086 何分も大騒ぎが続き、人々が次々に自分の考えを叫んだ。
どうやら、一列に並んでリーダーに相談しに行こうという者は、一人も居ないらしい。
マルシェさんは大声で一人一人の質問や意見に答え、時にはもう嫌だという顔をして、指を一振りして近くに居る人の口をファスナーのように塞いだりもした。
ただでさえ忙しそうなのに、セイはマルシェさんの頭にしがみつき、いつ行くんだよと振り回したりする。
ぼくはそんなセイを引き剥がしたり、次々と出てくる人々の個性的な意見に耳を傾けたりしているうちに、大騒ぎの話し合いは、終わった。
大騒ぎを終えた人々は、まばらに広間を出て、いつもの生活へ戻っていく。
やがて大きな部屋にぽつりぽつりとしか人が居なくなり、立ち話をしていた女の子たちも、部屋の隅で話し合いなんかそっちのけで遊んでいた男の子も、次々に部屋を出て行った。
そして、最後までマルシェさんと討論のような話し合いをしていた男性が、最後に部屋から出た。
残っているのは、マルシェさん、医者のドル爺さん、セイと、ぼく。そしてボルドアさんだ。
「キヨハルが信じられねぇ」
マルシェさんはぐったりと椅子に寄りかかり、ため息交じりにそう言った。
興味ある人の名前に、ぼくはすぐに反応する。
「キヨハルさん?」
「ああ、あいつは毎日のようにこのやりとりをやっていたんだ」
「もっとも、大声で叫ぶような奴は居なかったがな」
疲れきったマルシェさんをからかうように、ボルドアさんが言った。
マルシェさんは顔を顰めてボルドアさんを睨み、軽く舌打ちをする。
「だが一列に並んで一人一人意見を言おうとする奴も居ないだろ」
マルシェさんがそう言うと、ボルドアさんもドル爺さんも、まったくだ、と頷いた。
「とんでもないクセ者ばかりだからな、このアンダーグラウンドは」
「クセ者?」
「ああ。元罪人、元死刑囚、元薬の密売人」
ぼくの質問に、ボルドアさんが指を折りながらそう答える。
ぼくはすごい、と少し苦笑いした。
「でも、みんな元がつくんですね」
そう言うと、ボルドアさんは「もちろん」と珍しく笑顔で頷いた。
「キヨハルさんに出会えば、誰だって犯罪なんてバカげたことだと思ってしまうよ。そうだ、君はまだ」
ボルドアさんの言葉を遮るように、マルシェさんが突然立ち上がった。
そして完全に言葉を言わせる前に、ボルドアさんとぼくの間に立つ。
「それは俺から話す。ここにはうるさい奴も居るしな」
マルシェさんは肩をすくめてそう言い、ちらりとぼくの背後を見た。その視線の先でムッとするセイを見て、ボルドアさんは「あぁ」と頷く。
ぼくは立ち上がったマルシェさんをはらはらと見回し、倒れやしないかとつい手を差し出した。
「立てるんですか?」
「ああ、なかなかいけたな」
マルシェさんは靴のかかとで何度か床を叩き、具合を確かめる。
しかし、ドル爺さんに腕を引っ張られ、半分ぶつかるように椅子に引き戻された。
「何がいけるか、バカ者めが! あと一週間は車椅子生活だ」
「うるせぇな、なんとかなる」
喚くドル爺さんに嫌そうに反論し、マルシェさんは再び立ち上がる。
言い出したらきかない、そんなマルシェさんを、ドル爺さんもわかっているようだ。
ただ顔を顰めてため息を零しただけで、それ以上、ドル爺さんは何も言わなかった。
「さあ、そろそろ仕事に戻らねば。アラン君、また手伝ってくれるかな?」
ボルドアさんが大騒ぎの話し合いの余韻も冷めやらぬまま、目を輝かせてぼくに言った。
もちろん頷こうとしたけれど、その前にマルシェさんが手を挙げて止めた。
「いや、今はちょっとこいつに用がある」
マルシェさんがそう言うと、ボルドアさんはわかったと頷き、そして駆け足で広間を出て行った。
それを見送り、ぼくは首を傾げる。
「ぼくに何か?」
「ついて来い。見せたいものがある」
マルシェさんはそれだけ言い、なかなかおぼつかない足取りで出口へ向かって歩き出す。
その時、今まで珍しく大人しかったセイが、マルシェさんに飛びつくようにして、服を握って引きとめた。
「オレも行く」
「お前はダメだ、さっさと帰れ」
しがみつくセイに、マルシェさんはきっぱりとそう言った。
しかしセイはずっとマルシェさんのスーツを握ったまま、真っ直ぐにマルシェさんを見つめ続ける。
セイは、これからどこに行くのかわかっているのだろうか?
真面目なセイの願いも、マルシェさんは首を横に振ってダメだと言った。
セイはスーツを離すことをためらったが、マルシェさんが黙って背を向けたところで、ようやく諦めがついたらしい。
セイは小さく舌打ちをして、ぼくに軽く手を振ると、広間から駆け出て行った。
マルシェさんはその後姿を見送り、やれやれとため息を零す。
そして、ついて来いとぼくに手で合図をして、また歩き出した。
ぼくは最後に残ったドル爺さんへ軽く頭を下げ、マルシェさんの背中を追いかける。
広い部屋に、不ぞろいな足音だけが響く。開け放たれた大きな扉を出たその時、ドル爺さんの声がぼくらを引きとめた。
「無茶はするな。お前はこのアンダーグラウンドの中心なんだからな」
さっきのように大声で喚く声とは違い、心配そうなその言葉に、マルシェさんは黙って振り向く。
少しの沈黙があった。しかし、次にはマルシェさんが苦笑い気味に顔を顰める。
「ありがとよ、ジジィ」
マルシェさんはそう言って、大広間を出た。
賑わいの戻ったセンター内を、ぼくは黙ってマルシェさんについていった。
マルシェさんの傷が癒えた今(まだ完全とはいえないらしいけど)、ヴォルトの居場所や、キヨハルさんのことや、買出しに行ったアンドリューのことや、公司館をどうやって攻めるのかなど、聞きたいことはいろいろある。けれど、今はなんだかそういう雰囲気ではない。
賑やかな住居スペースを通り過ぎ、ボルドアさんの居るコンピューター室を通り過ぎ、徐々に明かりの少なくなってきた廊下をひたすら進んだ。
ここまで奥に来たのは、初めてだ。セイもアンドリューもランスさんも、コンピューター室より向こうには連れて行ってくれなかった。
ついて行くうち、ぼくは黙ってついていくことに、なんだか不安を覚え始めた。嫌なことばかりが頭に浮かぶ。
公司館のこと、お父様のこと、ぼくの過去、残されたかつての仲間たちのこと。
そして、ヴォルトが地面に叩きつけられ、ばらばらになった光景が頭に浮かんだ。
ぼくは首を横に振って振り払い、勇気を出して口を開いた。
「マルシェさん」
「茶色い小僧は大丈夫だ。今さっき通り過ぎた部屋に居る。まだちっぽけなままだがな。それから、すぐに公司館に押し入るつもりはない。今はまだ冷静に事を進める」
ぼくの質問も聞かず、マルシェさんがすぐに答えた。
出た、マルシェさんの不思議な力が。マルシェさんはぼくが何も言わないのに、時々こうやってぼくの考えを当てる。
唖然として足を止めたぼくに、マルシェさんが振り返り、ニヤッと笑った。
「お前の言いたいことぐらい、わかる」
まるでいたずらをしかけた子供のような、変わらない笑顔に、ぼくはほっとする。そうだ。マルシェさんのこういう顔、セイにそっくりだ。
「ヴォルトの所じゃないとしたら、どこに行くんですか?」
さっきの不安などすっかり頭の奥に戻ってしまい、ぼくは好奇心いっぱいに見たことがない廊下を見回した。
マルシェさんは足を半分引きずるようにして、また歩き出す。
「キヨハルの所だ」
「え?」
またも驚かされる返事に、ぼくは間抜けな声をあげた。
すると、マルシェさんはまた少し振り返り、ニヤリとする。
「驚くぜ、お前。絶対。目玉飛び出すぐらい」
どこかで聞いたようなセリフを言って、マルシェさんはまた歩き出した。
ぼくがどうやって頷いたかも、今どうやって歩いているかも、あまりわからない。
どきどきと高鳴る心臓の音や、流れ出る冷や汗はないけれど。
とりあえずぼくは、緊張していた。
マルシェさんは確かに、キヨハルさんの所に行くと言った。
一体それは、どういう意味なのだろうか。
キヨハルさんは、もう亡くなっているはずだ。
人間は、ぼくらと同じく修理はできても、復元はできない。
人間は、蘇ったりしない。
そんなキヨハルさんが居る所といえば……そう、空の上、または天国。
まさか……まさか、ね。
ぼくは自分の非現実的な思考に苦笑いを零し、明かりの少なくなってきた廊下を、ひたすらマルシェさんを追って進んでいた。
しばらく歩いているけど、今まで誰もぼくらとすれ違ったりしていない。つまり、この先には誰もいないということ。
薄明かりが足元を照らす。なんだか、公司館のお父様の部屋がある階の廊下に似ていた。
どこかひんやりとした空気が、ぼくの肌を撫でる。寒さこそは感じないけれど、ぼくはいつの間にか不安げに腕をさすっていた。
「さあ、ここだ」
その時、ようやくマルシェさんが足を止めた。
ぼくは、思わず天井を見上げる。
「天国なんてあると思っているんじゃないだろうな」
マルシェさんの的を射た発言に、ぼくは即うつむいた。
やっぱり、絶対マルシェさんは他人の考えを読めるんだ。
むっつりと顔を顰めるぼくに、マルシェさんがクックッと笑う。
「ここだ、ここ」
マルシェさんが指した先には、目立たない色の扉があった。
さっきの広間の扉より一回り小さいぐらい、だけれど、大きな扉だ。
扉の横の壁に、小さなガラスケースが貼りついている。
マルシェさんは壁や扉をぺたぺたと触りながら、そのガラスケースにたどり着く。
その様子を見て、ぼくはまたうっかりしていたことに気がついた。
そうだ、マルシェさんは、目が見えないんだ。
今まであまりにも普通に廊下を歩いたり、人の名前を当てるものだから、またしても忘れてしまっていた。
これを忘れて、危うくマルシェさんを死なせてしまうところだったのに――。
マルシェさんは反省するぼくを見て、やれやれとため息を零し、ガラスケースの中の0〜9まで数字の並ぶボタンを押した。
ぼくはそれを見て、ランスさんの部屋の時と同じように、思わずボタンの順番を記憶する。
大丈夫、覚えて悪いデータじゃない。……きっと。
ぼくはどこか罪悪感を覚えながら、ため息のような音を吐き、自動的に開く扉を見つめる。
ゆっくりと開かれる扉から、まるで公司館のラボラトリーのような、冷たい空気が流れ出てきた。
中は真っ暗だ。もしかして、キヨハルさんはロボットになったんじゃ?
ぼくの頭に、またくだらない考えが浮かぶ。もしかしたら、秘蔵の超巨大ロボットかも、なんて。
「さあ、いくぞ」
マルシェさんの声に、ぼくは足元を這う空気から目を離し、慌てて頷く。
そして、マルシェさんに続いて、ゆっくりと部屋の中へ入っていった。
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