085
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 ぼくが地下の地下の住人になってから、もう一週間が過ぎようとしていた。
 いつの間にかぼくに親しく話しかけてくれる人も増え、ぼくはすっかり住民の一人なんだ、と自分で思えるようにまでなった。
 かつてロボットの兄弟を心から信頼していたように、ぼくはアンダーグラウンドの住民たちを、心から信頼できるようになった。
 彼らはぼくの家族で、そして大切な友人なのだと。

 ちょうど一週間目の朝、ぼくは自分の部屋を見回し、腰に手を当て、顔を思いきり顰めていた。
 昨日の夜、ぼくは寝る前に確かに部屋の片付けをしたはず。椅子もテーブルとちゃんと向き合うように直したし、ダーラさんからもらったお菓子も、ちゃんと戸棚にしまった。
 それなのに、なぜこんなにも部屋がぐちゃぐちゃになっているのか? 理由はひとつ。爆発的に元気な友達が来たっていうこと。
 ぼくは顔を顰めたまま、真っ直ぐに小さなキッチンへ向かう。
 そして椅子が真下に転がっている戸棚を、両手で引き開けた。
「この水色頭、何度言ったらわかるんだ」
「オレ、成長期なんだよ」
 ダーラさんのマドレーヌを口いっぱいに詰め込んで、セイが横向けに戸棚に収まっていた。
 よくこんな小さなところに収まったものだ。なんだか間抜けなその様に、ぼくは急に力が抜けてきた。
 ぼくはまったく、とため息をつきながら、セイを戸棚から下ろさせる。
「成長期ってことは、体が成長するわけ。成長するってことは、腹が減るんだよ。その分体に回ってんだからさ」
 セイは残ったマドレーヌを両手に抱え、口をモゴモゴさせてそう言う。
「たまには素直に言ったらどうだい? 自分のもらった分がなくなったから、つまみ食いに来ましたってさ」
 ぼくはそう言って、セイをくるりと回転させ、フードへ詰め込まれたお菓子を取り出し始める。
 ランスさんが部屋の鍵をつけている理由がよくわかった。セイがこの調子だと、影響された双子はもっと酷いかもしれない。
 ぼくはまたため息を零し、最後に残っていたキャンディーをテーブルの上に放った。
 この量だと、どうやら被害にあったのはぼくだけじゃなさそうだ。
「成長期はこんなもんだって、アンドリューが言ってた」
 セイはまだ口をモゴモゴさせながら、そう言って両手いっぱいに抱えたマドレーヌやアップルケーキをテーブルへ置く。
「おまえもそうだった?」
「いや……うん、まあね」
 まさか、ロボットだから成長しないんだよ、とも言えず、ぼくは苦笑いして頷く。
 セイはほらな、と頷き、ようやく口の中のものを飲み込んだ。
「だから許せ」
 ニカッ、と笑って命令口調でそう言われ、ぼくはすっかり怒る気をなくした。
 ぼくがマルシェさんじゃなくてよかったね、とセイに言って、ぼくはお菓子が山積みにされているテーブルを避け、椅子に腰かける。
「素直に言えばあげるのに」
「わかった。じゃあ今度はそうする」
 セイは戸棚に上るために使った椅子を持ってきて、自分もテーブルの前に座る。
 またお菓子を口に詰め込み始めたセイの、あまりにも幸せそうな表情に、ぼくも自然と表情を緩めた。
 そっくりだ、かつてのぼくの仲間に。
 ぼくは久々に、ティーマの姿を思い出していた。
 いつも大きなリボンで長い髪を二つに結ってもらい、元気いっぱいでお菓子が大好き。
 体の構造や、特殊能力を除けば、元気な女の子そのものなのに……。
 結局――ティーマの“生命”という特殊能力は、どんなものなのかわからなかった。
 マルシェさんは、とんでもないな、なんて言っていたけれど、ぼくにはその力がどういうものなのか想像もつかない。
 ヴォルトなら、何か知っているのかな……ぼくより数倍いい脳みそを持ったヴォルトなら。
 ぼくはぼんやりと減っていくお菓子を見つめながら、ヴォルトはどこに居るのだろう、と再び思考をめぐらせる。
 その時、ふといつもの光景に違和感を覚えた。
 あれ? そういえば、
「アンドリューは?」
 ぼくは猫背になっていた体を起し、いつも一緒の姿を探した。
「ああ、あいつ、今日は買出しだってよ」
 セイは開けたお菓子の袋をゴミ箱に詰め込み、そう答える。
「買出し? どこへ?」
「上だよ。時々何人かでまとめ買いに行くんだ。アンダーグラウンドで足りないものがあれば、上に行くしかないからな」
 セイの返答に、なるほど、とぼくは頷いた。
 確かに、ここで足りないものがある時には上の世界に行くんだって、マルシェさんも言っていたっけ。
 だけど、危険じゃないのかな? 公司は反公司勢力が居ることを知っている。まさか地下の地下に街があるなんて思ってはいないだろうけれど、少しでも上で妙なことをしたら、絶対に公司に潰されること間違いなしだ。
 もしも、GXの仕事現場なんかに偶然居合わせたとしたら……。
 ぼくは想像して、思わず身震いした。自分も同じ力を持っているということが、妙に怖く感じる。
「そうそう、ビッグニュースだぜ!」
 自己嫌悪しているぼくを知らずに、セイが明るい声を出した。
 ぼくはまた自然と猫背になっていた背を直し、首を傾げる。
「マルシェが治ったってよ」
 セイがいつものように八重歯を見せて、ニカッと笑った。
「本当!?」
 ぼくは思わず立ち上がり、身を乗り出した。
「嘘言ってどうするんだよ」
 セイがそう言いい、またダーラさんの焼き菓子の包みを開け始める。
 ぼくは顔を輝かせ、すぐに扉のほうを向いた。
 やった、これでようやくいろいろな謎が解ける。
 早速、会いに行かないと!
 ぼくがセイに「行こう」と言い出したその瞬間、センターの鐘が鳴り響いた。
 しかも、連続で三回も。時を知らせる鐘は、毎回一回でいいはずだ。それに、まだ十二時じゃない。
 ぼくは頭上で音が鳴っているように聞こえ、思わず天井を見上げた。
 開けっ放しの扉の向こうで、センターの住人が次々と一方向へ向かっている。
 ぼくはわけがわからないと肩をすくめ、セイを見下ろした。
「久しぶりだな、呼び出しだぜ」
 セイがそう言いながら、残っていたお菓子をポケットに詰め込む。
 なんだかニヤニヤとして、嬉しそうだ。
「そんじゃ、そろそろボスの所へ行きますか」
 最後のキャンディーをはちきれそうなポケットに詰め込み、セイが立ち上がった。
「ボス?」
 ぼくは首を傾げる。
「ああ、このアンダーグラウンドを治める、偉ーい奴だよ」
 セイはそう言って、またニヤッと八重歯を見せた。

 ぼくはセイについて部屋を出た。部屋のすぐ脇の階段を上っていくと、ちょうど部屋を出たランスさんに会った。
 セイとランスさんは、会うなり互いの拳を軽く当て、「よかったなぁ」と笑いあった。
 ぼくは意味がわからなくて、ただ歩き出す二人の背中を追った。
 ただわかる事は、こういう場合には、必ず後でとんでもなくびっくりすることがあるっていうこと。
 ざわつく人々と一緒に進んでいくと、そこは立ち入り禁止だ、と前歯の出っ張ったおじいさんに止められた場所へ着いた。
 しかし、前のようにモップを持って立ちはだかるおじいさんは居ないし、前は半分閉まっていた廊下を塞ぐ大きな扉も、今は開けられている。
 ちょうどこの前おじいさんが立っていた位置のすぐ隣には、赤い十字を描いた扉があった。
 なるほど、ここは病院か。
 ぼくはきっちりと閉められたその扉の前を通り過ぎ、流れ込むように、その奥の大きな部屋へ入っていった。
 狭かった廊下から開放されたことで、人々が部屋へ散らばっていく。
「ここは何の部屋?」
 ぼくはセイの水色頭を捕まえて、そう問いかけた。
 すると、セイはニヤつきながら素早くぼくの後ろに回り、ぼくの背中を押す。
「行けって、びっくりするぜ。絶対。目玉飛び出すぐらい」
 セイは大げさに目を見開き、そう言った。
 ぼくはセイに押されるがままに、まばらに人が居る中を進んでいく。
 すると、一箇所だけやけに人が集まっている場所が見えてきた。まるで何かを囲んで話し込んでいるような感じだ。
 誰か居るのだろうか? ぼくが振り返り、セイに問いかけようとすると、セイはそれも聞かずに、力任せに遠慮なくぼくをその集まりの中へ押し込んだ。
 ぼくはすいませんとごめんなさいを連発して、人を押して前へ進む。
 そして、ギュウギュウ詰めからようやく開放された。
 ほっとしたぼくの目の前に現れたのは、周りに立つ人々とは別に、ひとり椅子に座った男性だった。
 黒い短髪が、ツンツンとあちこちに跳ねている
 目の色は丸いサングラスをかけていてわからないけれど、その奥からじっと見つめられているのがわかった。
 服装は黒ずくめだ。ただ、スーツの下に見える白いシャツと、くすんだ赤のネクタイだけが別の色。
 堂々と足を組んで椅子に座り、どこかで見たような笑みを浮かべている。
 そう、どこかで見たんだ……だけど、思い出せない。
 なぜだろう? ぼくが思い出せないなんて。ロボットである、ぼくが。
「なんて顔してんだよ、アラン」
 顔を顰めるぼくに、男性がニヤッと笑って声を出した。
 聞き覚えのあるその声に、思わずぼくは、はっと口に手を当てる。
 唸るように低く、少し威張ったような話し方。ぼくのデータの中で一致するのは、一人しか居ない!
「マルシェさん!」
 あまりの変わりように、ぼくは思わず素っ頓狂な声をあげた。
 マルシェさんは眉を顰め、首を横に傾げる。
「なんだ、わからなかったのか?」
「わかるわけないよ! だって、あれほど顔色が悪くって……服も、肌も、髪も、ボロボロだったのに」
「ああ、口は悪いが、腕のいい医者が居るんでな」
 マルシェさんはクックッとあの笑い方をして、すぐ隣に不機嫌顔で立つおじいさんを指さした。
 やっぱり、この人がアンダーグラウンドの医者なんだ。よかった、モップは持っていない。
「このジジィ、治療中俺が暴れるからって足をへし折ろうとしやがったんだぜ」
「ばかやろうめ! あれほどの大怪我をして、何ですぐわしの所へ来んかった!」
 おじいさんは細い指でマルシェさんの首を掴んで揺らし、枯れたような変わった大声でそう言った。
 マルシェさんのサングラスがずり落ちる。ぼくとセイは慌てておじいさんを押さえつけ、マルシェさんから引き離した。
「大怪我?」
 ぼくは咳き込むマルシェさんに向かって顔を顰め、首を傾げる。
 マルシェさんは唸るように返事をして、なんでもない、と手を横に振った。
「少しだ、少し。大したことはない」
「何が少しだ、バカ者めが。左肩は外れ、腕は折れとる、あちこちで内出血を起こして、仕舞いには心臓はないだと! 本当に、これほどバカな男は見たことがない」
 喚くようなおじいさんの言葉に、ぼくは思わず目を泳がせた。
 マルシェさんのふたつあるうちの心臓をひとつ取ったのは、このぼくだ。
 それにしても、マルシェさんはそんなに怪我をしていたのか……そうだ、思い返せば、公司館を出てからマルシェさんは左手をあまり使っていない。
 高能力者同士の、あれほどのぶつかり合いがあったんだもんな……怪我しない人なんて、ぼくらGXぐらいだろう。
 ぼくは申し訳なくなって、いつの間にか顔をうつむかせていた。
「アラン」
 そんなぼくに気づいたのか、マルシェさんがぼくを呼んだ。
 ぼくははっと顔を上げる。
 すると、マルシェさんは椅子に座ったまま、両手を広げて見せた。
「どうだ? 風呂に入って、普通の服を着れば、俺もまともに見えるもんだろう」
 マルシェさんはニヤッと笑んでそう言う。
 ぼくは変わらない笑顔にほっとして、ようやく笑みを零した。
「本当にボスみたいだ」
「ボスなんだよ、バカ」
 マルシェさんはチッと舌を鳴らし、ぼくに退けと手で合図をする。
 ぼくはクスクスと笑い、その場から退いた。
 気づけば、広間はもう人でいっぱいに埋め尽くされていた。
 皆ざわめきながらもまばらに床に腰を下ろしていき、そして立っているのは、ぼくとおじいさん、椅子に座ったマルシェさんだけになった。
 セイがぼくの服を引っ張ったので、ぼくも慌てて腰を下ろす。
 マルシェさんが右手を上げた。その途端、シン、と広間が静まった。
 マルシェさんは自分に向けられる人々の視線を確かめるように、ゆっくりと広間を見渡す。
 そして、口を開いた。
「悪いな、今はまだ立ち上がれない。このままで居させてくれ」
 マルシェさんの言葉に、なぜだか女の子たちのクスクス笑いが聞こえてきた。
 その中で、「おかえり」と言っている声も聞こえる。
 マルシェさんは少し照れくさそうに頷き、静まるようにまた軽く手を上げた。
「さて、何のために集まったのか、ほとんどの奴はわかっているだろう。今後の俺たちの行動すべきことについて、話し合うためだ。わかったか? エリック、ラルフ。爆竹を打ち鳴らすために集まったんじゃない」
 マルシェさんは双子のほうを少しも見ないで、そう言う。
 的確に当てられて、エリックとラルフは慌てて手に持った爆竹をポケットに隠したが、ダーラさんにすぐに取り上げられ、げんこつをくらった。
 ランスさんに押さえつけられてもがく双子を見て、ぼくの隣でセイがニヤリとする。
 その時、マルシェさんがまた右手を掲げた。今度は、ざわめきを止めるためじゃない。
「一つ、今まで通り上での難民の救出活動。二つ、公司からの本格的な政権奪取。そして、三つ、この世界を変えることだ。文句がある奴は、手を挙げろ」
 マルシェさん独特の、有無も言わせぬ話し方に、誰も反論するものはいなかった。
 シンと静まり返る広間を見渡し、マルシェさんがニヤリとする。
「賛成する奴は?」
 その一言で誰もが立ち上がり、爆発的な騒ぎが起こった。
 全員が手を高く掲げ、「賛成」の意を表している。
 大騒ぎの中で、ぼくは隣で飛び跳ねるセイと、パチンと手を鳴らしあった。



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