065
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 この階段を上っていくのは、もう何回目になるんだろう。
 過去のデータを読み返せばすぐにわかるけれど、ぼくはあえてしなかった。
 マルシェさん、いや、キヨハルさんの言う通り、今はただ、自分にできることの精一杯をしたかった。
 足元の赤い絨毯が、ぼくの靴に踏まれてくもった音をたてる。
 ぼくはマルシェさんの心臓を右手のひらに乗せたまま、真っ直ぐにお父様の部屋へ向かっていた。
 公司は一人も居ない。マルシェさんの言っていた、「よーく知っている」反公司勢力の人たちを抑えにいっているのだろう。
 あのお父様の部下だ。話し合いでお互い理解し合おうなんて、甘いことをしているわけじゃない。
 むしろ、有無も言わせず罰だと一方的に通告し、攻撃を仕掛けているに違いない。
 そう思うと、ぼくは眉を顰めずにはいられなかった。
 思い出したくない、なんて、薄情なのかもしれない。酷いのかもしれない。
 だけれど、ぼくはこの手で人を殺めたんだ。一人、二人の数じゃない。それはもう、何十、何百人も。
 あの頃のぼくはぼくじゃなかったんだ、なんて、訳のわからない言い訳をして、ぼくは必死に自分をなだめた。
 そう、今はそれを悔やむ時じゃない。一刻も早くマルシェさんと共にこの公司館を脱獄して、ちゃんとした治療を受けてもらう。ぼくの精一杯の償いは、その後だ。
 どんなことでもしよう――亡くなった人の遺族が、ぼくのことを憎み、同じ苦しみを味あわせたいのなら、何度だって壊れよう。
 そして何度でも造り直して、ぼくは永遠の罰を受ける。
 ぼくは、死ぬことなんてないんだから。

 絨毯の途切れた扉の前で、ぼくはいつものように背中を丸めたまま、ぼくの何倍もある大きな扉を見上げた。
 天辺はアーチ型になっているはずなのに、あまりにも大きいから、暗闇に溶け、扉の形がわからない。
 後ろは果てのない長い廊下……――まるで、ぼくの心の中に立っているような感じがした。
 この扉を開ければ、ぼくの運命が決まる。
 成功してこの住み慣れてしまった地獄を去るか、失敗して罰を受け、さらに奈落の底へ突き落とされることになるか。
 どんな罰を受けるのか、考えただけで思わず身震いした。
 今でもすぐに思い出せる。あの頭の中に何かが入ってくる嫌な感覚、体が割れそうな痛み、溶けた鉄の中に放り込まれたような熱さ……すべて、すべてこの扉の向こうに居る、お父様がぼくらにしたことだ。
 娘や、息子や、と可愛がる半面……いや、それは偽りの顔だったのかもしれない。お父様はいつだって冷酷で、この暗闇の向こうから、冷たい目線をぼくらに向けていたんだ。
 便利で役立つ殺人人形――しょせん、ぼくらはその程度のものだった。

 いつまでも過去のことを引きずっていてはいられない。
 自分にできることの、精一杯をしよう。

 ぼくはぐっと背筋を伸ばし、コン、と軽い音をたて、扉を叩いた。
 返事は、ない。
 極度に緊張していたぼくは、一旦息をつき、そして口を開く。
「お父様」
 ぼくは、なるべくゼルダの口調を真似るように、静かに言った。
 少しの間の沈黙――そして、
「……ゼルダか」
 お父様の唸るような太い声が返ってくる。成功だ。
「はい」
「入りなさい」
 ぼくは、マルシェさんの心臓をつぶさない程度にしっかりと握り、いつものように扉が開くように念じ、部屋へ入った。
 廊下の光が、ぼくの足元だけを照らす。
 中は、相変らず真っ暗で、お父様の姿はわからない。それどころか、この部屋がどのくらいの広さなのか、何が置いてあるのかさえ、ぼくは知らない。
 知っているのは、シオンと、そしてあいつぐらいだろう。
 お父様はまだ黙っている。しかし、カチカチとコンピューターのキーボードが鳴る音がするので、そこにお父様が居るのはわかった。
 ぼくの後ろで、ひとりでに扉が閉まる。
 重たい音が廊下と部屋に響き、そして、
「何の用だ」
 お父様の声は、いつものように猫撫で声ではなかった。
 なんだか苛立ち、ぴりぴりしている。
 ぼくはすうっと空気を吸い込み、一本調子で必死に考えたセリフを放った。
「地下牢獄の囚人、マルシェ=マコルフィーが、先ほど脱獄を謀りました。偶然ぼくに見つかったために、愚かにもぼくに攻撃を仕掛けてきましたので、排除いたしました」
 ぼくは、一気に言った。
 体中がいやな音をたてているような気がする。
 たとえ嘘であっても、こんなことを言うのは、なんだか気が引けた。
 お父様はなんと返すだろう……
「ほう」
 お父様が、やっと感情のある声を出した。
「証拠を見せてみなさい」
 いつもの、お約束のセリフだ。よし……なんとか計画通りに進んでいる。
 ぼくは、マルシェさんのまだ暖かい心臓を差し出した。
 すると、心臓はひとりでにふわりと宙を浮き、闇に消える。
 そのすぐ後、お父様の太い笑い声があがった。
「よくやった!」
 お父様の声に、ぼくは思わず飛び上がりそうになった。
 まさか、褒められるとは思ってなかった。
「あいつは、処分に困っていたのだよ。そうさ、なかなか強い能力者でね。いくら弱らせても、並の公司では相手にならんのだ。ああ、よくやった」
 お父様の声は、大変嬉しそうだった。ひとしきり興奮した様子で笑うと、あの、猫撫で声になる。
「ようし、よくやった。そうか、そうか、ゼルダ。可愛い息子や」
「はい」
 ぼくはほっとして闇に微笑み、頷くように一礼する。
「ああ、お前は本当にいい子だ。NO,6とは違う」
「はい」
 ぼくはそう答えながら、微かに眉を顰めた。
 ヴォルトは地下三階の罪人たちの逃がすために、ぼくの変わりに騒ぎを起こし、ぼくの変わりに破壊された。
 なんとか人格、記憶データは残ったけれど、ぼくにヴォルトの体を造ってあげられる能力はない。
 ぼくは辛い思いを振り払い、今は演技に集中した。
「遺体の処分は、いかが致しましょう。他の公司さんたちは、とても忙しそうなのです」
 ぼくはわざと、心配そうにそう言う。
 我ながら、今の言い方はいやみで優等生なゼルダそのものだった。密かに自賛しながら、ぼくはお父様の返事を待つ。
「ふむ……そうだな。確かに、公司たちには他の仕事がある。そうだな、あまりお前たちに面倒なことをさせたくはないのだが……ゼルダや、やってくれるかね」
 やった、計算どおりだ。
「はい」
 嬉しい気持ちが表に出ないように、感情のない返事をした。
「ああ、いい子だ。さあ、あとで褒美のデザートを持っていかせよう。ティーマやテイルと共に食べるのだよ」
「はい、ありがとうございます」
 ぼくは深く頭を下げ、回れ右をして部屋を出た。
 ぼくの体は、まだ緊張していた。強張る手足をなんとか進ませ、明るい世界へ戻っていく。
 しかし、数歩歩いた頃には、ぼくはいつの間にか駆け出して、思い切りガッツポーズを決めていた。
 やったぞ。計画は、大成功だ!



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