがそれぞれにとっての正義の側面と悪い面を持っている。
 それを背負って立ち、『この世界』に大きく関わっていく自信や覚悟なんて、『普通』のナマエには無かった。

「……せっかく誘ってくれて悪いけど」

「…………そっか」

 一つ頭を下げたナマエの返答に、コアラの方から気落ちした声音が落ちる。
 沈んだその声が可哀想で、少しばかり申し訳なくなったナマエの向かいで、それじゃあ、と紡がれたコアラの声は明るく取り繕われていた。

「せめてもう少しだけここにいてくれないかな? ほら、せっかくだし、助けてくれたお礼もしたいし!」

「お礼って、でも先に助けてたのはそっちで」

「だけど、私のこと助けてくれたでしょ」

 大丈夫だとわかってても怖かったから嬉しかったと、鎖にとらわれた『奴隷』の役目を果たした彼女が言う。
 言葉には相変わらず偽りが見当たらず、暗いあの部屋の中で確かに彼女が怯えていたことを、ナマエは思い出した。
 わざわざそんな怖い目にまで遭いながら、ナマエを勧誘しようとしてくれたことは素直に嬉しいことだ。
 しかし、このままここにいたとしても、ナマエは革命軍に入るつもりがないのだから、相手にも悪いだろう。
 寄越された言葉に少しだけ考え込んだナマエは、その視線を目の前の皿へと向けた。

「……それじゃあ、お礼、そこのクッキー貰っていっていいかな? おいしかったから」

「え? いいけど、それだけなんて」

「ありがとう」

 寄越された言葉に笑って、皿に敷かれていたペーパーナプキンでクッキーを包み込んだ。
 それを手にして椅子から立ち上がると、待って、と慌てたようにコアラも立ち上がる。

「それじゃあ。元気でね」

 あんまり危ないことをしちゃあダメだよと、まるで親戚の小父か何かのような言葉を零して、ナマエの足がかるく床を叩く。
 次の瞬間にはその体が『床』の中に落下して、驚いた顔をしたコアラの姿が見えなくなった。







「……『床』は使うなって、言ったでしょうや」

 受け身だってほとんど取れねェのに、と呆れたような声が寄越されたのは、ナマエが『落下』してすぐのことだった。
 落ちてきたナマエを支えてくれた相手は、ナマエが選んだ『正義の味方』だ。
 呆れた顔をした相手がナマエを両腕に抱いて見下ろしているので、その膝の上にちょうど寝ころんだ姿勢になっていたナマエは、そのままでへらりと笑った。

「クザンさんのところに行くときは大丈夫だって思ってるんで」

「あらららら……海の上だったらどうすんだ」

 馬鹿だなと言いたげな発言を寄越されて、ちゃんと条件付けしたから大丈夫です、と答えつつ体を起こす。屋内で、ほかに誰もいなかったなら、なんて細かい指定が出来るようになったのも、日々の鍛錬によるものだ。
 そのまま床へ降りようとしたナマエを引き留めたのは、執務椅子に座ったままでナマエをうけとめたクザンの手だった。
 大きなその手が何かを確かめるようにナマエの肩や腰を叩いて、それからやがて満足したように離れていく。

「今日も、どこも怪我はしてねェな」

「大丈夫ですよ」

 答えつつ改めて膝の上を降りて床に立ったナマエに、やれやれとクザンがため息を零した。いつぞやの銃創から、クザンはいつもそうやってナマエの怪我の有無を検める。
 それを横目に、ナマエも周囲を見やった。
 相変わらず、大将青雉の執務室だ。机の上には書類が積まれていて、いつもと何も変わりない。
 例えば自分が『革命軍』に入ったなら、そしてそれを海軍大将であるクザンが知ったなら、こうやって訪れることはもう出来ないのだろうか。
 そんなことをナマエは少しばかり考えたが、どちらにしてもクザンは受け入れてくれそうな気もした。
 ナマエの知る『正義の味方』は、泥棒であるナマエのことだって見逃してくれている。
 それが彼自身の『正義』によるものなのか、それともただ単に優しいからなのか、はたまた面倒くさいからなのかはナマエには判断がつかないが、この世界で誰より頼りになる相手なのは変わらない。

「それで、今日はうまく行った?」

 頬杖をついたクザンが言葉を投げてきたのに、ああそうだった、と声を漏らしたナマエは手に持っていたものを相手へ向けて差し出した。
 差し出されたそれを見て、クザンが少しばかり不思議そうな顔をする。

「今日は何を貢ぎに来たの」

「クッキーです。おいしかったんで、どうぞ」

 うまく行ったんですけど『お宝』は盗めなくって、と言葉を落としつつそのままクッキーの入った包みを押し付けると、クザンの手があっさりとそれを受け取る。
 長い指が包みを開き、中に入っていた焼き菓子をつまみ上げた。
 『泥棒』が持ち込んだものをあっさりと一つ口にして、ふうん、とその口が声を漏らす。

「変わった味だけど、うまいね。どこのやつ?」

「手作りだと言っていたんで……革命軍印です」

「んぶふっ!」

 寄越された言葉にあっさりと答えたナマエのまえで、海軍大将青雉が盛大にせき込んだ。
 さすがに少し悪かったと思ったので、ナマエは広いその背中を軽くさすっておいたのだった。



end


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